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子どもと大人の境界線。子どもが成長するということ
みなさんこんばんわ。 最近ふと疑問になりだしたことを質問させていただきます。 子どもと大人の境界線とは、子どもが成長するということとはいったい何なのでしょうか? これに関してのいくつかの文献も拝見いたしまして、イノセンス・自我構造が変わること・近代と中世では定義が違うということ・学校ができたことで変わったことなどを学ばさせていただきました。 そこで皆さんはどのようにお考えになっていらっしゃるのかということをお聞かせいただければ幸いです。 どうかよろしくお願いいたします。
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こんばんは。 まず、子どもと大人の境界線は、バシッと引けるものではないと思います。それと大人も成長し続けると思います。 1人の人間として自律できるかどうか、僕はそう考えます。歳はあまり関係ないっす。心理学的に言えば、自己アイデンティティの確立ができた人が1人の人間として自律できると思います。その上で、社会的な意味も含めて自立することが、僕の目標とする「大人」です。ただ、批判すれば、人間として大切なことを忘れて、オトナしくなった大人には、僕は魅力を感じません。子どものことも理解できて、老人のことも理解できる人間が、僕が望む「大人」です。 何か参考になれば。それでは失礼します。
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- baka_inu
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はじめまして 結論から言えば、大人も子供も、社会が作り出すものだと思います。社会によって定義は異なります。そして、その境界線は、社会に貢献できているかどうかだと考えます。以下、補足説明を。 「バカの壁」でおなじみの養老孟司さんが、「老いるとは何か」といったようなテーマでエッセイを書いています(たしか「涼しい脳味噌」だったかな…?)。老人と、老人の反対(対偶)としての赤ん坊を比較して、老いるとは分化していくことだ、と述べていました。受精卵からの細胞分裂により、1つの細胞であった我々は機能を分化させて、手ができて頭ができて…と成長していったわけです。 以下、私見ですが、脳内の成長も同様かと思います。泣いて訴えることしか知らなかった赤ん坊が、声や文字や表情までも駆使して、相手に伝えることができるようになるのは、視覚・聴覚に分化した身体機能を、脳がうまく使いこなしているからですよね。そういう身体機能をうまく使いこなせないで短絡的・暴力的な表現手段に訴えるのは、脳の機能が十分に分化されていないからだと思われます。身体的な見てくれは大人(成人)ですが、内面には分化できていない子供の部分を持っている、と言えるのではないでしょうか。 社会における「大人」と「子供」というのも、社会の機能分化とからめて考えると少し見え方が変わるかもしれません。 我々の社会も昔から比べて、ずいぶんややこしく分化してきていると感じます。昔だったら許された行為が、今は許されないことも多いですし、物的環境でもずいぶん制限されてきています。表現手段が稚拙な人は、社会では容認されづらくなってきているのではないでしょうか。 社会そのものが、拡大・発展といったことを目的としています。社会自体も機能分化が進むことを良しとしています。 一般的に言って、社会が求める人材は、いわゆる「社会の歯車」となって、社会全体の発展・維持に貢献できる人だと思います。社会との付き合い方にはそれぞれの個性がでるところですが、少なくとも、歯車になる力のない人や周囲に合わせて動くことのできない人は、「子供」扱いされてしまいますよね。 ただ、人によって必要な力は異なるので、知識や能力がなくても適した場所があってその場に応じた振る舞いができれば、その場では「大人」として認められます。業種が違えば必要な力は異なりますし、原始社会と現代社会では求められる力は大きく異なるはずです。 結論として、大人も子供も、社会が作り出すものだということですが、基本的には自立できるかどうか、社会に合わせられるかどうかがポイントではないでしょうか? 余談ですが… 原田宗典の「黄色いドゥカと彼女の手」という短編集があります。 冒頭のマンガで、大人と子供の違いについて説明しているくだりがあるので、お暇があったらごらん下さい。10代の頃に読んで、なるほど、と影響を受け、社会人6~7年目に読み返して、違う見方になって、もっとなるほど、と思いました。古本屋とかにもよく置いてありますよ。 こちらは、より文学的な境界線の紹介でした。 長文失礼しました。
- jamiru
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子どもと大人の境界線は、行政、サービス、法律で定められてるくらいのモノだけです。 上記のものは分けておく必要があるだけで、それ以外は日常生活では特に意味を持ちません。出すだけ時間の無駄と思います。 結局、大人子どもの判別は人の決めるものであって、判別する人間が本当に信じるに値するか疑問だからです。表現するならならせいぜい一人前、半人前だと思います。境界線を引けば引くほど、人間の正確な判断が出来なくなりますよ。 しいて子どもの成長といえば「自律」くらいですね。自分で考えてしっかりとした目標を持ち行動する。目標を達したら固執せずに、新たな目標に向かう。これが出来れば苦労はしませんね。 そして成長は見守るものです。 付かず離れず。これは人間関係でも大切なことです。安易にべったりではなく、安易に捨てたりしない。 成長に欠かせないものは、好奇心と探究心。これが少ない人間はロクな人間になりませんよ。
- hw4183
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自分の思いと行いに責任が取れる人は大人、 取れない人は子供。 回りの人や、自分自身が幸福に生きる努力をする人は大人、努力の無い人は子供。 具体的に、 わがまま、自分勝手、思いやりが無い、人はどうでも良い、ニート、大酒飲み、(金、名声、権力、)などに、執着している、学ぶ事がきらい、自分を客観視できない、家庭を大切にしない、イノベーションできない、反省できない、愛を理解できない、おしっこを我慢しない、、、、などなど。他多数 以上が子供、 逆が大人、と勝手に決め付けてしまいました。
- SUPERS
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1)成年者/未成年者 肉体的年齢による区分 2)大人(成人)/子供 考え方・態度が一人前 3)大人/小人(中国思想)人間の器や志の大小 一般的には2)でしょう。 大人は、肉体的・精神的な成長をし、態度が一人前であるということになります。 一人前とは 能力 成人と同じ資格(立場・地位)・能力 認定 社会性 正規の構成員として認められる 実績 その道で通用する 現代においては、肉体的な大人・こどもの区分は、あまり重要な意味は持たないでしょう。 明確な境界は引けないと思いますが、大人は「親」「師」「主」の意識に芽生えた人とも言えるでしょう。精神的な成長が大切であると思います。 子供の成長とは一言で言えば、「意識の拡大」でしょう。 そして、精神的成長は、概ね三階層になっていると思います。 (全体的) (普遍的) 本質 役割 情(心) ↑ 3:主-基盤構築 教導・啓蒙 人類愛・社会的愛 ↑ 2:師-後継 教育・教化 師弟の慈愛 ↑ 1:親-情愛 保護・保育 親子の情愛 (個別的) (情動的) より上位へ向かうにしたがい、広く大きく影響力が増大する、社会性の大きさを示します。自己の拡大も表しています。自己中心から人類への共感まで。思いやりの拡大といってもいい。家庭内だけ→地域→社会→世界という立場・観点に立って考えられるようになります。 2次性徴期以降は、精神的に幼くとも物理的に親にはなれます。そこでは、理屈抜きの子への情愛を感じ、我が身を犠牲にしてまで子を保護しようとする。 自分だけのことを考えた自己中心的な自我が否応なしに 変革を求められ、強く親子を意識するようになります。一番身近な愛情です。 その幼き精神が徐々に拡大していくと、知識を獲得し、知り得た知識を他人にも教えたくなります。また、相手の立場にたつという自他の置き換えができるようになります。 さらに成長すると、形としてあるかどうかは別にして、信念や信条が高められ、後継の場・情愛の場などを支える社会的基盤を構築し、理想を指し示し導いていくというような体制を作ろうという意識が芽生えます。 家庭という小さな単位であっても、これらの3つの要素はあります。 現在、最初のレベルである家庭では、世界的に「アダルトチルドレン」が非常に問題になっています。家庭が正常に機能しなくなった結果、子供時代を歪んで過ごし そのまま「成人」になった人です。 世代間連鎖も問題視されており、今、機能不全家族が 増えているといいます。(以下省略) 長文失礼しました。 参考になれば幸いです。
- setoren2
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11歳の息子がいる母です。 子供って自分より親を愛しているのかしら?と思う事がよくあります。 愛をもらっているのはむしろ親の方かもしれません。 自分の弱い部分、認めたくない部分を愛せる(認められる)ようになったら大人かな。 つまり大事な誰かと同じくらい、自分を愛せるようになったら大人だと思います。 変な回答でごめんなさいね。
- hw4183
- ベストアンサー率17% (15/86)
こんばんわ、ちょっと一言、 子供は愛を頂いて生きてます(奪う愛) 大人は愛を与えて生きてます(与える愛) 大人になっても愛を奪いながら生きてる人もいますが これは精神が子供のままって事ですね。 愛は見えないので分かりにくいけど、 よ~く見ると分かりますよね。 愛の観点からご参考までに。
- akiyosi1
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自分の家庭の境界でなくちゃ 人様の家庭など少しを除いて殆どが子供のままでは? 今の世の中は特にそうでは? 20歳になると成人かも知れませんが、大人ではないですね自分を含め。 部屋では帽子取るもの。人前では破けたり汚れたものはもってのほか、しかもわざと見苦しい格好しています。ファッションとか?それでも大人かと?理解がある大人? 靴も持たない後進国からみたらどうでしょう? そんな大人達がたくさんいる国それが今の日本。 自分達が子供の頃はそうだったからと言う人が 今の大人の象徴では。子供では無いと思いますが 私も大きい子供です、 評論しか出来ないですみません。