- 締切済み
油彩技法の成立とその後の展開について
美術史において油彩技法の成立とその後の展開を 調べています。参考になるサイトや本、意見など教えてください 困っております
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
みんなの回答
- ismael
- ベストアンサー率33% (228/687)
■油絵 油絵の材料技法と様式には、時代や地域および流派によって実に多様な変化がみられる。しかし端的に定義すれば、乾性油を主体としたメディウムを用いて粉末顔料(がんりょう)を練り合わせた絵の具を油絵の具といい、この油絵の具を使用して描く絵画技法あるいは絵画作品を油絵(油彩画)ということができる。乾性油とは、液体の油を薄い層にして塗布した場合、空気中の酸素を吸収して酸化し、しだいに粘着性を失って乾燥し、柔軟性と透明性のある固体の物質に変化する性質をもつ植物性油である。顔料の練り合せ材(メディウム)は、絵の具の状態では描画に適した流動性を保ちつつ顔料の粒子をつなぎ合わせ(膠着(こうちゃく)材、展色材)、画面においては色彩を変化させずに強固な絵の具層を形成しなければならない。乾性油はそのような要求を満たすばかりではなく、天然樹脂などを混ぜ合わせて多様な仕上げの効果を追求することも可能であった。また、テレピンやラベンダーなどの揮発性精油を溶材(溶き油)として使用すれば、絵の具の濃淡や絵の具層の厚さの調整をすることもできる。油絵のメディウムとしてもっとも一般的な乾性油は、あまに油(リンシード・オイル)、けし油(ポピー・オイル)、くるみ油である。ロシアではひまわり油が用いられたといわれる。15世紀のフランドルにおいて乾性油を主体にしたメディウムを用いる技法が確立されて以来、この油絵技法はヨーロッパ各地に広まり、20世紀に至るまで主要な絵画技法としてもっとも広く使用されてきた。美術の材料技法と様式にはきわめて密接で重要な関係があることはいうまでもない。油絵技法の発展の歴史は、ヨーロッパ絵画史の豊かな成果と切り離して考えることはできない。 ■油絵の歴史■ 油絵の起源は、乾性油が美術工芸品になんらかの形で塗料の材料に使用され始めたときにさかのぼることができる。乾性油そのものについていえば、1世紀のローマの植物学者ディオスコリデスがすでにくるみ油とけし油について記しているが、これは医薬品としての乾性油である。美術工芸品に乾性油が使用されたことを記しているもっとも古い例は、ギリシア人の医者アエティウス(502―575)の著した医学書である。彼は、「クルミの実を突き砕くか圧搾し……熱湯に入れて」つくったくるみ油が、医薬用のほかに「金箔(きんぱく)職人やエンカウスティック画家に使用された。くるみ油は乾燥し、金箔やエンカウスティック画を長期間にわたって保護するからである」と述べている。これは、乾性油が保護膜のワニスとして使用されていたことを意味しているが、油やワニスに黄色を混ぜたグレーズ(メディウムの多い薄く透明な被膜)を、銀箔や錫(すず)箔の上にかけて金箔のように見せかけたり、金箔の上にかけて金の色を強めたりする技法の起源を示している。このようなグレーズを用いる技法は中世にも例があり、イタリア・ルネサンス期や16世紀ドイツにも多くの例がみられる。たとえばウッチェロの『サン・ロマーノの合戦』では、金の上に赤のグレーズがかけられている。この油性メディウムによるグレーズが、どのようにして伝統的なテンペラ技法と併用されるようになったか、つまり絵画技法の一つとして使用されるようになったかは明らかではない。しかし、油性メディウムをはっきりと絵画材料として使用することを記しているもっとも古い例としては、10~11世紀ごろの画家エラクリウスの画論や12世紀ごろの修道士テオフィルスの『諸芸提要』などがある。 またギベルティはその著『彫刻論』のなかで、ジョットがときによって油で描いたと記している。フランドルのヤン・ファン・アイクと同時代のイタリアの画家チェンニーニ(1370ころ―1440ころ)が1400年ごろに著したと推定される『芸術の書』には、テンペラ用のあまに油の調製法、顔料をあまに油で練り合わせる方法、そして卵テンペラの上に油性グレーズをかけて絵を仕上げる方法などが記述されている。バザーリは、油絵の技法はファン・アイクによって発明されたと記している。しかし、実際には数世紀にわたる長い間、多くの画家たちの試行錯誤が繰り返され、ついに15世紀に至ってファン・アイク兄弟をはじめとするフランドルの画家たちによって油絵技法が体系化されたと解釈すべきである。油絵技法の確立とその急速な伝播(でんぱ)はルネサンスの合理的な自然観、飽くなき写実表現の追求と軌を一にしている。三次元の立体と空間、光と影、物の質感などの迫真的な描写は、油絵技法によって飛躍的な発展を遂げることができたのである。 (中略) ■油絵技法の発展■ 15世紀フランドルにおいて急速に発展した油絵技法は、イタリアにおいては比較的緩やかに進歩した。バザーリは、アントネッロ・ダ・メッシーナがファン・アイクから油絵技法を学び、これをベネチアの画家たちに広めたと伝えているが、これは両者の生没年からみて正しいとはいえない。しかし、イタリアでは15世紀中葉からしだいに油絵の技法が採用されるようになったことは確かである。この時代のベネチア派の代表的な画家であるジョバンニ・ベッリーニの作品の技法的な変化は、当時のイタリアの状況をよく示している。彼は初期においては純粋な卵テンペラ技法で描いていたが、やがて油性グレーズを併用するようになり、ついには、はっきりと油絵とよぶことのできる技法で描くようになった。それは、大気と光の微妙なニュアンスの写実的描写の発展と一致する変化である。またピエロ・デッラ・フランチェスカは、年代にはあまり関係なく、卵テンペラでも油絵でも描き、また両者の混合技法でも描いている。彼の画面に浸透している澄明な大気と光は、油性メディウムの使用によって実現されたに相違ない。 油絵の技法は、やがてティツィアーノによって一つの頂点に達する。ベネチアで油絵が隆盛するにつれて、基底材にも板より麻布が多く使用されるようになった。基底材としての板は、よく吟味された最上質の材でつくられねばならず、高価で、大画面のための板を用意するのは容易ではなく、湿度の変化に対して弱い。麻布は、はぎ合わせて大きくすることもでき、安価で持ち運びにも便利であった。ティツィアーノは、木枠に張った麻布を基底材に用いて、膨大な数の作品を残した。 彼の初期の作品では、薄い絵の具層が塗り重ねられ、表面は滑らかであったが、1540年代になると、明部に厚く盛り上げた絵の具(インパスト)がみられるようになる。後期の作品では、彼は実に自由自在に油絵の具を駆使している。彼は、薄い石膏(せっこう)と膠の地(ジェッソ)の上に大胆に構図を粗描し、筆だけではなく指やたなごころを使って描いた。固有色は放棄されている。絵の具は薄いウォッシュもあれば厚いインパストもある。メディウムにはあまに油とくるみ油が使われ、透明なグレーズには樹脂が混ぜられている。明暗の対比を強調した奔放な画面は、ほとんど印象主義的でさえある。ティツィアーノの技法は、後の画家たちに多大の影響を及ぼしている。 17世紀にはフランドルのルーベンス、スペインのベラスケス、オランダのレンブラントの3人によって、それぞれ独特の技法が完成された。ルーベンスは、白い地塗りと、樹脂を混ぜたあまに油を使用した薄塗りの絵の具というファン・アイク以来の伝統的なフランドルの技法に、ティツィアーノ風のインパストの技法を結合させた。また彼は揮発性精油をいつも使用していたと伝えられる。ベラスケスは、軽やかですばやい筆のタッチによるインパストの表現効果を追求し、その技法は18世紀のゴヤをはじめ、19世紀のマネにまで影響を与えている。レンブラントは、いわゆるボディ・カラー(体質を多く含んだ、かさのある絵の具)を多く用い、暗い背景のなかから光を浴びた人物が浮かび上がる独特の明暗表現にアクセントを与えた。17世紀に、薄いウォッシュや厚いインパスト、透明なグレーズやボディ・カラーなど、油絵技法の可能性はほとんど開発されてしまったといっても過言ではない。 18世紀から19世紀の前半に至る時代、油絵は技法的には退廃への道を進んでしまったといえよう。手早く描き上げたり、描き直したり、自由に加筆したりする制作上の便利さが優先し、材料や技法に対する細心な配慮がしだいに忘れられていった。白亜や石膏の地塗りをした板はほとんど顧みられず、大半の画家が亜麻布を使用し、乾燥材(シッカティフ)や揮発性精油、レーキやビテュームが乱用された。その結果、画面は透明な輝きを失い、かさかさした鈍い絵の具層になり、黒く変質したり亀裂(きれつ)を生じたりした。また産業革命の成果の一つとして、1840年代には錫のチューブに詰めた既製絵の具が生産されるようになった。画家たちは、もはや、好みの分量と性質の練り合せ材と粉末顔料を用いて独自の絵の具をつくる職人的な手仕事からも解放されてしまった。 19世紀後半、フランスの印象派の画家たちは絵画史に大きな革新をもたらした。彼らは、戸外で自然の印象を直接画面に写生しようとした。最終的な効果を、最初のタッチで描き上げてしまうアッラ・プリーマの描法が多用されるようになった。画家たちは、それぞれの個性に応じた自由な描法で独創的な作品を生み出した。絵画の価値は、その表面にこそ存在することになり、平面性が強調された。印象主義は、ルネサンス以来のヨーロッパ絵画の写実主義が到達した帰結であるばかりではなく、油絵技法の歴史の終末をも意味しているといえよう。〈長谷川三郎〉 スーパーニッポニカ百科事典(C)小学館
お礼
お礼をおくれてすいません。詳しい説明をありがとうございました。 非常に役立ちましたので参考にさせてもらいます。