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足利市常見町の歴史についてご存じの方教えて下さい。
足利市に常見町と言う町がありますが、常見町若しくは常見姓についてご存じの方教えて頂きたい。
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- AS21
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常見町の由来に付いては不明。 古墳時代に作られた、大きな古墳が正善寺にあり、本堂などがその上に建っている。 奈良・平安時代は東山道が近くを通り、条理の区画がされていたかもしれない。 鎌倉・室町時代は農村地帯ぐらいしか分からない。足利荘に入るので足利氏の支配地となり、戦国時代には支配関係がかなり変わるが省略 江戸時代の支配関係は(途中からですが幕末まで)旗本の真田家・内藤家の知行地で合計370石と比較的狭い村でした。 コミニテイであるお寺は今の天台宗正善寺、神社は星宮神社で古くは虚空蔵様を祀ってあった。 袋川が近く。台風シーズンには洪水を受けるが、渡良瀬川の方が台風による実害は多かったと思われる。 猿田河岸に近く、情報の入手は早かったと考えられる。 七ヵ村用水が江戸時代に造られている。七ヶ村は助戸・勧農・岩井・山川・常見・八椚・北猿田。寛文7年代官、岡上次郎兵衛の指図を受け袋川を堰き止め引水。これにより百四十町九畝歩の水田を灌漑した、全長は約5Km。これにより農業は大いに発展した。 明治の情報はほとんどない。鉄道が近くを通るが駅から遠く発展が遅れる。 大正10年頃電灯が入る(星宮神社の石碑より、この年代は比較的早い方、東京渋谷が大正8年頃なので・・・)。 昭和に入っても水田地帯が続いた。 情報として、足利市のHPなどを参考に。 2009/2/5 AS21
- NyaoT1980
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参考になるか分かりませんが、GOOGLEで検索したら下のURLのページにたどり着きました。近代足利市史が少し載っています。 常見は昔は恒見だったようです。 詳しく知るにはその土地の図書館などに置かれた風土記などを見るとよく分かると思います。