昔、安楽死反対派側としてディベートをやったことがあります。
その時、想定していなかった相手側の反論として「家族などの経済的負担の問題」を突っ込まれました。「臭いモノにふたするように『処分』するようなことは如何なものか」とその時は答えましたが、この視点は有効だと思います。つまり、残されつつある者の側の経済的・精神的負担です。精神的負担の方を強調した方がクリーンなイメージがあっていいでしょう(不謹慎な言い方ですいません。しかし、ディベートは思想・信条とは別物だと思っていますのでご容赦下さいませ)
「介護に疲れて不治の病にかかっている親や配偶者や子供を殺してしまう事件は今までに何度も聞いたことがあるかと思います」「もしあなたなら、現実的に快復の見込みのない人をどのくらい看病していられると思いますか?」といったフレーズが有効ではないかと思います。
あとは、ディベート開始すぐに(相手側から限定されないうちに)「安楽死」ということばに尊厳死に近い部分を取り込んで定義してしまうことで、安楽死=積極的安楽死=犯罪・悪者という潜在的な意識に対する予防線が張れると思います。
そして、おそらく相手は「生きつづける権利」を主張するでしょうが、賛成派としては「安楽死に反対するということは安楽死を希望する人の決定権を侵害しているが、安楽死に賛成することは必ずしも生きつづける権利を侵害するわけでなく(安楽死を希望しない人には安楽死はほどこされない→リビングウィルや東海大の安楽死事件裁判で提唱された4原則などの説明をする)患者さんの選択肢を増やすものである」と言えばよいのではないでしょうか?
思いつくのはこれぐらいでしょうか。
リビングウィルを発行している尊厳死協会のアドレスを貼っておきますので、問い合わせをすればリビングウィルのホンモノを使わせてもらうことができるかもしれません(本物を見せることはすごく効果的だと思います)。
では、長々と書いてしまいましたがディベート頑張って下さいね。