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徳川将軍
将軍に世継ぎ以外の男子は皆、御三家や御三卿・駿河・越前・甲府・館林の様に別家を立てたか、津山松平や蜂須賀など大名の養子となったのでしょうか? 家斉の庶子で、阿波・津山・明石以外ではどの家の養子となったのでしょうか?
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徳川将軍の子は養子に行くにしても原則として御家門、あるいは譜代大名の養子になるのが原則で、外様の蜂須賀に養子に行った斉裕は異例中の異例です。 徳川家斉の庶子で養子に行ったのは、徳川斉順(紀伊家)、徳川斉明(清水家4代)、徳川斉荘(田安家)、池田斉衆、松平斉民、徳川斉温(尾張家)、松平斉良、徳川斉彊(清水家5代)、松平斉善、蜂須賀斉裕、松平斉省、松平斉宣ですが、これらの中には2度も養子先を変えたという例もあります。 水戸についても藩主が亡くなったとき一部の藩士が藩主の弟の斉昭がいるにもかかわらず、幕府の援助欲しさに家斉の子を養子にしようとして、これが幕末の水戸藩の抗争の遠因となったとも言われます。
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- 6dou_rinne
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回答No.1
尾張家では斉温、斉荘、紀伊家では斉順、斉彊のそれぞれ2代にわたって徳川家斉の子を当主にしています。 福井にも斉善がはいっています。
お礼
御回答ありがとうございます。通常は御三家や御家門の養子となったのですね。 外様の養子となった例は少ないのですね。 姫はよくても男子は問題があったのでしょうか。