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戦後日本の原子物理学者
日本は戦後に数多くの優秀な原子物理学者を輩出しましたが、 これは、戦時中に原爆開発の国家プロジェクトで仁科研に多額の研究費が集まったため研究が進んだから。。。でしょうか。
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科学史の話ならお任せ下さい。 戦後の成果の基礎は殆ど戦前にあるんです。 仁科博士は確かに原爆の開発について 軍部からいろいろ依頼を受けていた ようですが、具体的なことは何もやって いなかったというのが、現在知られて いる資料から言われていることです。 戦後アメリカからやってきた科学技術 調査団の報告書にもあるんですが、日本が 特に優れていたのは京都大学を中心とする 理論物理学の分野で、実験物理学は必ずしも 進んではいなかったんです。 終戦直後の1945年か46年くらいに 京都大学から理論物理学の論文集が出版されて いるのですが、この内容は時空の構造について など、原爆研究からは程遠いものです。 戦後すぐにそんな論文集が出せるのは、 戦争中も軍事研究とは無関係のことばかり やっていた証拠です。 原爆開発目的と疑われたサイクロトロンですが、 計画は1930年代からあり、たまたま組み立て 直前に太平洋戦争が始まってしまったわけです。 サイクロトロンは、アメリカ本土からの命令で 最終的には破壊されてしまいましたが、アメリカの 科学技術調査団の調査では、軍事研究には使ってい なかったことがすぐわかったので、終戦直後の 1945年9月の時点では、マッカーサーから使用許可が 出ていました。 サイクロトロンは軍事研究には使用されていない から、破壊命令を撤回するようマッカーサー自身が、本国へ電文を打っているんですが、11月に再度破壊命令が 送られてきたため、やむなく解体作業班が 大阪大学、理化学研究所に向かったということ です。 >戦時中に原爆開発の国家プロジェクトで仁科研に多額の研究費が集まったため研究が進んだから。。。でしょうか。 軍事研究で多額の予算が投入されていた分野は、 例えば航空機研究のように、戦後は研究資料を 全て没収された上、長期間研究を禁止される こととなりましたから、その後の飛躍的な 発展はありません。 唯一医学分野は、731部隊の研究が不問い 伏されたことから、戦後の日本医学、薬学の 発展に繋がっていますが、同時にナチスドイツの 思想を引き継いだと言われる、優生保護法など というおぞましい法律を残すこととなりました。
お礼
とても丁寧な御回答ありがとうございました。