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壁画に描かれた人や動物は何故横を向いているの?

昔から気になっていました、、、 そして、何故目だけは正面から見た形なのでしょう? NO.43089の質問(エジプトの壁画)の主旨とは異なりますので、よろしくお願いします☆

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noname#2543
noname#2543
回答No.2

 まず、「顔は横向き、目だけは正面」であることについて。  これは、一般的に「歪曲遠近法」ないし「多視点描法」と言われる表現様式です(この2つは正確には区別されるらしいのですが、申し訳ありませんが、よく理解していません)。  三次元の空間を二次元の画面に表現すると言うのは、実は大変なことで、我々にとって当たり前の線遠近法による絵画表現は、ルネサンスの大発見だったのです。  線遠近法を知らない古代の人々は、三次元空間の中から自分が表現したいものを二次元空間に詰め込み、複数の方向から見た部分図の複合を描いてしまうのです。  これは他にも、日本の銅鐸、ラスコーの壁画など、世界中で見られる現象です。  次に、「そろいもそろって横から見た絵」であることについて。  これは、絵画の様式化と呼ばれる現象です。  絵画は世界を「見た通り」に描写するものだというのは近代の発想で、前近代の絵画はある約束事に従って絵を書きます。そして、その約束事によって絵の表現する内容が解読されるのです。  例えば、日本の絵巻物では、右向きにかかれた人物は前方からやってきた人、左向きにかかれた人は主人公と同じ方向に進む人ないし取り残される人を表現するという暗黙の約束ごとがあります。あるいは、聖母マリアの受胎告知の絵画では必ず百合の花が描かれます。  エジプトの絵画では、人物は「顔は横、目は正面、肩は正面、胸は横、腰は斜め、足は横」で書かれるものと、厳格に様式化されていたのです。これは、その方向から見た表現がその物の本質を表すと考えられていたためだと思われます。そして、これに従わない「人間」の図は、奴隷や外国人を表すという約束事になっています。  実は、近代の絵画も小さくかかれた人は遠くにいて大きくかかれた人は近くにいる遠近法と言う約束事に従っているといえます。ただ、近代の人間はエジプトの人間と違って慣習から自由ですから、キュビズムのような表現を創造しうるのです。 

miku333
質問者

お礼

sukemasaさん、こんにちは 御回答ありがとうございます! 知らないことばかりで、読んでいてわくわくしました(^0^) 質問してよかった! 身体の各部位をどの方向から描くかということで、そのものの特徴・本質が表れる、確かにその通りですね。 絵を見たくなりました。 ありがとうございました☆☆☆

その他の回答 (2)

noname#4470
noname#4470
回答No.3

sukemasaさんが答えておられるものに補足します。  描いた絵が何であるかを人にわからせるには、かなりの技術が必要です。それには「対象の一番特徴的なシルエットを表現」すればわかりやすい。 ものには特徴的な形の方向があります。たとえば亀は甲羅の上から見下ろした形が一番わかりやすい。これをしっぽから見るとなんだかわからない。 人間顔の真ん中にある突起・・鼻はそのシルエットが実に特徴的です。楕円の横に 小さな三角を付けると、横顔であると認識してしまうほどです。しかし、この特徴は横向きの場合でしか描き表すことができません。 しかし、もう一つの顔の特徴・・目は正面から見た形状が一番わかりやすい。この二つを組み合わせて、横顔+正面の目という表現になりました。  ゾウを考えてみましょう。ゾウの特徴は大きな耳と長い鼻。大きな体とタルのような足、貧相なしっぽです。横向きの顔よりは正面顔の方が、ゾウの特徴が表現しやすいでしょう。しかし、体は横からみたほうがしっぽまでかけるし、足も四本かける。したがって、ゾウは正面顔+横向きのからだがもっともその対象の特徴側借りやすい視点となります。 あるいはミッキーマウスの耳はどこの視点でも、二つに見せています。これも特徴的なシルエットを無理してでも見せている方法です。  ピカソに代表されるキュビズムは、実はこれがが基本なのです。

miku333
質問者

お礼

1812さん、こんにちは! 御回答ありがとうございます(^-^) とても分かりやすい説明で、頷きながら読みました。 目から鱗です! 普段見慣れているものを改めてじっくり見ると、そこにはなにやら意図が隠れているような気がして、観察してみようという気持ちになりました。 知る喜びを実感しました(^0^) ありがとうございました☆☆☆

  • starflora
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回答No.1

    何故、そんな絵を描いたのかというのは、描いた人にしか分からないでしょうし、描いた古代の人も分からないのかも知れません。従って、こういう問題は、推論になります。     壁画とは何の壁画かよく分からないのですが、ラスコーの洞窟壁画は、確か、牛の祖先などが、横向きに描かれていたようです。目が前向きかどうかは記憶にありません。   この場合だと、あの壁画の牛は、狩猟の成功・豊饒を願って描いたものだと言われています。呪術的意味があり、牛の絵を描くことで、牛の本質を閉じこめ、牛の霊と何か契約し、牛に敬意を表しているとも思えます。     しかし、思うに、あれは、狩猟民たちの「神・精霊」に牛を捧げているのだとも思えます。前向きの牛は、こちらに向かって来る牛で、そういう姿は、牛を戦うときの姿でしょう。また後ろ向きの牛は、去って行く姿で、取り逃がした姿でしょう。すると、我が手に牛を手に入れるためには、または手に入れた牛の霊、捧げる牛とは、獲得物であり供物でもあり、そういうものは、横向きが自然でしょう。これは、牛を丁寧に観察できるのは、前向きよりも、横向きの時の方が多いということかも知れませんが、狩猟成功の祈願、供物としての奉納、いずれにしても、横向きが自然です。     変な例かも知れませんが、お正月の鯛の尾頭付きを考えると、あれは、皿などの上に横にして置いてあるでしょう。無論、魚を置くのに、あのスタイルがもっとも自然ですが、横になった鯛だと、いかにも捧げもの、奉納、何かの祈願のためのものと思えるでしょう。     横向きは牛だけでなく、他の者もそうなっているとすると、やはり、そういう「情景そのもの」を奉納しているということになるでしょう。また、正面図より、横向きの姿として、生き物は把握されるのかも知れません。動物の場合は上に述べたような理由で、人間の場合は、正面向きだと、祈願している者に何かを主張するように見えるので、あくまで、奉納としてあるように、横向きにしているのでしょう。     目が正面を向いているというのは、「目」というものは、魔術を持っていて、横方向から見た目は印象がなく、どうしても目を描くと、正面になるのでしょう。存在者は、牛であっても何であっても、霊力を持っており、それが顕現するのは視線において、つまり目においてで、魔術を持つ存在を奉納するのに、目は正面向きでないと、鯛を神棚に置くとき、目をくりぬいて置くような感じになったからでしょう。   などと言っても、まったく推測です。しかし、推測以上は無理だとも思います。  

miku333
質問者

お礼

starfloraさん、はじめまして。 御回答ありがとうございます。 質問の仕方が不十分だったと反省しましたが、適切な御回答(回答ではないのかもしれませんが、、、)を頂き嬉しく思います。 手元に資料等がないので、いつ・どこの壁画か補足することができませんが、 エジプトをイメージしていました。 「何故、そんな絵を描いたのか」というよりは、描いた人は複数いるなずなのに、 そろいもそろって横から見た絵を描いたのかという疑問です。 正確な答えはないのかもしれませんが、学術的に何か見解があるのかなと思い質問しました。 たしかに、対象となる物をどの角度でとらえるかということは、そのものに対する自分の意識が自然に表れるのでしょう。 大変説得力のある推測ですね。「なるほど!」と思いました。 一体、どんな思いで描いていたのか、どういう生活をしていたのか私なりに思いを馳せてみたいと思います。 支離滅裂なお礼となってしまい、すみません。 ありがとうございました(^-^)