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創価学会の唱題の発音に関して
こんばんは!「輝き」と申します。 また、お世話になります。 この質問は、創価学会の修行の根本問題ですので、創価学会の教学や日蓮仏法に詳しい方にお答えいただければと思います。 <質問背景> 創価学会などの富士派の唱題の発音は、「な『ん』みょうほうれんげきょう」 日蓮宗などの身延派の唱題の発音は、「な『む』みょうほうれんげきょう」 だと認識しているのですが、 創価学会の唱題も「な『む』みょうほうれんげきょう」でも良いと主張する方々がいます。 <疑問点> 背景は、これぐらいにしまして、疑問点をまとめますと、 創価学会の唱題の発音は、「なむみょうほうれんげきょう」でもいいのですか? もし、「なむみょうほうれんげきょう」でも良いのでしたら、どうしてですか? 根拠を御呈示ください。 逆に、「なむみょうほうれんげきょう」と唱えるのは間違いであり、「なんみょうほうれんげきょう」と唱えるべきであるとの根拠を他にもお持ちの方がいらっしゃいましたら、お教えください。 念のために申し添えますが、言葉が不自由な方など、なんらかの事情があって「なんみょうほうれんげきょう」と唱えられない方は、言うまでもなく例外ですが、 その場合でも、声を合わせて「なんみょうほうれんげきょう」と唱えようとする信心が大事だと思っています。
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もともと宗教とは哲学でも科学でもないのですから、「鰯の頭も信心から」ということわざのとおりに、信じていることが尊く、良いものとなります。信者同士の間であるのならば、信心が大事であることは言うまでもないことでしょう。 私は信者ではありませんが、言葉の発音や発声に興味がありますのでコメントさせてもらいます。 唱題とは音楽をしているわけではないのですから、唱題の発音の上手い下手で、信心が優れているか優れていないかを、判断することではないでしょう。 ちなみに、もし音楽的に考えたとした場合。テンポ良く「南無妙法蓮華経」と唱えれば、自然に「なんみょうほうれんげきょう」となります。無理して「なむみょうほうれんげきょう」と唱えると、リズム感が悪くなり音楽的には良くありません。 どちらが良いかを判断するのかは、どのように信じるかで決まることです。ですので、どちらでも良いし、どちらでも悪いです。
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- tetu-manabu
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結論→どちらでも良い 理由 1)御書に、こう読めと書かれていない 2)ゆっくり言うと「む」であり、速く言うと「ん」で聞こえるのが当然 3)池田先生も「む」で聞こえる時も「ん」で聞こえる時もある 蛇足 南無(なむ)は単体の時は「む」と必ず読みますよね。 だからゆっくり言うと「む」になるのは当然です。 南無妙法蓮華経の時につめて「ん」と発音するか 無理して「む」で貫くかどうかだと思います。 「ん」の方が楽ですね。 英語のdo not をドゥナッツと読むかドンッツと読むかの違いと 同じだと思います。(ちょっと違うか?) どちらも間違いではありません。こだわる事でもありません。 私は意識上は「む」です。でも聞こえるのは「ん」かも。 大事な事は真剣な祈りをどれだけの時間出来たかですよね。
お礼
今回は完璧な勝利おめでとうございます。^^/ >結論→どちらでも良い 理由 1)御書に、こう読めと書かれていない 2)ゆっくり言うと「む」であり、速く言うと「ん」で聞こえるのが当然 3)池田先生も「む」で聞こえる時も「ん」で聞こえる時もある *** 根拠としては弱いですね。^^ 1)御書に、「どう唱えても良い」とも書かれていない 2)ゆっくり題目三唱でも「ん」であり(引き題目以外)スピードとは関係ありませんね。 3)私の経験上、池田先生は、御指導でも「ん」です。題目三唱でも「ん」です。 もちろん唱題は「ん」ですね。違いますか? *** >どちらも間違いではありません。こだわる事でもありません。 私は意識上は「む」です。でも聞こえるのは「ん」かも。 大事な事は真剣な祈りをどれだけの時間出来たかですよね。 *** しかし、富士派の唱題、身延派の唱題として700年間こだわりが生じていますね。 創価学会は、法華経に帰命するのではありませんから、意識上も「ん」であるべきではありませんか?色心不二の観点からも。 信力(祈り)と共に行力(唱題)も大事な本門の題目です。 池田先生も祈りと共に必ず唱題されていまよね。 創価学会の指導、御書にもとづく根拠がありましたら、御提示をお願いします。m(_`_)m
補足
今回の質問にあたり、800文字の制限のため、当初の質問を半分以上削る結果となってしまいました。 そのため、質問の意を尽くせぬことになり、根拠ある正確な回答を得ることができませんでした。 申し訳ありません。m(_`_)m 再度、質問を整備し、再質問いたしたいと想いますので、根拠ある正確な御回答をよろしくお願いします。m(_`_)m
- katyan
- ベストアンサー率9% (201/2029)
どちらでもいいでしょう。信じているなら 信じているなら別にどちらでもいい 声に出すことが重要じゃないかな? 発音よりもっと大切なものがあるはずだよ
お礼
身延派を信じているなら「なむみょうほうれんげきょう」で良いと想いますよ。 しかし、創価学会の信仰者でありながら、「なむみょうほうれんげきょう」で良いとするには、多くの根拠が必要になると想うのです。 信じる心が大事なのは言うまでもありませんが、 「なむみょうほうれんげきょう」なのか「なんみょうほうれんげきょう」なのかハッキリしない信心では、一念にぶれが生じると想います。ふつう強く信じるときには、「これしか無い」「ひとつだけ」と信じますから。 シンプルなアドバイス有り難うございました。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
かなり自信がないですけど、どちらも近いが違うと思います。 他の方も言っているように、サンスクリクト語の音をうまく漢字に当てはめたのだと思います。 従ってもとの音と違うはずです。 呪文は音が正しくなければ、その魔術は効き目が無いとかなんとか。 「サキ」って言われても意味わからないですよね。 sake→酒 英語読みはサキ。 サキって言われると本来の意味を成さなくなり、その威力は0です。 ということで、その音の魔法を得たければ、現地の元もとの発音を真似するしか。 インディー ジョーンズが扉の前で開けゴマって言っても扉はびくとも開かない。 「そうか 昔はこういう発音だったのか」と知ったあと、その通りの発音をすると、扉は開いた。 文字ではなく音により 開く ってこともあるかも。 そうなると、「なムみょうほうれんげきょー」 だろうと 「なンみょうほうれんげきょう」 だろうと その音は何の意味を持たづ、悟りの扉はびくとも開かないかも。。。。 大地の音と共鳴しなければ、自然界のエネルギーは得られないんじゃないかと。
お礼
>他の方も言っているように、サンスクリクト語の音をうまく漢字に当てはめたのだと思います。 従ってもとの音と違うはずです。 *** 創価学会は、釈迦ではなく日蓮大聖人を御本仏としております。 南無妙法蓮華経は、釈迦の法華経に帰依すると言う意味ではありません。日蓮大聖人独自の南無妙法蓮華経です。 よって、日本語であり、日本語の発音で正しいのです。 *** >呪文は音が正しくなければ、その魔術は効き目が無い~ *** 呪文ではありませんが^^南無妙法蓮華経とは、仏の名前ですから正しく名前を呼ばなければなりませんね。 *** >大地の音と共鳴しなければ、自然界のエネルギーは得られないんじゃないかと。 *** 日蓮大聖人の南無妙法蓮華経は、日本が原地です。 700年間唱題の音律は、正しく伝えられてきたはずです。 また、微妙に違っていたとしても、正確に唱えようとする「心」「信心」によって願いはかなうと想います。 しかし、心が大事として音声の大事な点を見逃してしまう方もいると想いますから、大変意味のあるお話だったと想います。 楽しいお話ありがとうございました。
補足
>sake→酒 英語読みはサキ。 サキって言われると本来の意味を成さなくなり、その威力は0です。 *** せっかくですから、沖縄のトリビアです。 沖縄でも酒のことを「サキ」と言います。 沖縄では、威力抜群です^^ ナンミョウホウレンゲキョウの威力も抜群です。 と言うことは。。
創価学会の教学や日蓮仏法に、まったく関係ない者です。場違い承知で発言します。 『南無妙法蓮華教』の発音ですが。どちらでもよろしいかと思います。元々はサンスクリット語で書かれていて、漢文に意訳されました。勿論発音も違います。 常々疑問に思っているのですが、日蓮上人は『南無阿弥陀仏』のお題目を否定していますよね。 『阿弥陀仏』の他力ではなく、『法華経』を読んで実践する自力の勧めだと思うのですが、創価学会の方々は『南無妙法蓮華教』の連呼を強調する。 矛盾なのでは? 岩波文庫で法華経を日本語で読んだのですが、中々興味深く読めました。ようでけた本です。 質問者の答えとは違ってしまいました。お詫びいたします。
お礼
御参加有り難うございます。 >元々はサンスクリット語で書かれていて、漢文に意訳されました。勿論発音も違います。 *** テーブルは、英語(原語?)ではテーボーみたいにいいますね。 だからと言って、テーブルの発音が間違いとは言えませんよね。 もう、すでに外来語として日本語化しているのですから。 南無妙法蓮華経もすでに日本語化しています。 また、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経は、日本の仏法であり南無妙法蓮華経は、日本語です。 *** >『阿弥陀仏』の他力ではなく、『法華経』を読んで実践する自力の勧めだと思うのですが、創価学会の方々は『南無妙法蓮華教』の連呼を強調する。 矛盾なのでは? *** 創価学会は、いわば共力です。 御本尊が「仏力」「法力」であり、祈りが「信力」唱題の声が「行力」となるのです。 南無妙法蓮華経の唱題の声は、自身の中にある仏界を呼び覚ます仏の名前なのです。 身延派の場合には、妙法蓮華経(法華経)に南無(帰命)すると言う意味で南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)と唱えるようですから、仰るような矛盾が生じるでしょう。 解答に対して解答することになり申し訳ありません。m(_`_)m また、創価学会に対する矛盾がありましたら、別の機会に質問をたてられてください。できるだけ頑張って回答しますので^^
お礼
>唱題とは音楽をしているわけではないのですから、唱題の発音の上手い下手で、信心が優れているか優れていないかを、判断することではないでしょう。 *** いわゆる音楽ではありませんが、音楽で説明できる部分があるようです。世界の創価学会の池田SGI会長は、 「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の唱題の『音律』」と仰り、「信心は、題目の響きに表れる」と仰っています。 これは、日蓮大聖人の御書にも書かれています。 *** >無理して「なむみょうほうれんげきょう」と唱えると、リズム感が悪くなり音楽的には良くありません。 *** この観点は、非常に重要だと想います。 なぜなら、創価学会では、唱題のことを「妙法のリズム」と指導しています。また、私の体験からも唱題とは「生命のリズム」だと実感しています。 *** > どちらが良いかを判断するのかは、どのように信じるかで決まることです。ですので、どちらでも良いし、どちらでも悪いです。 *** 創価学会を信じるなら「なんみょうほうれんげきょう」と唱え 身延派を信じるなら「なむみょうほうれんげきょう」と唱えれば良いと言うことだと想います。 しかし、創価学会員でありながら「なむみょうほうれんげきょう」でもいいんだと言う考えはどうしても理解できません。 音楽的見地からのお話は、大きな収穫でした。 深謝いたします。m(_`_)m