死との上手な付き合い方
精神科でパーソナリティ障害と診断されている20代女性です。
現在、治療をしながら、通信制大学の学生をしています。
私は中学生の頃から自殺願望がありました。
原因は学校でのいじめ、それに伴う不登校や親との喧嘩などでした。
私にとって、死とはもちろん怖いものでもありますが、とても大切なものです。
耐えきれないほど辛いこと悲しいことがあると、私はいつも「死にたい」と思ってきました。
そう思えば、その辛いことから逃げられるような、不思議な安心感があったのです。
いつの間にか、死というものが人生の中で私の心の支えになっていました。
正常な人ならば辛いことや悲しいことがあっても、その次に自分がとる行動の選択肢の中に「自殺」はなかなか入らないでしょう。
しかし、私の場合、常に「自殺」が行動の選択肢に入っている状態と言えると思います。
そのおかげで私は今までどんなに辛いことがあっても生きてこられました。
死がどんなときも選択肢にあれば、人生で何が起こっても怖くないからです。
だって、死んだら終わりなんですから。(私は死後の世界とかはあまり信じていません)
でも、最近よく考えます。
常に自殺を選択肢に入れている私は、自分の人生を生きることができないのではないかと。
死を軸にした私の生き方は、安心感をもたらす一方で、自分の人生に対する無気力さや甘えを生んでいると思います。
死んだら終わりだから、努力する必要がないとか、なにをしても無駄だと思ってしまいます。
頑張らなければいけないことがあっても、どうせ最後には死ぬんだからやらなくていいなどと思います。
自分が今努力しないで、もし人生が行き詰まったら自殺すればいいんだ、と短絡的に考えてしまうんです。
死は確かに私の心の安定剤となっています。
これは不思議な言葉だと自分でも思いますが、死がなければ私は生きてこれなかったでしょう。
ですが、最近はどうにもそれだけじゃ駄目だという思いが出てきました。
今までの私はただ日々を生きるだけで精いっぱいでした。
自分の人生をどうしたいとか、どういう人間になりたいとか、将来何をしたい、とかそういうことに気が回らないほどでした。
それでも精神科で治療を続けていく中で、段々と症状が軽くなっていったと思います。
それで心に余裕が出てきて、最近はこのように考えています。
私と死はもはや切り離せないぐらい密接な関係だと思います。
私の中では「死にたい」と言わない自分を想像できません。
だから、私は死と上手に付き合いながら、自分の人生を精力的に歩んでいきたいと思いました。
すぐに死にたいと言ってしまう自分を変えたいという気持ちがあります。
そのためにはどのような考え方、または行動をすればよいと思いますか。
回答を頂けると、幸いです。
よろしくお願いいたします。
補足
私も同感です。 やはり苦しい時が一生つずくのならば考えますよねぇ