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子育てで、殴る行為は必要?!
子供のいない兼業主婦です。 昨日主人と意見が分かれたので みなさんにご意見いただきたく質問させていただきました。 私は小さい頃、いけないことなどをすると親は殴る蹴るという行為をしていました。口で言っても言うことを聞かなかったからだと思っています。 あとは、親からしたらそういった育て方をしてきたので、育児に暴力は当たり前だと思っていたようです。 一方主人は親が手を上げたことは一度もないのです。お父さんにも殴られたりした経験がないと。確かにとてもやさしいご両親なのです。結果、夫は優しく育ちましたが、愛情をもって手を上げることを知らないと感じます。 子供ができたら手をあげるかあげないかでケンカになりました。私は口で言ってもわからなかったら(言い方をかえたりしても)、手をあげると思います。 でも殴られるなどして痛い思いをしたので、もうあの痛い思いはしたくないと思い、やらなくなったことも多かったです。 本気で叱っていることもわかりました。 (母→しょっちゅう叱っては殴る。父→本当に怒った時だけ年に数回殴る) みなさんは愛情をもった暴力はするのでしょうか?ひっぱたくとか、そういう行為はしないのですか? どのくらいまで(ペチッとたたく、げんこつでなぐる、ほっぺたをひっぱたくなど)ならOKしているのでしょうか? 子供ができても、主人は手をあげたりはしないと。 でも本当にいけないときは、やっぱり手をあげることは必要だと思っています。 個人的な考えで結構なので、ご回答等よろしくお願いします。
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私も投稿者さんと同じような家庭で育ちました。 母は厳しくて、殴る蹴る、つねる、物を投げつける、戸外に追い出す、食事を抜く、 などの罰がしょっちゅうでした。 今だったら虐待かもしれませんが、母は愛情を持ってしたことだと、 後悔はしていないようです(厳しすぎたとは認めましたが)。 でも子供ながらに、母はストレスをためていて、どうしようもないんだ、 自分が受け止めるしかないんだとわかっていて悲しかったですね。 本当に怒っていて、わかってほしいからたたくときはちゃんと伝わります。 逆に親が機嫌が悪くて怒りを抑えられずにいるときもちゃんとわかります。 そうした経験から、私は、子供に手をあげるときは、愛情を持って叱ろう、 本当に必要なときだけやろうと決めました。 絶対に子供に手をあげてはならないと思う人もいるでしょうし、 そうした人に押し付ける気はありませんが、本当にわかってほしい ときには子供はわかろうとしますし、だからこそ言葉ではない、 「痛み」が必要なのだと私は思っています。 あと、男の子か女の子かも大きいかなと思います。女の子は 情緒の発達が早くて、言ってわかることも多いのですが、 男の子、特に2-3歳はものすごい活発なわりに情緒が幼すぎ、いくら言っても (何百回言い聞かせようが、怒鳴ろうが)きかないってことも よくありますので。 13番さんのようにお友達に乱暴したり(うちもそうでした)、 あまりに危険が大きいときは、私もおしりをたたきます。 たたくときはしっかりたたきます。ワアワア泣きますが、 私も泣いて怒ります。そうすると泣きながらも、親の感情を理解するようです。 13番さんと同じように私も悩みますが、後悔はしてません。 たたくことは非常手段だと思ってます。いつもやっててはいけないし、 中途半端でもいけないし、ここぞ、というときに出す 切り札みたいな感じです。 ご主人とは、やはり話し合いが大事だと思います。 産まれてみて、そうした事態になったときに、 ご両親で話し合って、お子さんに一番合った対処法を決めるのがいいと思います。 長々とすみません。参考になれば幸いです。
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- kirara-ki
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必要か、必要で無いか以前に、叩かず、話して聞かせてすめば、それが、一番いいのではないですか。 怒るかもしれませんが、ご主人は、聞きわけが良く、叩かれる前にわかった。あなたは、いささか我が強く、話して分からないので、ご両親も手が出たという事だと思います。 私は、我が強い事は、そうそう悪い事だとは、思いませんが。見方をかえれば、自分がしっかりとあるということですから。 それから、DVと体罰は違います。 短時間、廊下に立たされるとか、正座とか、せいぜいグランド2周とか(現在は、それも禁止です)、家庭では、おやつ抜きとか、短時間締め出されるとか、おしりぺんぺんとか、せいぜいそのようなものです。 骨折させて「体罰です」と言う先生がいると聞いて、驚きました。 私は、おしりぺんぺんくらいはOKです。 個人的な意見で結構と言うことですので書かせていただきました。
お礼
アドバイスありがとうございます。 私の方が聞き分けが悪かったかもしれません(笑) それはあるなぁと思います。 (ちなみに兄も殴られましたが、根にももっていません) でも一概にそれだけでひとくくりにできないような気もします。 主人のご両親と話していても「うちの親だったらこんなこと絶対許さないのに」 と思ってしまうこととか多いです。 そういう部分に甘く育ててきたから、厳しさのない主人に悪戦苦闘しているところもあります。 (暴力をふれば甘く育たないとかではないのですが) 主人のいいところもあるけれど、時々甘さを感じると、親の育て方が甘かったことが原因だろうなと思います。主人のお兄さんも同じなので。 自分はビシビシはしたくないけれど、厳しくはしたいと思っています。殴ること=厳しい ではないけれど、厳しさの中の愛情をもっていたいと。。。 個人的な考えですが。
- prumtree
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親に一度も叩かれたことのない5歳の娘がいる母です。 娘を育てていて、殴る・蹴るということはしたことがありません。 お尻をパチンと叩いた事はあります。 質問者さんが、子供というのを何歳ぐらいを想定して質問されているか分かりませんが、小さな子供に対しては、殴る・蹴るというのは虐待だと思います。 殴ったり、蹴ったりされて、本当に悪いことだったんだと思えるのって、親との信頼関係がしっかりと築けているからこそですよね。 私は、小さな子供を叱るのに必要なのは、理解させることだと思っています。 一度で理解させることは無理です。 何度も繰り返し、ゆっくりと、丁寧に教えてあげることが必要だと思っています。 それが躾だし、親と子の信頼関係を築く上でも大切なことだと思っているからです。 うちでは、娘を怒ったことは1度だけです。 出張ばかりで、休みの日も疲れて寝ている主人に「お父さんなんていらない」って言ったときだけです。 中学生の娘だったら、頬くらい叩いているかも知れないですね。 でも、3歳だった娘を叩くことはしませんでした。 それでも、娘は怒られたことを忘れていません。 夫には「鬼のような顔だったぞ」と今でも言われます。 質問者さんが親になったとき、もう一度この質問を思い出してみて下さい。 そして、ゆったりと育児をしながら、考えてみて下さい。
お礼
アドバイスありがとうございます。 私が想定していた子供の年齢は、年齢は幼稚園~小学生でした。 ゆっくり丁寧に教えていくことは根気の要ることですよね。 親も一緒にやっていかないと、子供はどんどん怠けていくというか・・・ 質問者さんの変化がよかったのかなと思いましたよ。 もうあんなことを言ってはいけない!と強く感じたと思います。 こわかっただろうなと思いますし。。。 質問者さんの娘さんへの愛情を感じました。
- ebichu
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必要かと聞かれれば「必要」ではないと思います。 私自身、親から殴られた記憶はありません。 もちろん叱られたことはあります。 なので、どちらかといえば、ご主人寄りの 考え方かもしれません。 しかし、実際は、手の甲をペシッとたたくようなことは 言葉の相互理解ができる年頃になってからは、あります。 食べ物をカンシャク起こして、投げたりしたときには、 投げた手をとりペシッと叩き 「食べ物を投げない!粗末にしない!」と叱っています。 下の子に乱暴したときには、 とっさに頭をはたくこともありました。 下手すると大怪我ということもありますから。 頭をはたいた後、厳重注意します。 最近は下の子も大きくなってきましたから、 そういうことをしなくてもよくなりましたが…。 医学的には、頭を叩くのはよくなかったと記憶してます。 脳細胞が壊れるとか。 ゲンコツはじゃんけん以外には使わないです。 ビンタは、打ち所が悪く鼓膜が破けた人を知っています。 蹴るなんて、自分より明らかに弱いとわかっている相手に する行為ではないと考えます。 動物に対してでも、そのような行為をしていれば、 動物愛護団体がだまっていないかもしれませんよ。 相手が言葉も出ないのに、言ってもわからないからと、 手をあげるのは虐待です。 また言葉を話せるようになったからといって、 大人ほどの理解力はないのは心にとめておきましょう。 言葉を使うようになると、急に子どもがすることに 厳しく反応しがちになると思います。(経験上) でも、相手はこの世に生を受けてまだそんなにたって ないわけです。 言い方を変えても理解してくれるかどうか、わかりません。 そういうときに、手をあげても、理解してくれるかどうかも、わかりません。 親が恐いから悪さしないというのも、 まあ悪くはないかもしれませんが、 そういう子は、親が見ていないところで、 大人に見つからないところで悪さをしようとしたりします。 とても加減が難しい問題です。 暴力なんて、できることならば、 しないにこしたことはないと考えます。 暴力は愛情ではないです。 ただ、他に子どもを人として導くすべを見つけられないときには、 使ってしまうこともあると思っています。 育児には、こうすべきだ!という信念も大切だと思いますが、 臨機応変ということも大切だと思います。 人として譲れない約束事ってありますよね。 人を傷つけてはいけないとか…。 せっかくお子さんを持つ前に話し合われるならば、 殴る殴らないということでなくて、 どういう子に育てたいかを話し合われてはどうでしょう。 うちでは基本的に「人に迷惑をかけない」ことと、 「食べ物を粗末にしない」ことに重点を置いています。 大雑把ですし、だからどうということも あまりないのですけれどもね。(^^;;; 本気で叱っていることを伝えるのに 必ずしも暴力は必要ではないです。 真剣に話せば、簡単に手をあげるよりも、 言葉で殴りつけるよりも、数倍効果があります。 もちろんある程度理解力のある年齢に 達してからとなりますけれどもね。 質問者様の思う本当にいけないときというのは、 どんなときなのでしょうか? その内容によっては、ご主人様も納得するかもしれませんよ。 例えば、よその子に危害を加えるとか…。 でも、家の中で躾として、簡単に手をあげていると、 子どももなにか気に食わないことや 自分の意にそぐわないことがあったら、 相手をたたいていいと誤解することもあるかも。 本当、育児って難しいです。 結果はすぐには見えないし。 人生修行みたいです。 誰もたいして評価してくれませんしね。 こちらがムキになればなるほど、 何を言っても効果なし。 疲れているときほど、手がかかるし、ワガママ言うし。 いかに冷静にいられるかが試されているかのようです。 まあ、実際お子さんを前にしてから、 ゆっくり考えていってもいいと思いますよ。 どういうお子さんに恵まれるかもわかりませんし。 どうしても手をあげなければならない状況って、 そんなに多くはないはずです。 そういう状況になってから、夫婦で緊急会議して、 お子さんを叱っても間に合うんじゃないかなあ? 長々と失礼しました。 まあ、柔軟にいきましょう。(^^)
お礼
アドバイスありがとうございます。 >殴る殴らないということでなくて、 >どういう子に育てたいかを話し合われてはどうでしょう。 それもあるのですが、今回は別ジャンルだったので、こういった話になりました。 >質問者様の思う本当にいけないときというのは、 >どんなときなのでしょうか? これは私の経験でなのですが、父がベットで昼寝をしているとき、私はベットのスプリングが面白くて、はねており、父のおなかをスプリングと同じようにふみはねました。(悪気はなく、かまってもらいたかったんです) 父はビックリして起き上がりました。 そのとき、叱りましたね。 手をあげました。 父は死にそうなくらい苦しかったようです。 私の悪ふざけが、生死にかかわったのかもしれないと思うと、もう寝ている人のそばではね飛んだりしてはいけねいのだと痛感しました。 普段手を出して叱ることはなかっただけに やったことの重みを強く感じました。 それからすぐ父はひいて、いつもどおりになりました。 こういった、命にかかわることなどに対しては、ケースバイケースで手がでるかもしれません。 怒りではなくて、私が泣きながら 強くひっぱたいてしまいそうな気がしますね。 まだ子供がいないので、絶対こうなる! とかは言えないのですが、 主人との育ち方の違いを強く感じて 今回戸惑ってしまったんです。 主人も質問者さんのように 重点にウエイトをおきそうです。 それは私もそうだよな!と思うんです。 でも、手を出す出さないはまた別問題になりそうです。
- yama_x
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程度にもよりますが「叩く」ことは必要だと思います。 既出の回答にもありましたが、「話して分かる」こともあるかもしれませんが100%はありえません。 (そもそも、子どもに話して分かるのであれば、大人同士の諍いなんてあり得ないでしょう。難しい言葉も理解できる大人同士でさえ分かり合えないのですから) また頻度や強さにもよりますが、感情的に叩くのもある程度OKだと考えています。 人と人との関係は理論的に正しいかどうかだけは成り立たず、感情のぶつけ合いです。 それは親子であっても同じこと。 人と付き合う中で、時と場合によっては、理不尽に怒られ、叩かれることもあるのだということを理解することも、成長の過程で必要だと思うのですがいかがでしょう? 余談ですが、ときどき報道されるような今の若者の精神的もろさも、この辺りに起因する部分があるようなきがするのですが・・・ 親ももっと感情的になってよいと思うのですけどね。 (もちろん愛情も含めて)
お礼
ご回答、ありがとうございます。 >人と付き合う中で、時と場合によっては、理不尽に怒られ、叩かれることもあるのだということを理解することも、成長の過程で必要だと思うのですがいかがでしょう? とても考えさせられました。 親もストレスを感じたりしますよね。 そんな中、子供には絶対自分のストレスをぶつけないということができるのか??と考えます。 みなさん、そんなに神様のような人なのかなと。 手を出さなくても言葉の暴力もあるのでは?(それこそ理不尽なもの)とも思います。 私も親の理不尽さを見てきましたが、それによって困ったこともあったけれど「仕方なかったのだな」と感じることもあります。 現在親を恨んでいませんし、あれが当たり前だと思っていました。 回答者さんの回答に、とても考えさせられます。 実際どうなのかなぁと。。。 今後の課題になりそうです。
- yyykkk821
- ベストアンサー率33% (23/69)
私は絶対に殴ったりなんてしません。 子供を殴らないとわからないっていうのは、言い訳にしかすぎないと思うからです。 私は今までに殴られたことはないです。 でも、昔から悪いことは悪いと判断できました。 そして、どんなに腹が立つことがあっても人を殴るという感覚がありません。 旦那は殴られたそうですがしつけに暴力はいらないと言っています。 「あんなのは親の思うように行かないから殴るだけだ、口で言えばわかることも殴られてきたし、理不尽なことでも言い返すということができなくなった。だからなぜ殴るのか理由がわからず、善悪の判断よりも、とにかく殴られないようにってビクビクしていた」と言っています。 本当に怒った時だけっていうならまだ理解できますが 「殴られるから、悪いことだとわかる」って正直言って教育と思えません。 なぜ悪いか、なぜやってはいけないかを理解できないで、ただ「親に殴られるのが嫌だからやらない」 っていうのは物事の善悪を把握できないと思います。 ようするに自分の気持ちでしか考えられず、相手の気持ちを考えられない子になってしまうのではないでしょうか? また、「それだと殴られた人の気持ちをわかってあげられない」とか言いますが 殴らない人は理解する必要はないと思うんです。もちろん、殴る人は理解すべき!って思いますが。 もちろん、本当に危険な事をする場合はまだありですが、それでも蹴るってのは絶対になしです。 頭をげんこつでゴツ!!くらいでしょうね。 暴力は親の感情ですよね。カーっとならなければ手をパシっとたたく(これは暴力とは思ってませんよ)くらいはあるでしょうが、殴る蹴るまではいかないと思います。 それはただ単に自分の感情で殴ってるだけだと思います。 で、善悪を「殴られる、殴られない」で判断して育ったら、成長した時に自分で判断できなくなると思うんです。 ♯6さんの>自分が手を出していると、子どもには「暴力はいけない」と教えるのに矛盾しているじゃないかと言われてしまいます はまさにその通りだと思います。力で人を押さえつけるのは絶対によくないと思います。 ものすご~く個人的な意見ですが、殴る行為は私の中で大嫌いなことだったので^^; ちょっと熱く語ってしまいました。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 回答者さんの回答を読んでいて、これは主人の考えなのだなと思いました。 (主人と質問者さんは同じ環境なので) 自分にとっては質問者さんの意見に「んんっ?!」と思います。(質問者さんが悪いわけではありませんよ) 主人からしたら殴られた経験がないから、殴ることは言い訳にしか思わないのだろうなと。 そこに愛情がこめられていて、その子のためを思って、発せられた暴力なら、私はわかるんです。 経験者だから。 でも、主人はまだこれが未経験なので、私に対しても暴力はふりません。手をあげたことは一度もないです。 たぶん、質問者さんも頭の中でイメージした暴力というのが先行しているのだと思います。 暴力のない育て方も、いいと思うんです。 でも、母親は子供と接する時間が長いので、しつけなども父親以上に子供へする機会が多いと思います。 だからこそ、言葉を越えてでも伝えたい何かってあるのではないかなと私は思っています。
- goo_0o0_goo
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しつけの一環としてつねります。 自分の気分によって怒ったり怒らなかったり つねったりはしません。 外では手を繋ぐ事や火のそばに来ないなど 危険を伴う事には徹底的に怒ります。 言葉で怒ってもわからない場合お尻か手を おもいっきりつねります。 小さいうちはつねられる→痛い→だからやめよう… でいいと思っています。 言葉で言って理解できるようになるとつねられる 前にやめるようです。 危険な事以外で何度言っても言う事を聞かないと こんにゃろぉぉぉぉ!と思いますがそれはぐっと 我慢ガマン…しています。 >でも本当にいけないときは、やっぱり手をあげることは必要だと思っています。 私もそう思います。 しつけとして手をあげる事はしつけ 気分で手をあげる事は虐待 と思っています。
お礼
アドバイスありがとうございます。 なるほど!と思いました。 つねる行為は痛いけれど、ある意味安全ですね。 子供が小さい頃はこれがいいかもなと思いました。 「ペチッ」とたたくだけでは、慣れてしまうと痛くも感じないけれど、つねるというのはやっぱり痛いです。 子供も理解しやすそうだと感じました。 >危険な事以外で何度言っても言う事を聞かないと >こんにゃろぉぉぉぉ!と思いますがそれはぐっと >我慢ガマン…しています。 すばらしいです。 そこが分けられる点、見習いたいです。
賛成・反対が分かれる設問ですね。 一般的には自分の子だから、虐待にはならないしつけの範囲で、体罰も許されているのだと思います。 ただ、質問者様がおっしゃる「殴る蹴る」「暴力」は、言葉だけ聞くと、虐待の表現にも使いますし、子どもに対してすることだとしたら胸が痛みます。 しつけの範囲として、敢えて言うならば「叩く」「ぶつ」でしょうね。 私は、できるだけ子どもを「しつけ」のために叩いたりしないようにとは思っています。ただ実際問題、まったく叩かないで言葉だけでわからせるのは、親が子育てに理想を持ち、高い能力がなければ難しいと思います。おそらくご主人の親御さんは、そのような方々なのでしょう。立派だと思います。 なので、私自身は、手が出る場合も多々あります。 ただ、自分が手を出していると、子どもには「暴力はいけない」と教えるのに矛盾しているじゃないかと言われてしまいます。それも道理です。 基本的には、叩く行為はオプションであって、本当に必要な場面でしか使わない努力も必要ではないかと思います。
お礼
アドバイスありがとうございます。 私も表現方法に悩みましたが、「たたく」と「ぶつ」なら軽いものも含むと思ったので、少し痛みのある言葉を使わせていただきました。 (私も「殴る」という言葉には非常に抵抗があるのですが) 手をあげながった彼のご両親は立派だと思いますが、時々「こういこうことはよくないよ」と言うだけで、そのときは主人も反省するのですが、もう次の時点で忘れているのが残念です。 なにかにつけて「それはかわいそう」と言って主人を甘やかすので困っています。 (結婚準備金をあげたんだから、それでカーナビ買えばよかったのにと言ったことは忘れられません) >ただ、自分が手を出していると、子どもには「暴力はいけない」と教えるのに矛盾しているじゃないかと言われてしまいます。それも道理です。 これは言い方だと思います。 親は20歳までは子供の教育を義務付けられているのですから。 「してはいけない暴力をうるわなければいけないのは、どうしてだと思う?親が暴力をふるいたいと思う?」 なんでも暴力というわけにはいかないと思いますし、こちらもこちらで工夫をしていかなければいけないと思います。 最終的には暴力が多くないほうがいいと思います。でも、どうしても伝わらない時は、やっぱり手段としては必要だなぁと自分は思います。
男性(一児の父)です。 私も、子供の頃はよく父親に殴られました。が、今は娘には手を上げたことはありません。まぁ女の子だからということもあるでしょうが、殴らないといけない事態など一度もなかったからです。手で「ぱしっ」と手を叩く、ぐらいでしょうか。後は、ほっぺをむにむにするとか(笑)、そのぐらいですね。 では、そういう事態になったら殴るのか?といわれるとわかりませんが、私には「殴らないといけない事態」というのがうまく想像ができないのですね。私が子供の頃、親から殴られたのは、すべて「殴らないといけない」事態ではなかったように思います。 男性で「殴ってこその愛情」ということをおっしゃる方は多いのですが、その多くは「子育てを経験していない人」のように思えます。観念論でいっているだけ、という感じがするのです。子供がいても、子育ては妻任せ、という人の子育て論には、近所のお母さんたちほどの説得力ももたないように思います。ですから、テレビや雑誌などに立派な(おそらく子供のうんちの始末もしたことがないような)男性が「子育てとは・・」といっているのをみても、全く何も得るものはないと感じます。 日々の子育てをしているのは、お母さんです。お母さんが必要と思ったことを自信を持ってすればいいと思います。我が家では、それは「殴らない」というものだったし、「場合によっては殴る」という家もあるでしょう。 くれぐれも、ろくに子育てもしていない夫に流されないように(笑)。
お礼
アドバイスありがとうございます。 子供はお母さんと一緒であることが多いので、母親は嫌な役割もしなければいけないために、叱ることもあるのだと思います。 私の父も、私のことは甘やかしてばかりでした。 仕事で忙しかったので。けれど、ある意味、厳しすぎた母に対して、逃げ場があることはとても助かったものでした。 といっても「父は叱るときは怖い」という意識はありました。 普段はすごくやさしいんですけどね。 私は仕事柄、子供と接する機会が多いので、子供をみていてとても複雑な気持ちになりました。 主人も私も同じ考えを持っていればいいのですが、育ってきた環境が違うことに違和感を感じました。 「愛情をもって手をあげること」を主人は知らないのだと思ったとき、この人は心底から人を叱ってくれるのか?と悩みました。 >私が子供の頃、親から殴られたのは、すべて「殴らないといけない」事態ではなかったように思います。 私もストレス発散で殴られていたことがありました。すべてが愛情やしつけのための指導ではなかったかと。 でも、このメリハリは親を反面教師として(特に母)いきたいと思っています。 私は心のどこかで、主人を通じて、本気で叱ってほしいと思っているのかもしれません。 それを、子供の話をきっかけにより強くなり、もっともっと、厳しい時は厳しくビシッと決めてほしいのかもなと。 「やっぱり主人にはかなわないわ」とか、便りがあるとか思いたいのでしょう。 自分が子供の頃、やっぱり一家の大黒柱は父で、権限も父だったのでなおさら比較してしまっているのかもしれません・・・
- hyde19
- ベストアンサー率29% (196/661)
2才までは、言葉を理解させることが難しいです。 しかし、やってはいけないことと言っても、親の都合だけでは怒ってはいけないと思います。 殴る蹴るなんてそれはかなりやりすぎです。 でも、子どもにとって危険だと思う行為は止めさせないといけませんから、怒らないとダメだと思っています。どこを叩くかも大事だと思いますが、何か危険な物を持っているようなら手を叩きます。お尻はオムツはいてるからあまり効果ないですね。 げんこつはやりませんね。手の平というか指先でペシッて感じです。ほっぺはやりましたね。 でも、ある程度は子どもが親の邪魔をすることはあるし、そういうのは仕方のないことです。あくまでも子どもにとって危険な行為を止めさせたいときですね。 2才を過ぎると話もできるようになります。怒られるということも理解します。 今度は善悪も教えていく必要があると思いますが、叩かなくても言葉でじっくりと理解させていくべきです。 もちろん、1度や2度では聞きませんけど、叩いても何がいけないのか理解させることはできません。ただ、恐怖を受け付けるだけです。 怒鳴ってしまって、子どもが怯える風になったので、それも反省しました。 言葉で言っても最近は言い返されるのですが、これは成長の証だと思ってます。怒り返されることもあるので、これは自分の仕業だなと反省するしかありません。 まあ、悪さしてコツンくらいはありますけど、怒ったらすぐ泣くので、一緒に何で怒ってるのか考えさせるようにしています。それ以上はパニックになるだけで、何も良いことはないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 回答者さんのお子さんはまだ小さいのかな?と思いました。 叱ることはお子さんの身を守ることにもなりますよね。目を放した隙に、何をしでかすかわからないと思うので。 小さい頃は、いかにも過剰な暴力はよくないと思います。 でも子供は転んでも起き上がれるだけの強さがあると思うので、成長によって上手に調節していくのがいいのかなとも思いました。 「あらあらだめねぇ」なんて言っている親を見て「だから子供がこうなのか・・・」と思ってしまったりします。 小さいうちは「たたく」ぐらいでもいいのかもしれませんね。このころあいはまだ想像がつきません。
- RightCurved
- ベストアンサー率13% (6/45)
今日は、私は、殴られて育ちました。でも、虐待ではなく、100%、私が悪い場合のみ、グーで頭をゴッチン!とされました。体罰ですね。そして私が理由を理解せず、ヘソを曲げている様な顔をしていたら、朝まででもとうとうと話をされました。何故、体罰を受けたのか・・・。私の場合、それによって、例えば善悪の区別や、他人に対して力を行使した場合の相手が感じる痛みなどを学ぶ事が出来た、と考えています。ですので、大雑把に括ってしまえば、言い方を変えても暴力は暴力ですが、やはり体罰と虐待との違いも同時にあると思いますし、必要に応じての体罰であれば、それは暴力ではないと思いますよ。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 「体罰」と「虐待」の違いをはっきりさせなければいけないなと思いました。 ここでは「体罰」であることを言いたかったのですが、表現が不適切だったかもなと。 私は昔の恋人に、思いっきり何度もひっぱたかれたことがありました。 でもそのときは、虐待ではなくて、本当に愛情を持って、ひっぱたいたことがわかりました。 そのとき、こんな辛い思いをしながらもひっぱたいてくれるほど、愛してくれているのだと思いました。 その人とは縁がありませんでしたが、両親の愛情と重なり、相手の気持ちもよくわかりました。 >必要に応じての体罰であれば、それは暴力ではないと思いますよ。 「必要に応じての」というところだなと思いました。主人からしたら、そんなときも暴力はなかったので、どこかで諦めてしまったり、相手(私)を甘やかしてしまったりします。 もうちょっとビシッと愛情を持って叱ってほしいと思ったり、それを子供に対してしてほしいなと思うのですが、自分に経験のないことはできないのかな・・・と、今、私自身は正直複雑な心境です。
お礼
アドバイスありがとうござます。 質問者さんと、ほぼ同じ環境だったなと感じました。 私も愛情をもってしたことと、ストレスを子供を殴ることで発散していたことも感じていました。 だからなおさら、私をストレスのはけ口にして殴っている!と、母を憎むこともありました。 (父はそういったことがなかったのですが) でも、母も育児で辛かったのだと思います。 我が家は単身赴任だったので、母が父親役もしていたので、自分に負けないよう、なんとか子供たちを育てなければ!と必死だったのも感じます。 そういう姿が愛情だからこそ、あのストレス発散の暴力も受け入れることができるのだと思います。 ということは、愛情の割合が多いことで 多少ストレスからくる暴力があっても 子供とはうまくいくものなのだなと感じました。 でも、自分もやっぱりストレスによって手をあげることはしたくないと思います。 実際どうなるかはわからないのですが、できるだけ、「今、手をあげたことは、子供のために必要だったことなのか?」と、感じることも大事だと思いました。 >私も泣いて怒ります。そうすると泣きながらも、親の感情を理解するようです。 叱ることは辛いですものね。 でも今甘やかしてしまうのは、子供の今後のためによくないと思いますし。 そんな葛藤も、ちゃんと伝わるのだと思ったら、手をあげることが頻繁でない限り、必要な範囲では手をあげてもいいなと思っています。 主人は「俺が殴られたら『痛い』としか思わないかも」と言われました。 けれど、体をはって子供をなんとかしなければ!という姿勢はわかってくれているので、その育児に対する気持ちも、主人に伝わっていくかも?と思うと、手をあげるあげないの問題も、少しずつ解決していくかも?という気がしました。