かくこそありしか、
は、「かくありき」の係り結びを使った強調ですので、「このようでこそあったのだよ」という野が直訳になるかと思います。「このようであった」、では、「このようで」ってどのようであったと言いたいのか、というとNo2さんのおっしゃるように「太刀を腰に下げ…」と思われますので、質問者さんの、
「このようであった」も「これほど強かった(りりしい姿だった)」も間違いではないと思います。
さらに、No.3さんのおっしゃるように、では、「りりしい姿であったことだなぁ」という言葉をどのように解釈するかというと、詩の一部を切り取って論じるわけにはいかず、時代背景等を考察して解釈するか、自分がどのように感じるか、など主観(自分の印象)客観(データ考察)が必要になると思います。第2章の「かくこそありけれ」と比較すると「き」「けり」の違いが見えておもしろいですね。