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子育てで、殴る行為は必要?!
子供のいない兼業主婦です。 昨日主人と意見が分かれたので みなさんにご意見いただきたく質問させていただきました。 私は小さい頃、いけないことなどをすると親は殴る蹴るという行為をしていました。口で言っても言うことを聞かなかったからだと思っています。 あとは、親からしたらそういった育て方をしてきたので、育児に暴力は当たり前だと思っていたようです。 一方主人は親が手を上げたことは一度もないのです。お父さんにも殴られたりした経験がないと。確かにとてもやさしいご両親なのです。結果、夫は優しく育ちましたが、愛情をもって手を上げることを知らないと感じます。 子供ができたら手をあげるかあげないかでケンカになりました。私は口で言ってもわからなかったら(言い方をかえたりしても)、手をあげると思います。 でも殴られるなどして痛い思いをしたので、もうあの痛い思いはしたくないと思い、やらなくなったことも多かったです。 本気で叱っていることもわかりました。 (母→しょっちゅう叱っては殴る。父→本当に怒った時だけ年に数回殴る) みなさんは愛情をもった暴力はするのでしょうか?ひっぱたくとか、そういう行為はしないのですか? どのくらいまで(ペチッとたたく、げんこつでなぐる、ほっぺたをひっぱたくなど)ならOKしているのでしょうか? 子供ができても、主人は手をあげたりはしないと。 でも本当にいけないときは、やっぱり手をあげることは必要だと思っています。 個人的な考えで結構なので、ご回答等よろしくお願いします。
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私も投稿者さんと同じような家庭で育ちました。 母は厳しくて、殴る蹴る、つねる、物を投げつける、戸外に追い出す、食事を抜く、 などの罰がしょっちゅうでした。 今だったら虐待かもしれませんが、母は愛情を持ってしたことだと、 後悔はしていないようです(厳しすぎたとは認めましたが)。 でも子供ながらに、母はストレスをためていて、どうしようもないんだ、 自分が受け止めるしかないんだとわかっていて悲しかったですね。 本当に怒っていて、わかってほしいからたたくときはちゃんと伝わります。 逆に親が機嫌が悪くて怒りを抑えられずにいるときもちゃんとわかります。 そうした経験から、私は、子供に手をあげるときは、愛情を持って叱ろう、 本当に必要なときだけやろうと決めました。 絶対に子供に手をあげてはならないと思う人もいるでしょうし、 そうした人に押し付ける気はありませんが、本当にわかってほしい ときには子供はわかろうとしますし、だからこそ言葉ではない、 「痛み」が必要なのだと私は思っています。 あと、男の子か女の子かも大きいかなと思います。女の子は 情緒の発達が早くて、言ってわかることも多いのですが、 男の子、特に2-3歳はものすごい活発なわりに情緒が幼すぎ、いくら言っても (何百回言い聞かせようが、怒鳴ろうが)きかないってことも よくありますので。 13番さんのようにお友達に乱暴したり(うちもそうでした)、 あまりに危険が大きいときは、私もおしりをたたきます。 たたくときはしっかりたたきます。ワアワア泣きますが、 私も泣いて怒ります。そうすると泣きながらも、親の感情を理解するようです。 13番さんと同じように私も悩みますが、後悔はしてません。 たたくことは非常手段だと思ってます。いつもやっててはいけないし、 中途半端でもいけないし、ここぞ、というときに出す 切り札みたいな感じです。 ご主人とは、やはり話し合いが大事だと思います。 産まれてみて、そうした事態になったときに、 ご両親で話し合って、お子さんに一番合った対処法を決めるのがいいと思います。 長々とすみません。参考になれば幸いです。
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とりあえず賛成に1票。 殴らない派の人で、よく「子供だって言えば分かる」と主張する方がいますが、アレは俺は間違いだと思っています。 やはり子供は痛い思いをしなければ分からないこともあります。 特に「殴られる痛さ」は、実際に殴られないと絶対に分かりません。 もし分かるとしたら、その子はすでに神です(^_^; なので、ときには殴ることも必要です。 でもそれはあくまで「子供に痛さを教える」ためのものでなくてはならないと思っています。 俺が多くの親に対して最も多く抱く懸念点は、(これはおそらくあなたと同じですが)「本当に『怒る』と『叱る』の区別をつけているのだろうか?」という点です。 その区別がつかない人を指差して、「ほーら、だから暴力はいけないんだ」なんて言っても何の意味もなく、それは単に子供に暴力を振るっているにすぎませんので、いけないことなのは当たり前です。 もし本当に「この子が大きくスクスク健康に育った姿が見たい」と思っている親であれば、本気で殴ることなど絶対に無理です。 よって、一番の問題点は「子供のことをどんなふうに愛しているか」ではないかと最近思うのです。 つまり、「愛する人を殴らなければならないのは、本当に嫌なことなのだ」という点を真に理解して殴っているのか、という点に尽きるのではないでしょうか。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 私も「怒る」と「叱る」の区別が大事だと思います。 親は後者であることが大事だと。 私は殴る側というか、体罰を与える親にも、辛い気持ちがあると思います。 だって、かわいい子供に対して手をあげたくはないはず。 殴る側も辛いと思うんです。 なので >「愛する人を殴らなければならないのは、本当に嫌なことなのだ」という点を真に理解して殴っているのか というのはとても大事だと思いました。 それを実感するのは、やっぱり、普段やさしいときはやさしいなどの、メリハリかなと思います。 いつもニコニコしているのに、声が低くなり、真顔で子供のことをみつめだしたら、とても怖いと思うんですよ。 子供はたいてい「自分はいけないことをした」というのをわかっています。 立場上、他人の子供に手をあげられないので、なんとか言葉や態度でしつけをしますが、これは手をあげなければいけないなと思うこともしばしばあります。 保護者を見ると、あんなことをしているのに叱らないなんて・・・と呆れてしまったりもします。 キレイに子育てはできないなと。ある意味戦いだとも思いました。 愛情からくる暴力なら、私はOKだなと思います。 限度はありますが、子供もわかるはずだと。
殴る度合いにもよると思いますが・・・ 蹴るのはいけないとおもいます。 殴るにどれが含まれるのかわかりませんが、 私は昔父にぐーでげんこつされました。 ふだんあまり叱らない父なので 心まで響きました。 その行為は虐待とは思っていませんが 最近はそうとる人もいるかもしれません。 その時々での対応でびんたやげんこつになってしまうかもしれませんが、 感情的にたたく行為が頻繁におこるのは よくないと思います。 あと、いつもおこってばかりいては 効き目がないと思います。 うまくおだてていきましょう。
お礼
アドバイスありがとうございます。 なぜ蹴るのはいけないのでしょうか??? 感情的にイライラしてそれを子供へ八つ当たりするのはよくないなと思います。 でも、わからせるためにすることは仕方がないと思います。 >あと、いつもおこってばかりいては 効き目がないと思います。 そうですね。これは実際保護者を見てきました。 でもおだてすぎて保護者がのまれて子供が主導権をにぎっていたりしたので、おかしいなと思ったこともあり、これはまずいなと思ったのです。
お礼
アドバイスありがとうござます。 質問者さんと、ほぼ同じ環境だったなと感じました。 私も愛情をもってしたことと、ストレスを子供を殴ることで発散していたことも感じていました。 だからなおさら、私をストレスのはけ口にして殴っている!と、母を憎むこともありました。 (父はそういったことがなかったのですが) でも、母も育児で辛かったのだと思います。 我が家は単身赴任だったので、母が父親役もしていたので、自分に負けないよう、なんとか子供たちを育てなければ!と必死だったのも感じます。 そういう姿が愛情だからこそ、あのストレス発散の暴力も受け入れることができるのだと思います。 ということは、愛情の割合が多いことで 多少ストレスからくる暴力があっても 子供とはうまくいくものなのだなと感じました。 でも、自分もやっぱりストレスによって手をあげることはしたくないと思います。 実際どうなるかはわからないのですが、できるだけ、「今、手をあげたことは、子供のために必要だったことなのか?」と、感じることも大事だと思いました。 >私も泣いて怒ります。そうすると泣きながらも、親の感情を理解するようです。 叱ることは辛いですものね。 でも今甘やかしてしまうのは、子供の今後のためによくないと思いますし。 そんな葛藤も、ちゃんと伝わるのだと思ったら、手をあげることが頻繁でない限り、必要な範囲では手をあげてもいいなと思っています。 主人は「俺が殴られたら『痛い』としか思わないかも」と言われました。 けれど、体をはって子供をなんとかしなければ!という姿勢はわかってくれているので、その育児に対する気持ちも、主人に伝わっていくかも?と思うと、手をあげるあげないの問題も、少しずつ解決していくかも?という気がしました。