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性欲と哲学
若き頃に、性欲にはほんと悩まされました。 ある人に言うと考えすぎだとよく言われたものですが、自分の心の中に自分で言うのもなんですが、尊厳な心と野獣のような心が二つあるようで、意識的には尊厳な心の方に過大な味方をし、野獣の心に対してと言えば、まるですぐ近くにあるのに、意識的に無視しようと必死でした。 野獣の心に全てが支配された時も数多くありましたが、今となってはたいぶ飼い慣らした感じがしています。 年をとるにつれ、野獣の心に対して寛容さが芽生えたような感じで、素直に受け止めることができているという状態でしょうか。 しかし、自分の中でまだ完全に決着はついていません。このまま時が過ぎればどうってことなかった一つのように思うのが常かもしれませんが、私自身それでは納得がいきません。 そこで今となって、新たに考えてみようと思っています。なぜなら、未だに溜まった時は現実だからと、まさに飲食のように処理しているからです。 私自身これでいいとは思っていません。 本当は飲食のように処理するものではないのではないか、人生の娯楽や、いい言葉が思いつきませんが、人間の楽しみだけに終わるものではないのではないのかと思っています。 もちろん生殖のためだという考えだけではない、それ以上の【なにか】があるように感じるというか、そう思いたいところです。 これ以上なにがあるのか!というお叱りの言葉はなしで、性欲=生殖、性欲=娯楽、性欲=楽しみ、性欲=【なにか】という、新しい発想、見方を学びたいというのが今回の質問です。 回答者様が答える際に、私がもう知っているかもしれないと思った回答でもお聞かせください。新しいヒントが得られるかもしれませんので。 では、よろしくお願い致します。
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質問者が選んだベストアンサー
「性欲には、生殖...以外に何があるか。」とのご質問です。 質問者様は、ご自分の性欲を、自分とは別のものとして、自分と切り離して客観視できています。また、「性欲には、生殖...以外に何があるか。」と、なかなか良い点に気づかれましたね。 以下、人間における性欲の意味を、仏教的、ヨーガ的観点から説明してみます。ただし、この場合の仏教とは、修行方法の書かれている阿含経典(アーガマ)に記されたお釈迦様の仏教のことで、修行方法の書かれていない日本の大乗仏教(法華経、等々の経典(説法師等によって書かれたといわれている)に依拠する)とは関係ありません。 人間は、動物的側面と、霊的側面とを持っています。 動物的側面では、性欲とは、種の保存と繁栄のための欲求です。 すなわち性欲は、第一義的には繁殖のためのものです。人間の生殖行動がいかに繁殖のために合目的に作られているかは、質問者の年齢を考えると、説明するまでもなくご理解いただけるでしょう。また、性欲は、生物学的には、つがい(夫婦)を構成し維持し、子供を含めたファミリを構成し維持するための「原動力」になっています。 この性欲は、いったいどこから来るのでしょうか? 仏教や、ヨーガでは、性欲が、生命エネルギ(クンダリーニ)から発生することを発見しました。そのクンダリーニが、性的・生殖的形態で表れたものが「性欲」です。クンダリーニは、尾骶骨付近で発生しますので、それに最も近い器官である生殖器に強い影響を与えるのだと思います。種の保存の観点からすると、個人個人は遺伝子を伝える媒体ですから、それでよいのだと思います。個体に性欲がないと、生殖活動が行われず、やがて種も滅びることでしょう。 また、性欲が強いということは、クンダリーニのエネルギが多いことを意味しますが、性欲が過剰ですと、人間個人としてはそれをもてあまし、支障をきたすこともあるでしょう。生物学的には、性欲が強いということは、多くの子孫を残す力となるはずでした。しかし、人間は、過去(先祖)の動物社会とは異なる独自の人間社会を形成していますので、過剰な性欲は、人間の社会規範と整合せず、反社会的行動を生じさせる側面を帯びてきました。そこで、その性欲をどのように解消したらよいか(消極的立場)、といった問題が生じるようになったのだと思います。 実は、クンダリーニは、性欲のみならず、人間が生きるための、強く生きるための原動力になっているのです。クンダリーニが、どのような方向で表現されるかは、個人個人の素質、仏教でいうところの個人の因縁によって様々です。 それが、悪い形で現れると、色情の因縁の強い人(男女関係のトラブルが多くそれで苦しむ人)となるでしょう。 世界的歴史的偉業をなした人や英雄といわれている人は、クンダリーニ・エネルギーの強い人で、性欲も強い傾向があります(英雄、色を好む、です)。クンダリーニ・エネルギーが強くても、それを良い方向に昇華・転換できない人は、凡人で終わるのです。 クンダリーニ・エネルギーを良い方向に昇華・転換する(積極的意味)には、強い高い理念と知性を必要とします(必ずしも知識ではありません)。 仏教やヨーガでは、性欲の源泉であるクンダリーニは、実は、様々な器官(チャクラ)に送ることができるのだということを発見しました。仏教やヨーガでは、そのための鍛錬を行います。それが、修行の一部です。 しかし、クンダリーニ・エネルギーを発現しても、霊的に制御された高い理念がなければ、その行き場がなく暴走して、破壊的にさえなります。オウム真理教の松本チヅオはそうだったかもしれませんね。従って、仏教では、霊的世界の理解と、霊的な高い理念を身につけ、徳を積むことから、修行をはじめるのです。 仏教的側面では、「性欲」そのものは、物欲等と同様に、コントロールの対象です。性欲は使われ方によって、良くも使われるし、悪くも使われます。性欲が出てきたら、瞑想し、その性欲を良く観察してください。この性欲は、どこから来るのだろう、と、また、その性欲が良く使われたらどうなるか、悪く使われたらどうなるかを、人の人生に当てはめて、思いめぐらしてください。 クンダリーニ・エネルギーは、創作活動や仕事に昇華・転換できれば、大きな業績を残ししたり、現在の3倍の仕事をすることができ、社会的にも大きな貢献ができ、有意義な人生を送ることができるようになります。 クンダリーニ・エネルギーは、人間の霊性の開発と霊的高まりにとっても、重要な原動力となります。 性欲がでてきたら、その源泉となっている、尾骶骨付近で発生しているクンダリーニ・エネルギーを観察してみましょう。そのクンダリーニ・エネルギーを、背骨に沿って上昇させて、霊性につながる頭頂まで移動させるよう、訓練してください。 この場でのクンダリーニに関するこれ以上の説明は、仏教修行の奥義にもかかわるので差し控えさせていただきます。興味をお持ちでしたら、様々な、チャクラと霊性の開発に関する本を探して研究して下さい。いまさらそのような勉強をしてもしょうがないとお考えになるかもしれませんが、人間は、輪廻転生するのですから、年齢に関係なく、次の人生で生かせます。
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- graduate_student
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【なにか】 交感神経の興奮 動物的本能
お礼
早速回答がきた!っと思ったら、な、なるほど・・・私の中で確かに新しい発想です。 どうもありがとうございました!
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お礼
ありがとうございます! なるほど・・・性欲とは凄いですね! いろいろ教えて頂き感謝します。 これから取り組んでいこうと思っています。 ありがとうございました!!