「名作」というものはいらない
世のあらゆる芸術分野に「名作」があります。
音楽、美術、文学、映画ect.
しかし、ちょっと考えてみますと、芸術とは「人間性の解放」といわれるとおり、内面の発露、そのエネルギーが昇華したものだとそれば、人間の多様性によって、その方向性は360度あらゆる方向に向かっています。そして、ひとつの方向性を強制された地域や時代(共産主義社会国歌やナチズム、戦時下の日本ect.)は、非常に貧しい芸術しかなかったものです。人間とは本来的(芸術的)には一まとめになれないものです。
そこで「名作」の問題です。これはなぜそんなレッテルを貼られるようになったのかわかりませんが、あるひとつの方向性に向かった作品をそのように命名することは、人間嗜好の多様性を肯定する考えと衝突します。実際多くの人は「フ~ン、これが『名作』なのか、あんまりいいとも思えないな」という体験頻繁にするので、自分の感性がだめなんだろうとか、芸術的センスがないのかなんていう自己否定にもつながる。作家は作家で、「これは『名作』にしよう、これは凡作でいい」と思って作っているわけではない。それを勝手に、こっちは名作こっちは凡作と振り分けられるし、実際のところ自分では失敗作が『名作』などともてはやされるのは、非常に迷惑です。
なぜ、鑑賞者、作家ともに不利益になるような『名作』概念が、はびこるようになってしまったのでしょうか。そして、徐々に、個人主義の漸進的進捗によって淘汰されるかもしれませんが、なお全盛を保っている「名作主義」は消えないのでしょうか。
お礼
ご解答ありがとうございます。 多分フランシスだと思うのですがタイトルが分らないのでどうにもならん状態です。 もしわかりましたら宜しくお願いいたします。