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旗本
大岡越前守忠相以外で、旗本から大名になった人がいましたら教えて下さい。 御側衆はどのような職だったのでしょうか? 御用人や御用取次となると大きな権勢を誇る職だと思いますが、平の御側衆にもかなりの実権があったのでしょうか? 御側衆は将軍の側近中の側近だと思いますが、老中でも御側衆に遠慮してしまう事もあったのでしょうか? どちらか一つでも良いのでお願い致します。
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まず、御側衆には御側誤用取次も含まれますが、御側誤用取次でない御側衆を平御側といい、御側誤用取次と同様に君側第一の役で5000千石高の諸大夫(五位)ですが、老中待遇で、詰所も若年寄と並んでいました。 御側衆は将軍の裁可を受ける書類を老中・若年寄から受け取るという仕事があり、老中でも遠慮することはありました。 また、旗本から大名になったものはたくさんいます。 御側誤用人の柳沢、田沼、吉宗時代の御側誤用取次の有馬、加納などはもともとは幕臣ではなかったといえばそうですが、家重時代の大岡忠光はもとからの直参でした。また、あまり知られてはいないかもわかりませんが、明治維新のときにただ1つ滅藩処分された上州・請西藩林家も家斉の時代に旗本から大名に取り立てられた家です。 このように側近役の旗本から大名に取り立てられた例はたくさんありますが、大岡忠相のように側近役ではない職から大名に取り立てられた例は多くはありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 側近以外の職から取り立てられた例は少ないのですね