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イギリスへのドイツ移民について

1815年から1945年の間にイギリスへ移民したドイツ人は、なぜ都心部ではなく郊外に移り住んだのでしょうか? よろしければ、教えて下さい!!

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  • ss79
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回答No.3

移民という言葉の定義に違いがある事をご説明で良くわかりました。 国境を越えれば移民と表現するのであれば完全に私の早とちりでした。 ハンザ同盟の商人は結果的にドイツの植民地を拡大していった役割もありました。 その点でドイツ人コミュニティの形成は十分かんがえられますね。 EUの精神が既に中世にも存在したのかと思うと楽しくなります。

その他の回答 (2)

  • ss79
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回答No.2

質問の意図を少し読み違えていました。 補足です。 確かにアジヤ人の移民は、西洋社会とかなり異なる風俗習慣なので個別には住みにくく、又群れる風習から集団サークルを形成する傾向があり、チャイナタウンや日本人町を建設します。  また棄民といわれた程貧困な層が多かったのも事実です。 これに対し、ドイツ系移民は思想信条などによる事が多かったのだと思います。  従って特にユダヤ系ドイツ人の場合群れ意識もあり既存の社会との摩擦を避ける配慮が働いたのでは・・。 アイルランド系は信仰上の差別もありイギリスとの歴史的確執を無視できません。 移民先から故国への往来があったというのは初耳ですが事情がわかりません。 教えていただければ幸甚です。  故国を棄てる覚悟をしたのですから。 ただドイツ人は旅行好きですから長期滞在くらいの感覚が考えられなくはありませんが。

fairytale1128
質問者

お礼

回答ありがとうございます!とても親切な方ですね☆ すごく嬉しいです! >既存の社会との摩擦を避ける配慮が働いたのでは・・。 一つ気になるのが、中国系移民よりもドイツ移民の方がはるかに早くイギリスに移民をしていたのではないかということです。 中世のドイツに存在していたハンザ同盟の商人の中には、イギリスに移民していた者も多数いたという資料が残っています。 もしかすると、彼らがイギリスの郊外にドイツ系コミュニティを作ったのかもしれないですね。 移民は本来、移動にともなうリスクを最小限に軽減するために、既存コミュニティを頼る傾向にあったと思うので、1815~1945年のドイツ系移民は、それ以前に郊外に作られていたコミュニティを頼ってそこに移動したのかもしれませんね!推測でしかないんですけど。 >移民先から故国への往来があったというのは初耳ですが事情がわかりません。 前にも少し述べましたが、日本語の『移民』は、本来労働を目的として国境を越えて移動する行為のことであったり、定住することを目的として移動する人々を指します。 一方、英語の『migration』は、一時的な滞在者と移民先に永住する人々の双方を含んでいます。 つまり、『移民』と『migration』はイコールではありませんので、『移民先から、祖国への行き来があった』ということを熟慮しようとするとき、どこか矛盾を感じるのは当たり前のことだと思います。 ですので、ここでは『移民』ではなく『migration』という概念に基づいて、ss79さんの質問にお答えいたしますね! イタリアを例にとって説明いたします。 19世紀後半のイタリアにおける農民は、農耕の他に牧羊や毛織物産業を行って家計を維持していました。 彼らは経済活動の一つとして、移動を伴う労働(牧羊など)をしていたのです。 時代が進み近代化の到来と共に国内移動が、国外移動、すなわち『migration』へと斬進的に移行していきます。 よって彼らは生活のために定住ではなく、出稼ぎとして国内、国外の行き来をしていたのです。 この概念を日本語にする時、国境を越えているという意味で『移民』という言葉が使われます。 説明が下手で本当に申し訳ないのですが、お分かり頂けましたでしょうか?

  • ss79
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回答No.1

通常移民は故郷では生活出来ない事情がなければおこらないものです。 従って貧困による経済移民、思想信条によるものとか色々あったと思われます。 多くは財産を処分して移民するわけで都心部のような費用のかかる地区には住みにくい人が多いわけです。 又既に都市に先住している人達が受け入れてくれない恐れもあります。 従って居住地区を避け郊外に住むようになったのではないでしょうか・・・

fairytale1128
質問者

お礼

回答ありがとうございます! >多くは財産を処分して移民する 当時の移民は財産を処分せずに、故郷と移民先を行き来するケースも頻繁にあったと記憶しております。【そういった意味で、日本語の移民という概念は、「migration」が持つ概念とはイコールでないので、戸惑ってしまうところなんですけれども】 説明不足で申し訳ありませんでした!付け加えさせて頂くと、、、 当時フランスや、イタリアや中国系など、世界中から集まった移民は、都心部に集まる傾向にあったのですが、その一方でアイルランド移民と、ドイツ移民は郊外に住む傾向にあったということを文献で読みました。アイルランド移民に関しては、その地理的環境から、Liverpoolなどの郊外に住んだ方が都合が良いのだろうということが分かるのですが(移民は常に行き来していたという概念のもとで)、なぜドイツ人は郊外を選んだのか分かりません。 先住していたドイツ移民によって、郊外にドイツ系コミュニティが存在していたのでしょうか?

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