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緘黙症(かんもくしょう)の時の苦しみが忘れられない
幼稚園で先生から心理的虐待を受けました。それから、家族と少数の友達としか口が利けないという情緒障害、緘黙症(かんもくしょう)になってしまいました。幼稚園で虐待を受ける前は、明るく無邪気な子どもでした。しかし、口が利けず笑うこともできなくなってからは苦悩の日々でした。「可愛げがない!」ということで両親から身体的・心理的虐待を受けました。学校でも先生や同級生から冷たい目で見られました。「どうして口を利かないの?」と訊かれても、幼稚園時代の心の傷を見つめることができず、説明できなかったのです。幼稚園時代のことは、誰にも話すことができませんでした。苦しさを周囲から理解してもらえず「何で黙ってるんだ!」と怒鳴られたり殴られたり意地悪なことを言われたりする毎日でした。過去のことなのですが、思い出すととても哀しいです。注意されるので、必要なことは話すように、自分なりの努力はしました。しかし、少しずつしか話せるようになれなかったため、周囲からは「全然努力しているように見えないよ!」と冷たく言われてしまったりしました。「口を利きたいのに利けない」というのは、大変な苦しみでした。小学校5年の頃から自殺を考えていました。中学2年の担任の先生から「そのままじゃ、社会で通用しないからね!」と言われて「社会に適応できないならば、生きていても仕方がない」と人生に絶望しました。高校の時、うつ病になりました。カウンセリングを受けるなどのかなりの努力をして、今は普通に口が利けて、笑うこともできます。元恋人からは「過去のことは振り返るな」と言われました。しかし、哀しみが大きすぎて、なかなか過去のことにできません。この心の傷は癒されるのでしょうか? 誠に勝手ながら「甘えている」などの批判的なご回答はご遠慮ください。
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- botibotikame1
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現在21歳の女です。私も4歳から中学までずっと場面緘黙症でした。 中学の時決死の思いで緘黙から抜けだしましたが、大学生になった今も3人以上の会話・雑談は全く出来ないままです。 物心ついた頃から、家族以外の様々な対人関係にどれほど苦悩し、そのことで責められ続けてきたか分かりません。 とても苦しかったし、こんな変な人は自分以外いないんだろうと思っていました。 特別なことは何も望んでいないのに。ただ、皆と同じように笑いあったり、くだらないことでふざけてみたり、そんな当たり前の日常が欲しいだけなのに。どうして上手くいかないんだろう?って何度も思いました。 質問者さんの言われている苦しみ、自分とぴったり重なって見えます。 本当に、生きるって難しいしたくさんの苦しみが伴いますね。私も、21年というこれまでの短い人生の中で何度涙したか、何度人生を呪ったか分かりません。 どうするのが最善なのか私にも分からないし、過去の傷が完全に癒される日はくるのか、誰かに教えてほしいです。 (ちょうど私も今緘黙について質問を立てているので、参考になるか分かりませんが良かったら見てください) すみません。回答になってないですね。 でもこの質問を見たとき、あまりにも質問者さんの苦悩が自分と重なって見え 回答を書き込みたくなりました。 私からは何も良いアドバイスは出来ませんが、質問者さんには幸せになってほしい、只そう思います。 自分と同じように闘ってきた人がいるって知れただけでも、すごくすごく心強かったです。ありがとう。
- ienokana
- ベストアンサー率0% (0/0)
私も子供の頃、場面緘黙症でした。 あまりにも質問者さんの言われたことや経験が似ているので思わず回答したくなりました。 小学校の時は先生とは当てられても話しかけられても答えることができず 私がしゃべるまで授業をやめませんと先生が言って日が落ちるまでみんなの前に立たされ続け、みんなに恨まれたことや痛い視線など今でも思い出します。 大人になった今でも対人関係であまり言葉が出てこなかったりすると当時の嫌な思い出や申し訳なさで一日ぐらいずっと思い悩んでしまうので、私も脱却できていないのですが… 振り返るなと頭ではわかってても結局思い出してしまうので 私なりの方法ですが物語のように子供の頃の話をノートに書いて、書いてる最中つらいので泣きまくって書いてるんですけど書き終わったら少しすっきりしてます。 そのノートを落ち込んでない時に物語として読んでみると少しつらくもありますが、この子(子供の自分)すごくひどいこと言われて、誰も自分も場面緘黙症のことなんか知らないし、誰もわかってくれなくて冷たい目で見られて毎日怒られて呆れられてそれでもちゃんと学校行ってて小さいのにすごく頑張ってるなーと客観的に見れて小さい頃の自分を認めてあげられてる気がします。つらい思いに焦点をあてるというよりは物語(事象)に焦点を移して整理するというかんじです。といっても専門家ではないのでこれが解決策になるかわかりませんが…どうしてもつらいつらい事ばかりがリフレイン状態になっているなら少しすっきりする気がします。 私は小学生の頃、あまりにもしゃべらないので母が私を催眠術にかけて明るくて素直な子にしようとまでしたことがあり、思い出すたびずっとトラウマで、母のことをどうしても許せなかったのですが 今思うと催眠術って…ちょっと面白エピソードだなと思ったりします。ちなみにまったくかかりませんでした。 質問者さんのように同じように悩んでいる方がいるとわかっただけでも私はすこし癒されました。やっぱり自分だけがおかしい子供と思っていたので。 それに質問者さんの返信などを見ていると他人の言葉に過敏な分とても丁寧だし気づかいもあって社会に出て質問者さんのような方がいると私はありがたいです。 子供のころも今も大変な思いをされてきたと思うのでこれから自分の好きな人生を満喫できるよう願っています。(私も!)
- LHS07
- ベストアンサー率22% (510/2221)
過去は変えられます。 いい思い出にすればいいのです。 誰でも過去はあやふやなものです。いい加減なものです。 友人と少し話し合ってみてください。不一致点が必ず見つかります。 だから過去にこだわることは無意味なことです。 過去の自分のことだけを考え続けることは、だんだん心が病んでいきます。 人のことを考えると、人の幸せを考えると癒されます。 将来に目を向けることです。 どうしても出来なければカウンセラーですが 1時間1万円です。指導によって過去を見てください。過去を見ても良く治ることどころか悪くなる人もいるとあるカウンセラーは言っていましたよ。 私は過去を見て地獄に落ちました。一時的によくなると思ってしまうのですね。 カウンセラーに唖然とした顔で「未来をみないと!}といわれショックでした。
- surugasyun
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僕も緘黙症です。 原因は幼稚園教諭からの心理的虐待。 僕もまったく同じです。 学校生活はかなり辛かったですね。 子ども時代に比べればましだけど 今でも完全には治っていません。 心の傷はどうやったら癒されるか? 僕が思うにはずっと心にしまって置くと辛いと思うんです。 身近に人に話してもあまり理解されなかったり 気まずい思いをしたりするから ホームページやブログに書いてみるのもいいかもしれません。 緘黙の人は他にもいるので共感したりすれば 多少は癒されるかと思います。
- orngegirl
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あたしも場面緘黙症と言われたことがあります。 小6ぐらいから、ほとんど家や特定の友達としか話せず本読みや歌のテストもしていませんでした。 話さずにいると「なんか、しゃべってー」とか言われてムカついていました。 中学の時に担任の先生の紹介で通ってた教室に行くようになってから、少しずつ話せるようになりました。 今は仕事場でもプライベートな話はあまりしないけど、なんとか話せています。 幼稚園からなんて、長い間苦しんでいたんですね。 頑張ってください。 回答になってなくてすいません。
お礼
場面緘黙症の経験者の方からご回答いただき、嬉しく思います。 「なんか、しゃべってー」 と言われて不愉快だったお気持ち、とてもとても、よくわかります。 話すことを強要されるのは、いやですよねー。 小学校の頃は、一生懸命声を出しても蚊の鳴くような声しか出せませんでした。 一生懸命声を出しているのに 「聞こえなーい!」 と意地悪な口調で言われたりして、とてもつらかったです。 同級生から話しかけられた時、答えられずにいたら 「本当は口が利けるのに、利かないなんてずるいよ。身体障害者の人のほうがよっぽど頑張ってるよ!」 と言われて、とてもいやな気持ちでした。 小学校の4年生の時、転校することになりました。 いつもは私を無視していた同級生から 「今日、最後だから、一緒に帰ろう」 と言われて、一緒に帰りました。 30分くらいの帰り道の間、延々と 「ちゃんと口を利かなくてはいけない」 とお説教され続けました。 とても気分が悪くて、転校してから、手紙の返事を書く気持ちになれませせんでした。 「口があるんでしょう?」 というフレーズは、耳にタコができるほど言われました(苦笑)。 しかし、お互いに克服できて、良かったですね。 ご回答、嬉しいです。 ありがとうございます。
緘黙症を克服して今では普通に話したり笑ったり出来るようになったのですね。良かったですね。 幼稚園から高校の時というと、十年以上ですね。 長い間苦しかったことでしょう。 今おいくつかわかりませんが、緘黙症は克服できても、そのときの苦しみからまだ抜け出せないでいるのですね。 この苦しみから抜け出せるのにはもう少し時間がかかるかもしれません。 あまりにも長い間大変な思いをしたのですから、すぐに忘れられないのは当然のことと思います。 悲しいのは緘黙症だったことではなく、あなたの精神的なつらさを誰にも受け止めてもらえなかったからでしょう。 そして今も理解してくれる人がいない、そうですね。 あなたの周りの誰かが、つらかったね、とひとこと言ってくれれば救われるのではないでしょうか。 いつかそういう人がきっと現れます。 それから、あなたがつらかったときにさらにあなたを傷つけるようなことを言った人達。 この人たちはわざとあなたを傷つけようとしたのではないと、理解してあげてください。 たぶんどういう風に接してよいかわからずに、間違った方法をとってしまったのでしょう。 自分以外のことは理解できない心の狭い人達なのです。 大人なのにね。人を思いやれない愚かな人達です。 その人達はあなたの苦しみをもしかしたらずっと理解できないままかもしれない。 でもあなたはきっとその人達のことを理解して許すことが出来るようになると思います。 そのとき哀しみはいくらか薄らぐのではないでしょうか。 時間はかかるかもしれません。 でも一生治らないかもしれないと思っていた緘黙症を克服できたのだから、今の辛さもきっと克服できる時が来ますよ。 自分を信じて、頑張ってくださいね。
お礼
克服するには、10年どころか20年以上かかりました。 正確な年月を書くと年齢がわかってしまって恥ずかしいので書けません。 社会人になってからは、仕事では普通の人と変わらず口が利けるようになっていましたが、休憩時間や飲み会で同僚と雑談ができなくて、苦しかったです。 社会人になってからは周囲も大人ですし、私も仕事ではきちんと話ができるくらいに回復していたので、極端に意地悪なことは言われなくなりましたが、学生時代までが、特につらかったのです。 回答者さまが察してくださったとおり、緘黙症そのものの苦しみ以上に、周囲の理解が得られず「努力が足りない!」「変な子!」などと責められていたことのほうが辛く、心の傷になっています。 名前すら知られていない情緒障害なので理解が得られなかったのは仕方がないとのですが、たった一人でも、わかってくれる人がいたら、随分救われていたと思ってしまったり、もう少し早く克服できていたのではないかと考えてしまったりするのです。 友達にすら理解してもらえず、意地悪なことを言われていましたから。 おっしゃるとおり、わざと傷つけようとしたのではないと思います。 私も、自分が緘黙症でなかったら、緘黙症の人を理解できず、意地悪なことを言ってしまっていたかもしれないと考えたりします。 しかし、そういう風に考えてみても、哀しみが消えないのです。 人を許せるようになりたいです。 アドバイスのとおり、許せるようになったとき、哀しみは薄らぐような気がします。 時間が必要なのでしょうね…。 「一生治らないかと思っていた緘黙症を克服できたのだから、今の辛さもきっと克服できる時がきますよ。自分を信じて、頑張ってくださいね」 とのお言葉、心に深く沁みます。 とてもとても、嬉しい気持ちでいっぱいです。 回答者さまの温かく優しいお言葉で、少し気持ちが楽になれました。 本当に、本当に、ありがとうございます。 心から、感謝いたします。 自分を信じて生きていきます。
- utakata2005
- ベストアンサー率0% (0/1)
はじめまして、kazenoyouniさん。私が思うに、文面を拝見させていただいたかぎりでは、かなり自分のことを表現できるようになっているようで、もしくは言葉より書くという行為のほうが表現しやすいのかもしれませんね。ところで、「この心の傷は癒されるのでしょうか?」とのことですが、「癒される」とはあなたにとってどういうことだと思いますか?それは忘れることですか?それとも距離を置くことですか?私は嫌な事があると距離を置くことにしています。「過去と他人はかえられない」という言葉がカウンセリングの場にはあるそうです。過去を変える、つまり忘れることはできないし、私が変わるためには、私自身が気づき、選択していかなければならない。周りの人達は選択肢を増やしてくれるだけで、自分で決断しなければならない。だから、私はこれだと思うことが見つかるまで、距離を置いてちょっと遠回りをすることにしています。近道だと思って曲がったら迷ってしまった、ということは良くあります。いいんです、良く知ってる大きな通りを歩いていけば、迷わずに目的地に着くんです。ゆっくり歩くといろいろなことが見えてきます。そして、何度も何度も通ううちに、ちょっとずつちょっとずつ、自分の「読み」とか「コツ」みたいなものが生まれてきて、ふとした時に近道が見つかったりします。ただ、ここまでお話してきてなんなのですが、毎日同じ道を歩くのも好きだったりします。なぜって、毎日同じ道のようでいて、必ずどこか違うからです。それを見つけたとき私は微笑まずにはいられません。そんなのもなんかいいかなと思います。(なんだか取りとめがなくなってしまい申し訳ありません)
お礼
おっしゃるとおり、緘黙症だった頃、話すことはできなくても、それ以外の感情表現ならば普通の人と同じようにできていました。 絵や詩を描いたり、ピアノを弾いたりといった、声を出さないでできることはとても好きでした。 私は、過去のことを忘れることは不可能だと思いますし、また、その必要はないと考えています。 つらかった経験を通して、学べたことも多いからです。 人に、意地悪な言葉や冷たい言葉をかけないように、普通の人以上に心がけるようになりました。 おかげで、よく 「話し方・言葉使いが丁寧で優しい」 と褒めていただけます。 それでも時々は、人を傷つけてしまったり不愉快にさせてしまったりするのですが…(涙)。 「癒し」というと難しいですが、楽になりたいという気持ちです。 つらかったことを思い出しても、あまり哀しみの感情が湧かなくなれればいいと思っています。 「つらかったな…。でも、それがあって、今の自分があるのだ。貴重な経験をした」 と、頭だけではなく、心から感じられるようになりたいのです。 今はまだ、頭だけなのです。 大変丁寧なご回答、どうもありがとうございます。 とてもとても、嬉しいです。
- I_for_U
- ベストアンサー率26% (28/105)
そうなるとPTSDみたいなものなんでしょうかね。精神科の先生によって、 1.徹底的にトラウマを掘り出してそれを再構成する治療 と 2.むしろトラウマは置いておいて、今からの人間関係を良くする方法 と2通りあるようです。 >カウンセリングを受けるなどのかなりの努力をして、今は普通に口が利けて、笑うこともできます。 いい兆候ではないかと思います。
お礼
早々とご回答ありがとうございます。 心理療法でも二通りあるのですね。 普通に話せて笑えるようになって、積極的になり、自分でも、とてもとても、喜んでいたのです。 普通に口が利けること、笑えることが、私にとってはまさに奇跡なのです。 昔は、一生、治らないかもしれないと悲観していましたから。 しかし、うわべは普通の人と変わらず会話はできていても、人の言葉に神経過敏で、すぐに傷ついたり、被害妄想に入ってしまうのです。 例えば、口が利けなかったことで長年、変人扱いされてしまっていたので「変わってるね」と言われただけで、自分を否定されたように感じてしまい、パニック状態に陥ると言った感じです。 今は傷つくことを恐れて、再び、昔のように自分の殻に閉じこもり、あまり口を利きたくなくなってしまっています。 意地悪な言葉を言われ続けてしまったため、悪意のない言葉であっても、悪意のように受け取ってしまう癖がついてしまっているのです。 癖を治したいのですが、なかなか治りません。 そこで、ここで質問させていただきました。 ご回答、どうもありがとうございます。 私のことを考えてくださる方がいてくださるという事実が、私にとってはとてもとても嬉しいのです。
お礼
緘黙症の方からのご回答、とてもとても、嬉しいです。 また、緘黙症の原因も、幼稚園教諭からの心理的虐待ということで私と同じなので、ご回答いただけたこと自体がとてもありがたいです。 やはり、学校時代は辛かったのですね。 周囲から理解してもらえないのは辛いですよね…。 身近な人に話しても理解してもらえないというのは、私も感じます。 今も、一番身近な家族ですら理解してくれていません。 こう書くと不遜かもしれませんが、緘黙症については経験者本人しか理解できないかもしれませんね。 少し特殊な心理ですから。 私はうつ病になってから、いろいろな専門家のところに相談に行きましたが、緘黙症についての知識のある方には出逢えませんでした。 ホームページやブログというのは、いいですね。 特にブログは、ホームページよりも簡単に作れるようなので、作ってみたいです。 質問で 「今は普通に話したり笑ったりできています」 と書きましたが、まだ、大勢の人がいる場で話すのは少し億劫です。 「おとなしい人」という風に見られます。 この心の傷が癒されれば、もう少し活発になれるのかもしれません。 以前は「おとなしい」と言われることですら、批判されているように感じてしまい、ものすごく不愉快でした。 しかし、現在は「おとなしい」と言われる自分を受け入れることができるようになりました。 「でしゃばり」と思われるよりは「おとなしい」と思われるほうが、個人的にはいいと思いますので(苦笑)。 それに「おしゃべり」と思われるよりは「無口」と思われるほうがまだマシと感じられるようになりました(笑)。 ご回答、とてもとても、嬉しかったです。 涙が出るほどです。 どうか、ご回答者さまの心の傷も癒されますようにお祈りさせていただきます。 本当に、どうもどうも、ありがとうございました。 インターネットのどこかでご縁がありましたら、緘黙症について、いろいろとお話したい気持ちです。