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ヘーゲル・カントの哲学
私は現在大学でへ-ゲルとカントについて学んでいます。ですが、どうも自分なりに次のことが理解できずに悩んでいます。よろしければ分かる方がいらっしゃったら教えてください。 -ヘーゲル- 『経験』にかんすることで、経験の成立過程とそれに伴う真の主体とはなんなのかがよくわかりません。 -カント- 『現象』にかんすることで、ア・プリオリとか経験的自我とか超越論的自我の関連が難しいです。とくにその成立過程についておしえてください。 漠然とした質問で答えずらいと思いますが、よろしくおねがいします。
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質問者が選んだベストアンサー
体調があまりよくないので、長い文章を書くのが少ししんどい状況にあります。 少しずつ書いていきますので、途中、レスポンス、ください。 回答が少し遅くなるかもしれませんが、レスポンスをくだされば必ず答えますので、よろしく。 まず、質問者さんが、いったいどのくらいの知識をお持ちの方かよくわからないので、少しお聞かせください。 まず、カントの方から片付けていきましょう。 〈ア・プリオリ〉がなんなのか、〈ア・プリオリ〉な総合判断はいかにして可能か、というあたりを聞いてらっしゃるわけではないんですね? これは「純粋統覚」あたりのことを聞いていらっしゃると考えていいのかしら。 えとえと、わたしが教わった先生は、「経験的自我」「超越論的自我」というふうにもんだいをたてずに、「経験的統覚」「純粋統覚」として、「時間は純粋統覚という意識の自己認識であり、意識の可能性の条件そのものである」というところから、ここを読んでいます。 十年たつと、問題の立て方も変わっちゃうのかもしれませんが(笑)、そこらへんを説明したらいいのだったら、そうおっしゃってください。 むずかしいところだから、どこまでできるかわからないんだけど。 わたしも普段、全然使わない領域なので、一緒にぼちぼち読んでいきましょう。 あと、どこらへんまでわかってるか、できれば教えてくださると助かります。