• ベストアンサー

同和問題は自然消滅していきますか?

ここのサイトを見ていると、今の若い人は気にしないという回答がすごく多いです。 こんなに平等が浸透しているとは知りませんでした。良い意味での驚きです。しかし、親の世代は気にするけど、という回答が多いです。 これを素直に読むと、親の世代は気にするが子の世代は気にしない(差別意識がない)になります。このままいけば、親の世代が死ぬ頃には、差別も相当希薄になり、時間が立てばさらに無くなることになります。同和教育なんてもういらないんじゃないかとすら思います。 ところで、ここでちょっと疑問に思うのは、今差別意識がないといっている若い世代は、社会が変わって差別意識がないのではなくて、単に若いからあまり社会の因習にとらわれていないだけで、年齢があがったら、彼らの言う親の世代の価値観と同じか、それに近いものになるのではないか、という疑問があります。 親の世代の人は、若い頃から差別意識を持っていたのでしょうか? 年齢がいってから気にする人でも、10代や20代ではあんまり持っていないような気もします。でも50や60になってからは気にしてるとしたら、今気にしないと言っている若い世代も、あと30年したら違うことを言っているかもしれません。そして、親の世代は気にするようだけど、と彼らの子供世代に言われているかも知れない、そんな気もします。つまり、差別しないというよりは、何も考えていないだけかもしれない、あとから社会の損得に敏感になると保守化して変わるかも、という気もしています。親の世代と、今の20代の世代と根本的な価値観を分けるだけの社会的要因ってあるんでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • chusuke_t
  • ベストアンサー率35% (106/300)
回答No.6

同和問題について、中途半端な知識しかない30歳です・・・。 似たようなことを考えていたので。 私はあまり、同和問題についての教育を受けていないと思います。 特に、学校からも親からも受けた記憶がないです。 「同和という差別があるのだ」ということも、正直言ってピンとこないですし、そういう問題を抱える人と出会っても、差別の心を持つとは思えません。(わざわざ言われなくちゃ分からないですし。) 確かに、じいさんばあさんの世代が、「あの辺に住んでいる人は・・・」と言ったりするのも聞くのですが、私の両親は別段気にしてもいないようです。(人に寄るとは思いますが) ただ、子供たちのいじめの問題を見ていると思うのは、同和とは違った差別が増えているのじゃないかということです。 なんというか・・・まとまったグループに対しての差別ではなく、個人に対しての差別というか・・・。 あるいは、もっとはっきり目に見える差別がしやすくなってしまって、境界の曖昧な差別がなくなっているのかもしれないですね。 価値観、という言葉はしっくり来ない気もしますが、若い世代が親の年齢になっても、その辺のことは変わらないかも・・・と思ったりします。 差別意識がないのではなく、差別意識を持つ方向が違う、というか・・・。 本当に中途半端な知識なので、とんでもないことを書いていたら申し訳ないです・・・。

noname#12704
質問者

お礼

ありがとうございます。同世代です。私はたくさん教育を受けました。地域や学校の違いもあるのでしょうね。教育のおかげで、私は理性的に差別を捉えようとしています。私の場合確かに啓蒙効果はありました。しかし、差別思想をそれによって得ていく人もありましたし(まぁ中学高校のことですから彼らも価値観も変わったかも知れませんが)、差別する側も世の中にいること、反対に1さんの言うような事態が色々あることも知ってしまいましたので、理性とは別に、差別される側には回りたくない、そもそもこういった悪の部分のある社会の暗部を見たくないという思いもあり、ピンと来ないとおっしゃっるのをうらやましいという気もあるのです。そうしたこだわりのない方を見ていると、束縛されるものが少ないということはなんと素晴らしいことだと思います。自分の良心と理性で、これまた自分の差別心を裁いているような状況ですからね、あまりいいものではありません。こちらでの皆さんの回答を見ていると、そういう方が多いですね。将来的にもその点に関しては、変わらないことを願っています。差別はいけないのですが、そういう意味からだけではなくて、あまりこだわりのない世界の方が生きやすいです。 >子供たちのいじめの問題を見ていると思うのは、同和とは違った差別が増えているのじゃないかということです この部分に関しては私も感じます。どこかで出口を求めてしまう、その方向が昔とは変わっているのかもしれない、そんな気もします。

noname#12704
質問者

補足

>こちらでの皆さんの回答を見ていると、そういう方が多いですね。 少し意味のとりにくい文になってしまいました。 こちらの回答者を見る限り、同和差別にとらわれていないという人が多いですね。

その他の回答 (7)

noname#101301
noname#101301
回答No.8

 小学校・中学校で同和問題を習った程度の大学生です。自分の出身地にも同和地区があるみたいだけど、特に気になりませんでした。  あくまでも私の意見ですが、例えば、親の世代では「できちゃった婚なんてとんでもない」という考え方ですが、今ではみんながそう?と疑うくらいありふれているし、とてもオープンに話せることになってきました。「結婚式に2万円のご祝儀は縁起が悪いから」というのも「2はカップルをあらわすからいいんだ」ってなってるし、「葬式に友引はダメ」とか「北枕は仏さん用」とか、今の若い人でどれくらい気にしているのか疑問です。  「あれもダメ」「これもダメ」、私は「そんなこと気にしないで自由にしたい」と思うのですが、親がうるさいのでそれに従うと思いますが、私が親になったときはそこまでうるさく言わない(そもそも気にしてないし…)と思います。  それと同じような感じで、親の世代は「あそこは同和地区だ」「同和地区出身者と仲良くしてはいけない・結婚してはいけない」などと強く言われてきたのかもしれませんが、今の若い世代はそういう風に言われたことがないと思います。オーストラリアだって、そもそも犯罪者の島流しの地ですが、今誰もオーストラリアを差別しないのと同じようにそのうち同和問題も根本から解決するかもしれません(知識として、教えるべきではあると思います)。

noname#12704
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね。ずっとそのままでいらっしゃることを願っております。親の世代がそのまた親の世代に言われてきたというのは、そういう人もいるようですが、必ずしもそうでもないようです。ただ周囲の影響(疑心も含めてですけど)を受けてしまった、というのはあるみたいです。やはり、良きにつけ悪しきにつけ、習慣や考え方は周囲に影響されるもののようです。差別もやはり、みんながそうだから、きっとそうに違いないというのが、悪い方へ働いたのかもしれませんね。悪い影響が及ぼされることが少なくれば、確かにおっしゃるように近いうちにそれほど労することもなく消えてしまうかもしれないとも思います。

noname#174737
noname#174737
回答No.7

全共闘世代の者です。 若い頃は世の中の矛盾や不正に関して、純粋な正義感から随分と反抗したものでした。 しかし幸か不幸か、部落出身者の友人もおらず、また近くにそのような地区もなかったので、齢この年になるまで同和問題を深く考える事はありませんでした。 当然、部落出身者に対する差別意識なんてもった事はありません。 また一般論で言えば、そのような差別はこの社会から消滅させるべきだし、国民ひとりひとりが差別撤廃に向け、小さい事でも協力し合う事が大事と思います。 もし自分が差別される側だったと想像すれば分りますよね。 ただ、ここから極めて難しい局面に入るのですが、それでは、あなた自身はともかく、もしあなたの子供が差別される側の人と結婚したいと打ち明けた時、「ウン、それはいい事だ。  あの人と結婚する事で差別撤廃にお前も協力しなさい」 と本心から言えるかどうか、実は私の場合、自信が無いのです。 なぜなら、私や子供は直接の当事者だからいいとしても、もしかすると孫や曾孫の時代までこの忌まわしいような差別が残っていて、また将来、自分の子孫までが逆に苦しむ立場になるのではないかと考えたら、ウッと詰まる思いが実はしているのです。 もちろん一般論では 「差別なんてその内になくなる。  いや、なくすべきだ。  そんな将来の事なんて心配するな。  子供たちの結婚を認めてやれ」 という意見が多分、圧倒的に多いと思います。 ただ、今の進歩的な考え方の持ち主でも、果たして何人の親が素直に認められるか、訊いてみたい衝動にかられます。 ご質問の中に、年齢によって差別意識が変わるか?  という部分がありましたが、私の回答としては yes としたいと思います。 というのは、上に挙げましたように、若い時は自分の事、あるいは子供の事までしか考えていないのですが、加齢とともに社会全般が理解できるようになり、また様々な社会的要因もいろいろ耳に入ってきて、家族の将来が心配になりはじめるものです。 子供の事より孫の事が、孫の事より曾孫の事が心配になるのです。 それで年とともに保守的になる人が多いのです。 学生時代からの30年以上の時を振り返ってみて、俺も随分と変わったな、と思う時もあります。 もしかすると今の10台や20台の人たちも、私たちの年齢になれば同じような悩みを持つかも知れませんね。 因みに私は、様々な現場で同和教育を行なう事自体がまた新たな差別を生み出すため、永遠に差別は無くならないと信ずる者です。  だって知らない者に差別はできませんからね。 どうしてわざわざ差別に関する教育や啓蒙をする必要があるのか大変疑問に思っています。 放っておけば1~2世代も変われば自然消滅するものなのに ・・・

noname#12704
質問者

お礼

ありがとうございます。全共闘世代というのは、厳密にはちょっとずれてますが、だいたい私の親の世代になります。親の世代の差別を書いていますが、親の世代を批判する意図は全くなくて、 >子供が差別される側の人と結婚したいと打ち明けた時 この部分が直接的に関わってくることもよく知っています。私たちを思ってくれていることも知っています。だからただ差別は悪いことだ、心変わりしたと責め苛むような険しい批判の心は持ってはおりません。しかし、その一方で、思ってくれているとはいっても、親のそのような姿を見ることは、それは結構つらいことでもあります・・。年をとると頑固というか強硬にもなります。基本的にだいたいの面において子である私が折れてはおりますが、前はこんなことを言わなかったはず・・・。あまり具体的には書くことは止しておきますが、そうした親の姿を子供の時は知らないだけに、この変化について考えてしまうのです。子孫を思うが故とか社会の辛い部分、地域での上下等をたくさん知ってのことなのでしょう。それも分かります。どうせ短い人生、気にしてもしなくてもそのうち死ぬんだし、もっと気楽でいいんじゃないのとも思うんですが・・こんなの通じそうにはありません。 親の世代がそうだとすると、今の私より下の世代があっさり気にしないと言っているのも、単なる経過かもしれないとも思ってしまったわけです。彼らだって、いずれ親となるのでしょうから。もちろん社会の変化はあるでしょうから、暫時に差別は消滅方向へ向かうとは思いますけれども。私自身の葛藤というか、教育で受けた微妙な感情は6さんへのお返事で触れています。自身に罪の意識があって複雑です。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.5

参考に 日本が国際化すればするほど日本人の間の差別はなくなっていきますね。他の人種と暮らしてみなさい。色は違う、言葉は違う、風習は違うで差別なんぞというものの範疇ではないですね。それでも人間同士で付き合わないといけない時代ですからね。若者は外の世界を知るようになってきています。いまさら何百年まえの封建世界で住めるわけがありません。あまり心配する必要はありませんね。封建的と感じるならその町から出て都会に住むことですね。自由に暮らせます。そのようにして若者が町から出て行くとその町は遠からずなくなっていきますから。

noname#12704
質問者

お礼

ありがとうございます。国際化というのは、確かにこの問題に何らかの影響を与えそうな気はします。「日本人の間の差別」ということに関しては確かにそうかもしれない、とも思いました。でも良いことばかりかというと、今度は反動で民族主義の台頭なども当面は課題になると思います。外の世界を知っている人が増える一方で、全体主義化、右傾化しているような雰囲気も最近若者にあります。

  • sirowan777
  • ベストアンサー率14% (270/1906)
回答No.4

差別意識は薄らいできているのは事実ですが、水面下に潜りつつあるのも事実です。 すべての人が科学的な考えを持てば別ですが、ろくに分数の足し算もできない人がいる以上無理といわざるを得ません。 迷信、おかしな宗教、振り込め詐欺を信じる人がいるのだから、いわれのない差別を信じる人は絶えないでしょう。 数百年信じられてきたことは、なくなるのに数百年かかりそうです。

noname#12704
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >数百年信じられてきたことは、なくなるのに数百年かかりそうです。 私の感覚にもこれに近いものがあって、現在差別を支えると若い世代が言うところの親の世代だって、若いときは全共闘だなんだと、差別問題とは直接関係なくても社会改革に熱心で、むしろそういうのを否定しまくった世代じゃなかったけ?というのが、この質問のねっこの一つにあります。金権だの汚職だの、いろいろありますが、昔日の面影はどこへいったのやら。

  • ozisan
  • ベストアンサー率11% (154/1339)
回答No.3

この認識が、アジア諸国の「歴史認識の甘さ」を物語っています。 事実を事実として教育する事が、「本当の歴史」です。 気にする気にしないは、個人の価値観であり、 「本当の教育」を受けたかどうかの言葉ではありません。

noname#12704
質問者

お礼

教育を否定したする主旨はないのですが・・。

回答No.2

「自然に・・・」ということは難しいかな、と感じています。若い人が同和問題を「気にしない」と感じるようになってきたのは、これまでの同和教育の成果ではないかなと思います。 で、その同和教育ですが、地域によって取り組み方の温度差が大きいと思います。差別が厳しい地域は、啓発活動も盛んで、そのことによる反発もあります(差別落書きの頻度が高いようです)。 差別がそれほどでもないところでは、同和問題を基本としつつ、あらゆる差別をなくそう、という点で活動がなされてます。 問題なのは地域を有しないところで、十分な啓発が行われていない町の取り組みです。こうしたところで育った若者は、知識を吹き込まれ、加差別側になる可能性があります。 都市部においては、いわゆる混住化(旧同和地区に出身の人と外部から移り住んできた人が判然としない状態)になってきていますし、希薄化しているようです。 けれど農村部においては、ちょっとした知識(地形・集落の分布)があれば、どこが対象地域か見当はつきますし、人の流動(社会増減)が少ないので、差別意識が温存されやすいと感じています。 さてご質問の「根本的な価値観を分けるだけの社会的要因」ですが、私は地道な啓発活動だと思います。十分にわかりきっていること(差別はいけないということ)でも、継続的に学び、差別を見抜く力、差別を認めない心をもつことが大事だと思います。 時代に、地域に応じた啓発活動が肝要ではないかと思っています。

noname#12704
質問者

お礼

ありがとうございます。 啓発活動の成果が現れたものとなると、将来、彼らが保守化するということはとくに考えなくても良い(多少はあっても)というふうにお考えなのですね。

  • showta
  • ベストアンサー率30% (129/422)
回答No.1

はっきりいって、なくなりません。 なぜならば、同和は公的補助などお金になるからです。 本当に正しく、同和問題を活動すればするほど、地域による差別があるんだなと、知らない人まで知るからということ。ただ、これは真剣に無くそうという活動ですからまだ、活動に納得は出来ると思いますが、問題があるのは、 似非(えせ)同和があるということです。 同和対象者であることで、公的資金を毟り取ろうという人、さらに、同和対象者でないのに、同和対象者だといって、公的補助をむしりとろうとするものが居ます。 また、同和を騙って、同和問題に関係ないのに職場や会社に因縁をつけ恐喝しようとする人間が居ることです。 だから、同和問題がなくなっては困るという人間が居るのです。

noname#12704
質問者

補足

回答ありがとうございます。 似非同和の件は、検索でもたくさん出てきたので、一応知ってます。しかし、社会の大多数が差別に無関係になるということはありうるんでしょうか?  似非同和のことではなくて、一般人の意識の問題として答えていただきたいのです。