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日本文化の本質
いろいろと考えてみたのですが、いまいち掴めません。日本文化とひとくくりに言ってもたくさんありますが、これだ、とその本質を特徴づけるものはありますか?そしてその背景にあるものはいったい何でしょうか? P・F・ドラッカーという人が「日本は知覚の鋭い国で、目で見る芸術が何よりも日本の本質を表している」、と言っています。う~ん、そうなのかなーと思うのですがいったいどういう意味でしょうね。 それとは関係なく、自分で思い浮かぶこととしては、人の性質や生活様式として、「器用さ」、「静かさ」、「多神教」などがあるのかな、と思います。あと、時間の概念・感覚が欧米のものとは違うように感じます。そういった違いを引き起こすファクターが何なのかがさっぱりわかりません。 ちなみに、「文化」を広辞苑(第五版岩波書店)で調べたところ、技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容を含む、とありました。 これらの側面の何れか、もしくはその他のことで何かわかることはないでしょうか?
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#1の方の言われる通り、環境が大切だと思います。 まず日本は島国であり、そして自然環境にも恵まれています。僕の知識だと、明治の開国まであった他国との戦争は、元寇と秀吉が朝鮮出兵したぐらいだと思われます。基本的に、民族を挙げての戦争がなかった。それに比べて大陸だと常に他民族との争いを気にしなければなりません。豊穣な土地がなければ食べることもできません。まさに弱肉強食の世界です。しかしそのような過酷な環境でこそ、武器や文明は進化しました。その点、日本は緩やかな環境だったと思われます。なので常に大陸からの輸入文化に圧倒されてきました。あっちだと金属を流して大量に武器を作る。俺たちはひとつひとつ石を削って作っていたのに…。とかく日本人にとって大陸の文明は凄かった。だから文化も真似る。仏教が輸入されればそれは凄いとして仏像を作る。その文化も幾分洗礼されて、京都に平安京の文化がうまれる。その繊細な芸術文化は確かに日本的です。 自然環境に恵まれた日本人は、その自然も当然信仰の対象になりました。美しい自然。山にはその山の神様がいて、川にはその川の神様がいる。その神様との精神的交流。基本的に、自然と和をもって融合する文化です。庭などにその精神が見られます。それに比べて西欧の場合、自然との闘いが精神だと思います。民族間の争いが激しかったのも理由の一つだと思います。土地を切り開き、生産効率を上げて豊穣な土地を広げてまた奪う。食料こそ基本です。日本だと静かに自然と交流し、庭を作りまた自然を楽しむ。俳句でもねってみようか。そういう世界です。それに対して西欧だと、即物的で精神的なことは絶対神に任せきり。自然は神が与えたもの。自然とは交流するものではなく利用するもの。その恩賜を神に感謝しよう。そういう文化になります。僕が思うに、西欧は現実的で、日本は精神的なイメージがあります。 日本文化の特徴、その背景は何か?日本人の本質はなんだろう?多神教という考え方をする文化は、自然に多元論的思考だと思います。西欧の二元論とは違ってある意味柔軟です。二元論だと「お前は敵か味方か」になってしまいます。しかし多元論的だと、なんでもOK。とりあえず受け入れよう。そういう文化でした。なので、キリスト教でもないのにクリスマスは世界トップレベルで祝ったりする。ある意味こだわりがない。それは多元論的文化だからこそ出来るワザだと思ってます。昔から中国の文化を輸入してきたので、日本と中国の文化は似ていますが、明治の文明開化以降は、イッキに西欧化して現代にいたります。他の二元論的思考の国だと、伝統にこだわるので西欧文化を拒む傾向にある。しかし日本は多元論的文化だから、イッキに先進国へと登りつめた。もちろん、当時の日本も開国に反対する動きは大きくありました。しかし開国してしまったものはしょうがいない。案外さっぱりと国民総動員で頑張った。日本文化のひとつの特徴だと思います。 他の視点から見れば、例えば日本人は風呂好きだと言われます。毎日風呂に入る。昔はどうだか知りませんが、要は禊ぎの文化があったんじゃないかなと思います。衛生上、海水だと消毒されるわけだし、何かあればお清め、盛り塩、お祓い。日本以外にも清めるときは水がよく登場しますが、とにかく日本人は毎日風呂に入って衛生的です。そして、風呂に入って「ああ~生き返る~」と言います。つまり毎日生き返るんです。1日、1日が生まれ変わる。それに対して西欧だと、一生悔いをあらためよと原罪の精神です。一生重荷を背負っている感じ。偶然か、毎日風呂に入る習慣もあまりなかったようです。 このように比べてみても、日本は変わった国だと思います。現在は、西欧化され何が日本の文化・伝統なのかわからないような状況ですが、しかしやはり、その根底には、日本人としての本質が隠れていると思います。
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- acacia7
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「わ」「倭」「和」「環」「輪」 古来「倭人」と言われた我々日本人の根源にはやはり、 「わ」が基本にあると思います。 その「わ」は社会への調和であり、自然への調和です。 全てへの調和が基本にあるのでしょう。 そこには差異を認めないのではなく、 差異を認めた上での協和を目指すものです。 環境への調和は環境への細やかな観察力が必要とされます。 また、人に限らず生きとし生けるもの 全ては自然に帰る(輪廻)もまた「わ」なのだと思います。
お礼
なるほど。調和をすっかり忘れていました。なぜ日本人は和を尊ぶのでしょうね。気になりますね^^。
- vrog003
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環境が人を作るといいます。その人の集合である国も同様として考えてみます。 人の集合ですから「文化」も「性格」とでも言い換えてみましょうか。 日本の性格。こう言うと考えやすくなった気がします(笑) では、日本の性格を作った要因を考えてみれば、まず考えられるのは、地理でしょう。 島国であり四季があります。島国であることは、他国との付き合い方影響を与えたでしょうし。四季の自然の変化は、その心情に多くの影響をもたらしたでしょう。 ドラッカーの言う「知覚の鋭さ」はこの辺りに原因を求められそうです。 地理を生まれと言い換えても良さそうです。 ついで、歴史と宗教でしょうか。歴史とは、その国がの生い立ちですね。その性格に影響を与えたであろう事件も多く見受けられます。 宗教は、その国が信じているものといえるでしょうか。自然や歴史の影響か、現在では、実に無頓着な印象を受けますが…。 あと、追加で性格に影響を与えた要因を挙げるとすれば、言語でしょうか。日々使うものですから、相互に影響を与え合っていると思われます。 さて、日本の性格を作ったと思われる要因を、地理・歴史・宗教・言語と上げていきました。 では、本質はと考えると…、これは、人の性格をひとくくりに表現するようなことですね。 さて、どう表現しましょうか。 こうみてみると、ドラッカーはさすがな印象。貴方はどう表現しますか?
お礼
なるほどー。島国にはいいヒントを得ました。四季の変化が視覚に与えた影響はありそうですね。その場合空間認識よりは色彩感覚になるのかな、と思いました。縄文時代の衣服を再現したものを写真で見たことがあるのですが、第一印象として、模様と色彩が大胆だな、と思いました。 また、日本人は視覚に鋭い、ということは裏返せば、聴覚、嗅覚などその外の感覚がそれほどでもない、ということなのかもしれないですね。その辺が意味することもこれから考えてゆきたいと思います。 関係ないですが、日本の食文化は寿司とか結構技巧的に優れていると思います。これは指先の器用さと関係がありそうだなと思っています。日本が精密機械産業に強いのも関係あるのかなとも思ったりして。 この背景には、もしかしたら江戸時代に人口の8割が農民だったというのがあるんじゃないかなーと思うんですけどね。草鞋編みなど指先を使うことが鍛えられたのかな、などと想像させられます。 それから魚をたくさん食べるので、DHAのおかげで日本人は複雑な言語を扱えるほど頭がいいのかな、なんて^^。ありがとうございました!
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お礼
うわーたくさんありがとうございます! なるほどー。島国という他国との戦争がなくある種守られていて安全な環境、というのはメンタリティの形成に大きく影響しているのかもしれませんね。のんびり構えていて、攻撃されることへの無防備な姿勢とか欧米人に比べるとあるかもしれません。 日本の芸術文化の繊細さというのはどのくらい前から観て取れるものでしょうか?仏教が到来する前の生産物にそういうものはありますでしょうか?個人的にかなり気になります^^。 自然との交流についてですが、やはり戦争が少ないと、心が穏やかになって静かに時間を過ごす傾向がでるのかもしれないですね。 関係ないですが、日本の生活様式は、基本的に床に座ることが多いと思います。外国は椅子に座るのが殆どですね。床に座るというのは、椅子に比べて移動しにくいですね。これは、逃げる必要がないという点で生活が極めて安全だったといえるのかもしれませんね。それから、正座などは、むりやり体を静止させる座り方だと思いますが、こういう作法が発展したのは非常に興味深いと思います。 多元論に関してですが、欧米はやらなければやられるという意味で二元論に迫られるほど生き抜くのが大変だった、ということですね。ある本で読んだのですが、日本人では同一業者が非常に多いことに加えて、幕の内弁当や東急ハンズなどに見られるように、とにかくたくさんの種類が詰まっているのを好む、というのがあるそうなのですが、多元論と関係ありますかね。その一方で、他人との違いを極端に恐れたりする没個性的な内面性や、出る杭は打たれる、村八分、といった一つにまとまろうという傾向もあると思います。この辺は多様性を認める傾向と相反しないですかね。どうでしょうか。 お風呂好きに関してですが、これは完全に盲点でした。これも生活が安全だったんだな、という印象を受けます。宮本武蔵の小説で風呂は無防備になるから嫌いだ、と言っていたのを思い出しました。 皆さんの回答より一つ結論を出してみました。「日本人は無防備である」(笑) これは冗談ですが、生活が結構安全だったんだな、という印象を受けました。そのため、生活上心的余裕ができて静かに時間を過ごしたり、他人に優しくできるのかな、と思います。いかがでしょうか?