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緘黙症の為か、大学生活が上手くいきません。
2011年現在、大学一年生になった私ですが、毎日が不安や後悔やもどかしさを感じる日々でつらい思いをしています。 (上手くまとめて書けていませんのでスクロールで一番下まで読み飛ばしても構いません) (以下、大学入学以前のことについて書いてあります) もともと恥ずかしがり屋で人見知りの私でしたが、中学に入学した頃を境に他人と同じような生活が送れなくなってしまいました。学校では生徒とも教師とも話せなくなってしまい、自分の教室とは違う場所(所謂保健室登校のようなもの)で中学生活を送りました。 高校では人生を立て直す気持ちで頑張ろうと思いましたが、結局そこでも誰とも口が利けない独りぼっちの生活を過ごすことになりました。 しかし、私はその頃から自分自身が何故このような人生を送ることになってしまったのか、その原因を調べるようになりました。当初は「対人恐怖症」や「鬱」などの言葉で調べていましたが、高校を卒業し浪人中の身であったときに、「場面緘黙症」というものを知ったのです。「緘黙症」はまさに長年つらい思いをしてきた中で、その苦痛を与えてきた根源たる正体に限りなく近いものであると私は確信しました。 私が緘黙症について調べているとき、当然のことながら『かんもくネット』というサイトに辿り着くことになりました。そしてその中の「Knet資料」に目を通していたときでした。私は驚愕しました。「資料No.6」は私が高校二年の夏に担任教師に渡され真剣にその内容に答えた資料そのものでした。私が長い間求めてきた「緘黙症」という答えを、担任教師及び学校側はすでに知っていたというのです。私は驚きも然ることながら、愕然とした気持ちになり悔しさすら覚えました。私が「緘黙症」でつらい思いをしていることも知っていいたにもかかわらず、私に対して支援らしいことをしてくれなかったのです。高校二年の夏、その資料を渡されたとき、私はついに待ちに待った時が来たのだと心躍る思いでした。それから待ち続けること一年と半年、私が高校を卒業する直前になって再び同じ資料を渡されました。今更なんなのだ、精神的に晴れやかとは言えなかった当時の私は、冷めた目でそれを見ていました。 一年の浪人生活を経て、私はさして頭の良い人たちが入るようなところではない、ランクを下から数えたほうが早い私立の大学へ入学することとなりました。あまり人間的に良い教師に囲まれていた思いがなく、多感で繊細な心を持った時期であるがゆえに、理性的に物事を判断することが難しかった中学高校の頃と違い、その六年間(浪人中を含めれば七年間)の間に数々の場数を踏み、地元からいくらか離れた土地で知り合いもいない大学でなら、今度こそ立ち直らせることができるのではないかという気持ちを、私は心の片隅に抱いていました。 (以上、大学入学以前までのことについて書いてあります) 大学入学直後は、さすがに私も緊張していたためか軽い興奮状態で、多少小声ではあるものの自分から声を掛けたりしたことも二、三度ありましたが、程なくして頭が冴えてきたのか、今では出席確認の際の返事以外では声を発することができなくなってしまいました。 そのため友達を作ることもできず、授業中に当てられても答えられず、近くの席の人とペアを組んだりする際も何も答えられず、周囲からは奇異な目で見られ、授業の雰囲気を悪くさせてしまったりしてしまいます。 最近ではある特定の人物に嫌がらせのようなことをされてしまい、精神的にとても苦痛に感じ夜も眠れず、そうしたトラウマにも似た不安や怒り、恐怖といった感情で一週間ほど悩んでしまいます。(緘黙症についての知識がないことを考慮に入れても、あまりに非常識な人であると私は思っています) 緘黙症については専門家や医師の診断を受けたわけではなく、あくまでも自己診断になってしまいますが、そのことも含めて大学の相談員、あるいは学外のカウンセラーに相談したいと思ったこともあったのですが、どちらにせよ話すことができない私に、話すことができないことについて相談することは非常に困難なことで結局出来ず仕舞いでした。 私の人生はいつもそうなのです。私は自分自身とても真面目で素直で優しい人間であると自負しています。それなのに、傷ついた人を嘲笑い追い打ちをかけるような人が人生を謳歌し、私のような人が不条理なほどにつらい思いをしながら毎日を生き、そこから自分の意志で力を振り絞ってその悪循環から抜け出そうとしたときに限って、運命はそれを拒み甘い顔をして逃げ道を用意する。「頑張らなくていいんだよ」 そんなささやきが私を地獄の無限回廊に連れ戻す。 何か一つにこだわれない私は決まった目標すら持つことができず、こんな私では働くこともできないため仕方なく大学へ入ったものの、未だに未来はおろか今現在のことすら満足にできず、このつらい思いをだれにも相談できないまま日々限りある時間は減っていき、一日過ぎるごとに何もできなかった今日の自分が嫌で嫌でたまらない思いです。 そんな私もまだ完全に希望を捨ててしまったわけではありません。大学ではやはり今でもおとなしそうな子が一人でいるところを見かけます。そのうちの二人ほどは独りの私に気を使ってくれて優しく声を掛けてくれることもたまにあります。私はそんな人たちに声を掛けて仲良くなりたいと、ひそかに考えています。しかしそのこたちは正真正銘の「独り」の私と違い、幾らか仲の良さそうな人と話しているところを見かけます。そんな場面を見ると、私なんかがその間に入ることなど恐れ多く、そもそも緘黙症の私は声の掛けようもなく、そんな機会があるにもかかわらず何もできなかった日には、後悔と自責の念に夜も眠れません。 長年こうした暗い日々を送っているとネガティブになってしまい、正直自分以外の人を信じることができなくなってしまいます。それどころか、いまでは何もできない自分自身にすら自信が持てなくなってしまいました。最近の私の口癖は、「何かが上手くできる気がしない」です。死にたいとは思ってはいませんし、むしろ何も楽しい経験をしていないのに死んでたまるものかと思っています。しかし現実は人並にすら満足する生活を送れておらず、正直死んだほうが楽なのかなとつい考えてしまいます。 とても長々と書いてしまい、書いている間も昔のことや今現在の不安を思い出してしまって理路整然としない文章になってしまい大変恐縮しています。とても書きたいことを上手くまとめた文章ではありませんが、最後に改めて質問内容書かせていただきます。 自己診断になりますが私は場面緘黙症であると思われます。そのため大学では授業にはうまく参加できず、友達も作れず独りぼっちで、私にデリカシーのないことを言ったり嫌がらせをしてくる人がいて、毎日、不安や怒り、後悔や自責の念で精神的に疲弊して夜も眠れません。それらのことを誰かに相談したくても、緘黙症の為誰にも相談できず悪循環に囚われています。将来の目標すら持つことができず、私一人ではもうどうすることもできません。どなたか私を助けてはいただけないでしょうか。 改めて長文失礼しました。ごめんなさい。
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- whitebear3
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辛いお気持ちはよくわかりましたが、 やはり質問者様がどうにかしてでもご自分を変えていくしかないと思います。 場面緘黙はあまり知られていません。 教育機関でもろくに対応してもらえなかったくらいなのですから、 ましてやただの大学生が知っているわけないでしょうし、 そもそも会話にならないのですから 自分が緘黙症で、それを相手に推し測ってくれ、 配慮してくれというのも難しい話でしょう。 話したいけど話せない、 話そうと思うとよけい話せなくなる、 私自身も幼少期は緘黙傾向の子どもだったので、 辛さはよくわかります。 話し上手で人気者の友達がうらやましかった。 暗い暗いと言われる自分が嫌だった。 担任にも私の存在はわずらわしいと思われていたような気がします。 (反応がない・薄いのですから相手はイライラするでしょう) なので親の転勤・転校を機にリセットし、 がんばって話しかけてみるようにしました。 そしたら友達がたくさんできて、 いつのまにか昔とは真逆のタイプになっていました。 人生、まだまだ長いです。 就職はどう考えているのですか? 緘黙だから仕方ないでは社会で通用しません。 理解のない周囲に問題がある、ではすみません。 結婚は? 配偶者とだけは話せる、では結婚生活は絶対に成り立ちません。 義親、義兄弟姉妹、義理の親戚、配偶者の友人知人、子どもの友達その親、 子どもの担任、ご近所さんなどなどたくさんの人たちとの接点が増えます。 その人たちといかにうまくやっていくか、切り盛りしていくかが 問われます。 辛いでしょう、苦しいでしょう、 でも結局のところ今の現状を打破するには 何としてでもご自分を変えていかなくてはいけません。 そのためには精神科や心療内科での診療や 臨床心理士など専門家のカウンセリングを受けるなり、 失敗を恐れず話しかけやすそうな人から話しかけてみるなり、 とにかくなりふり構わずやるしかないでしょう。 少なくともネットではしっかりと自分の意見をこうやって 述べることができているのですから、ネット上での友人作りから はじめてみるとか、いろいろ方法はあると思います。 今のままでは誰も助けてくれませんよ。 自分の人生は自分次第でしかないのです。
- kyoneko
- ベストアンサー率33% (1195/3586)
難しく考え過ぎだと思います。 これだけ、理論武装されていらしたら行動に足かせがかかります。 仰るように、今の時代、正しいだけでは通りません。 いい加減でもうまい人だけが世を上手に渡ります。 周りの人とか過去の経験に対する恨みはとてもわかりますし、いちいち事実なんですがそれは何の意味も持ちません。 それより軽く毎日をやり過ごす、若い時代を真剣にまたあるときは楽しく生きる毎日を過ごすことが大事だと言えます。 病気であれば治療は必要ですし、努力でなんとかできるものだったら一歩殻を破って前に進む。 どんなに明るく見える人だってそれなりの葛藤はありますよ。 これだけ長い理路整然とした文がお書きになれるのに、ある症状を気にされて立ち止まるのはもったいないと思います。 助けてもらうことが出来る為には、受ける器官が発達してないと受けられないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分でも考えすぎであると、ふと我に返って思うことがよくあります。それでも、自分を苦しめるものの正体を知りたいと考えることは、無意識にも当然の成り行きだと思います。 周りの人たちに私の悩みが知れないのと同じように、やはり私も誰かの悩みを外見だけで知ることは難しいことなんだと思います。でも普段明るく楽しそうにしている人たちの悩みを、何も知らない私はうらやましく思っています。友人関係、恋愛関係、学校関係や家族関係など日常のありふれたものから他人には理解しがたい深刻なものまで、様々な悩みや葛藤が人の数だけあることでしょう。しかし、私は普通は悩むことがないはずの部分で悩み、皆と同じ土台に立つことすらできないのです。悩みなんて無いことに越したことはないのかもしれません。しかし悩むことで人は成長することもまたできるのかもしれません。私はただ他の人と同じように当たり前の日常を送りたいだけなのです。 また余計な事ばかり書いて長くなってしまいましたが、少しだけ元気が出てきました。 ご回答ありがとうございました。
- fmat
- ベストアンサー率35% (39/111)
話せない、ということですが、これだけの文章をまとめられるのですからこれをプリントアウトしてカウンセラーなり神経内科にもっていって相談すればいいことです。 うまくいかないことを「緘黙症の為」と病気のせいにしないこと。
お礼
簡潔なご回答ありがとうございます。 以前一度だけ、大学の相談員に相談をしようと研究室の前まで赴いたことがあります。そのときはどうやら不在のようで、(相談員がいるはずの時間に行ったはずなのですが) ドアをノックだけし不在であることを確認して戻ってきたことがあります。今でも時々その研究室の前まで来てドアの上部にある窓から光が見えないかと確認しているのですが、どうも在中の時間と上手く合わないようで、暗いままのときが殆どです。正直、緘黙症についての知識があるのかどうかも分からない相手と、何が起こるかわからない相談に不安なくして挑むことは考えただけでも難しいことのように私は思います。 これまで、話すことのできない私は「口で言えなければ紙に書け」ということを何度も言われてきました。その度に私は断固としてそれを拒否してきました。なぜなら、本来皆と同じように話せるはずの私が、紙に書いて筆談するということは私のプライドをひどく傷つけるものであったからです。私はやればできる子だ、そう自分に言い聞かせて早七年。実際には体が言うことを聞いてくれず悔しい思いを幾度となくしてきました。 しかし、ここで質問したものをプリントアウトして渡すという方法であれば少しだけ気が和らぐような気がします。それでもやはり、抵抗感がないとは言い切れませんが、もう一度頑張ってみたいと思う私がいます。 またも長くなってしまいましたが、他人と話せない私にとってここまで自分のことを書いたことは初めてだったので、つい長々となってしまいました。 改めてご回答ありがとうございます。 ついでにですが、上手くいかないことの殆どの原因が緘黙症にあるように思えるのですが、なるべく前向きに考えより良い理想の為に頑張りたいです。
- wagaseha
- ベストアンサー率33% (8/24)
回答にもならない素人の意見と考え、そして自分の主観に基づくことを書くので気分を害したり、イラつくとは思いますが書かせていただきます。 私が文面から読み取れることは、まずあなたがとても人付き合いに関して消極的であり、ただ拠り所を求めてるように感じます。自分は優しくて良い人であるというのは誰からの評価なのでしょうか?自己分析というものは基本的に自分から見た自分と他者から見た自分を合わせていき、そこから導き出されるのが自己分析の通常の考え方だと思います。人によっては自分から見た自分だけを自己分析だという人がいますから正解というのはないかもしれませんが。 とりあえずは、あなたがいい人であると「仮定」しましょう。ですが、あなたはいい人だと思うために無口であり人との接触を避けているように思えます。厳しく言いますと、自分が喋れないことに関しての精神的言い訳と自分を自分で特別視したいという甘えです。自分は特別だから他者が自分に嫌がらせするのはおかしいという甘い考えです。そしてあなたが喋りたいのは自分と同じような口下手な人とだけということ。 あなたは結局のところ自分の居場所を自分では決めずに人に用意してもらおうという甘えた考えです。あなたはおそらく口下手の人と喋れるようになれば常にその人と行動するような人になるでしょう。なぜならそこが自分がいい人でそこにいるのが「当然」だからという考えが来るからです。 あなたは努力できない自分の言い訳に周りの人のことを悪く考え、環境を悪く考え、あげく自分の自己診断で病気だから仕方がないとそんなことをいう。そんな人間を助けてくれるのはあなたを可哀想だから喋ってあげようという人と、お金をもらって接してくれる精神科などの先生方たちでしょう。 助けてください?あなたの何を助けたらいいのでしょうか?助けるというのは救うことではなく、サポートすることです。あなたの居場所を作ってあなたを放り込むことではありません。 これからの大学生活でも、社会に出てからでも、あなたが変わろうと思い努力しなければ今と変わらず自分は特別なんだという考えにしがみつき一生を言い訳で過ごすことになると思いますよ。 あなたの考えにアドバイスなどはできないでしょう。アドバイスも努力して詰まってしまった人の手助けになると思うからいうのです。今のあなたには何も手助けや応援などは全く出来ません。 そして、この文章で私をひどい人だという認識になるのでしたらそれこそ甘えた考えだと思います。 長文失礼しました。
お礼
厳しいご意見ありがとうございます。正直に言うと、私はこれを読んでとても嫌な気持ちになり、私なりにできる努力をしているつもりだと、これまでの大学生活を振り返りながら考えました。しかし、そう考えてしまうのもどこか的を射るところがあるという証拠でもあるのだと思います。 やはり私の文章では説明足らずの部分があったのかもしれません。負けず嫌いで無駄にプライドの高い私の生意気な強がりだと思って聞いてください。(面倒臭ければ聞かなくても構いません) 私は自身を真面目で素直で優しい人間であると書きました。その考えに変わりはありません。しかし同時に周囲の人たちを悪く言い、自分をおごっている嫌な人間だとも思っています。誰かに良い人だと言われたわけでも、悪い人だと言われたわけでもありません。(私に嫌がらせをする人が私を悪く言っているところを聞いたことはありますが) 他人と交流を持てない私を良くも悪くも評価してくれる人はいません。ですが、私が今まで出会ってきた大人たちの幾人かは、私の目からはとても良い人たちには思えないところがあり、その部分と比較して私は私自身を真面目で素直で優しい人間であると思うようになっていたのです。もちろん私なんかよりも優しく真面目な人たちを何人も見てきたし、その度に自分の醜さを痛感したこともあります。でも私は人間全体を信じられなくなっているために、私だけは私自身を最後まで信じ味方であると思っていたいのです。そういったところが「自分を自分で特別視したいという甘え」と考えさせてしまったのかもしれません。「自分は特別だから他者が自分に嫌がらせするのはおかしいという甘い考え」と指摘していただけましたが、決して私が特別だから嫌がらせをするのがおかしいと思っているわけではありません。私は人間を信じられませんが、人間だからこそ相手を思いやることができると信じたいのです。 私も自分自身を変えたいと毎日のように思っています。でも、緘黙症の人にとって(私のはあくまで自己診断になってしまいますが)今の自分は変えようと思って簡単に変えられるものではなく、今ある自分の九割くらいを爆砕するような気持ではないと「替え」られないのです。努力もしてきたつもりです。しかし、誰かに声を掛けようと思っても、まるで声を発する方法を忘れてしまったかのようにそれをすることができず、また誰かに声を掛けられた時も、テレビのリモコンの消音ボタンを押されてしまったかのように私は話すことができなくなりその場をやりすごしてしまうしかないのです。私にとって声を突然に発することは、とても難しいことなのです。それに加えて、私は緊張すると相手の言葉が聞き取りにくくなってしまうのです。せっかく声を掛けてくれても聞き取れずに相手を困らせてしまうことが殆どで、それを聞き返すことすらできないほど私は情けない人間なのです。授業中に教師に当てられ、答えられず教室の空気を悪くし、他の生徒からは冷たい視線の槍に刺され、掌からは滴るほどの汗が湧き、締め付けるような頭痛とぐるぐるとまわる視界に今すぐにでも逃げ出したい思いになることも昔だけの話ではありません。それほどまでに苦痛と不安に日々苛まれているにもかかわらず、私は自分でその苦境から脱することができないのです。 私自身、努力しきれない自分に言い訳をして甘えているのだという考えも持っています。しかし、自ら好んでこのつらい日々を甘んじて受けているわけではないということはお分かりのことと思います。誰かに全ての問題を解決して貰おうなどとは初めから思っていません。でも困ったときに誰かに助けを求めることは、決して悪いことではないと思います。 またも長文になってしまいましたが、決して貴方の意見を論破しようとか、意見に腹が立ったので反論してやろうなどとは思ってはいません。改めて自分自身を見直すいい機会になったと思っています。 改めて厳しいご意見ありがとうございました。
お礼
経験者からのご回答ありがとうございます。 自分の力で緘黙を克服できたことに私は羨ましく思えます。こんな私でも小学生までは友達がいました。成長し理性的になってしまったがゆえに緘黙が私を支配してしまったのだと思います。 正直、これより未来のことについてはまだ考えられる状態ではありませんでした。ましてや結婚なんてものは今より三つも四つも先の段階での話で、露とも考えたことはありませんでした。もちろんこのままの自分でこの先生きていきたいなどとは考えてもいません。無意識にもただ漠然と、思い描く未来の像は普段と変わらぬ自分がそこにいたことでしょう。緘黙症に悩まされることのない日常の先に結婚というものが見えてくるはずですから。 就職については、やはり緘黙症であるがゆえに前々から考えてはいたのですが、私のような人にはとても他人と多くかかわる仕事はできないことだろうと思っています。しかし如何せん、私は世間知らずで頭も悪く、これといって得意なことも、仕事にしたいほど好きなこともないのです。絵を描いたり、物語を考えたり、文章を書くといったことが創作といった部類の中では好きなことなのですが、どれも中途半端で素人・趣味の域を出ません。私の中で一番考えていることは、緘黙症をテーマにした話を書いて世間に啓発するといったことなのですが、どうしてもそれに向かって努力しようという気にならず、机上の空論、絵に描いた餅、絵空事、夢物語のようにしか考えられません。一つのことにこだわれない優柔不断な性格が災いしています。どれも私にとっては、今ある目の前の問題を解決したその先にある問題に思えてしまいます。 ネット上の友達というものを今まで殆ど考えたことがなかったので、新しい考えとしてとても参考になりました。贅沢を言うとやはり現実の目の前にいる大学の友達のほうが理想でしたが、緘黙症の私にはそこから始めるのも一つの手のようですね。 長くなりましたが、改めてご回答ありがとうございました。