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古代の勾玉
こんにちは。私は今レポートで、古代の勾玉について調べています。調べていくと、その材料は翡翠が大半だったそうですが、「約3500年前の沖縄県の兼城上原遺跡からも出土され、その翡翠の産地は新潟県糸魚川産のものと判明した。」…そうです。 この時代、1500kmもの距離をどのように移動したのでしょうか?? 輸送技術はあったのでしょうか?それともやはり、歩いて?? 教えてください!
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「海上交易」です。 縄文時代、1000km以上の遠隔地どうしが海上ルートで翡翠や黒曜石を交易していた事はかなり知られています。 それをテーマにした音楽CDまであるぐらいですから…(^^;) 海を渡った縄文人―縄文時代の交流と交易 橋口 尚武 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4096261106/250-1538374-7863444 能登の民の原始交易 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989/PrimitiveTradeInNoto.htm ヒスイ文化フォーラム http://nunagawa.ne.jp/risou/forum/top.html 勾玉の部屋 http://www.mars.dti.ne.jp/~takiura/hisui.html また、古墳時代には出雲族が、翡翠と研磨技術者めあてに同じルートで越の国に侵攻してきた事が伝説を生んでいます。 奴奈川姫命物語 http://www5.ocn.ne.jp/~suhama24/hahagami1/nuna1index.HTM 論考集「翡翠と沼河比売」 http://members.at.infoseek.co.jp/Accord/BIGLOBE/KAIZIN/nunakawa.htm ただし、これら論文を良くご覧になるとわかるように、縄文~古墳時代については多くの研究者の間で様々な異論が出ているので、このまま【適当に必要箇所だけPickすると矛盾が出てしまう】危険性があります。 「縄文文化」「神話伝説と史実の違い」などの専門知識もあわせ、各研究者の見解の相違点に気をつけて下さい。
お礼
海上交易とは、知りませんでした。詳しく教えていただいて、本当にありがとうございました!!