• ベストアンサー

太閤検地~地侍などの中間層を解体する必要性は一体~

太閤検地のある点において、ぬぐいきれない疑問があります。 太閤検地において、一地一作人制度へと土地の権利関係が変わっていきますよね。これは荘園制の崩壊ということで、理解ができるのです。しかし、秀吉はなぜ地侍などの中間層を解体する必要があったのでしょうか。刀狩・身分統制令までだして、さらに刀狩に逆らう者があれば殺せ、とまで指示がでている。ここまでして、従来の土地制度を転換する理由は何ですか?秀吉の意図を知りたいのです。 私なりに考えられる理由は、日本を統制する立場にある秀吉としては、農業生産を向上させよう意図した。しかし、兵農未分離の地侍という存在がどっちつかずの非効率的な存在だった。そこで、地侍の大半を作人にし、農業生産向上につなげようとした。というところです。でも、この理由ではないような気がします。どなたか、少々マニアックな説明でもついていけますので、教えていただきたいです!ついでに太閤検地を根本から理解するための参考文献なども読みたいので、ご存知の方はどうか情報提供お願いいたします!

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • jk7
  • ベストアンサー率18% (46/247)
回答No.1

一言で言えば、中間搾取を防ぐためです。 中世以来続いていた荘園では、中間搾取できる人々がたくさんいたのです。つまり一つの荘園で、農民から本所と税が吸い上げられるまでに、名主・預所など、たくさんの人々が中間搾取していたのです。 秀吉は、各大名と農民の間から搾取出来る人を排除することにより、各大名の税収入を安定化させ、さらには安定した軍役義務を負わせようとしたのです。

その他の回答 (1)

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.2

太閤検地の目的は 1.納税者の確認と納税額の制度としての確定による米本位制の実施 2.これに伴う軍役制の定着。 3.統治者への反抗の根絶 といったものでした。 従って農業生産に従事する人口の確保が何より重要でした。 当時の農民は戦時には動員されて兵士に早変わりする存在でしたし、自衛の為武器の常備もしていました。 従って統治者としては武装解除を行う必要があったのです。 刀狩りは刀だけでなく武器と名がつくもの全てを取り上げるもので、こうして武装反乱の可能性を根絶するものでしたから反対するのは反乱の下心を持つものとして死刑で望んだのです。 この思想は兵農分離の徹底が目的でもあり、ある意味身分制度の固定をめざしたのです。 従ってNo1のご回答にある地侍のような存在は領主に対する一元的な納税システムを破壊するものとして排除さたのです。 太閤検地については新書版の解説書があります。 いま手許にないので著者、出版社をお知らせ出来ませんが検索してください。