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子育てをしていて
私が子供時代だったころの事を思い出すのですが、今自分の子供を育てていて感じるのは本当に私たちの子供の時代とは様変わりしてしまった環境です。 私が子供のころ、20年前くらいですか・・・夕方まで近所の子供たちだけで小学校の運動場で缶けりしたり、ちかくの溝でザリガニ取ったり、ゲームも流行っていましたが、それよりも日が暮れる直前まで子供たちだけで遊んでいても何も問題ない時代でした。子供同士でも年長の人間が小さい子を思いやったりと、自然に上下関係や年配の人間への敬いというものを学んでいたようなきがします。ちなみに私の小学生のころは教師の体罰も当たり前のようにありました。悪い事したら拳骨だからね!という先生におびえながらも今となっては愛情だと理解できます。当時の親も苦情を言うということはなかったと思います。 最近は体罰にはうるさいし、周りを見渡しても子供たちだけで遅くまで遊ばせているという状況を見ません。 話を聞けば習い事をしていたり、治安の問題もあったりして夕方子供同士で遊んでいる状況はあまりないとのこと。 こうした状況がこれからの日本社会によい傾向になるかそうでないかは分かりませんがなんとなく心配になります。 年々新入社員が入ってくるたび上下関係に疎く利己的な勤務態度に辟易しているので育ってきた時代背景があるのかなと思ってしまいます。 共感できる方の意見お待ちしています
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全くそうですね。 私の会社にも、コミュニケーションの出来ないのが、約2・5人います。 やはり、育ち方に問題があると思います。学歴はあるので決してバカではない。なのに、相手の気持ちをくんだ会話が出来ません。一人は、いわゆる「おばあちゃん子」。おばあちゃんに溺愛されて育ったようです。あと1人は女性ですが、こちらも学校でクラブをするわけでもなく、趣味はパソコンというだけですね。 よく「体育会系」といいますよね。私自身は文化系だったこともあり、以前は少し偏見を持っていました。先輩の言うことには無条件で「はい」と言うようなイメージだったのですが、「体育会系」の若者の方が、しっかり挨拶でき、しっかりと相手の話が聞けると、最近思うようになってきました。 今は本当に、自然の中で、子どもたち同士がのびのびと遊べる環境はなくなっていますが、大切なのは、集団の中で育つということではないでしょうか。 #1さんも「学童保育」のこと言われ、集団の中に入れるためにお金がかかる世の中になったと言われていましたが、全くですね。 「学童保育」は別にしても、親は、自分の子どもの友達づくりを真剣に考え、子育てをしないと、歪んだ子どもになってしまうように思えてなりません。
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- eiji5620
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余談ですが ベビースターラーメンは 私たち世代におやつカンパニーが発売 大ヒット商品になりました 時代は流れても昔懐かしい味は健在で最近は種類が増えています 長年愛されているロングセラー商品は 子供たちのおやつに 大人のおつまみにと進化し最近ではピーナッツ入りで発売されている人気商品です 懐かしいでしょ今でも売られていておつまみ用にピーナッツが入っていますよ
お礼
私も小さいころから食べていました。昔のパッケージが懐かしいです。100円玉を握って近所の駄菓子屋へ走っていったものです。 ありがとうございました!
- eiji5620
- ベストアンサー率14% (78/538)
私たちはまだすごい時代を生き抜いていますよ ゲームが普及していない時代でしたから 夜遅くまで友達と遊びすぎて親に叱られたり 近所の駄菓子屋でおばちゃんと盛り上がったりしていました 学校は主さんと同じで 体罰が存在し不良には日体大出身の教師がはったおしていました 今でも懐かしくなり駄菓子を見るとつい手が伸びて買っていますよ
お礼
時代が変わっても変わってほしくないものってありますよね~ よきのものはたいせつにしていきたいものですね。
- huna-huna
- ベストアンサー率5% (13/241)
先日、子供たちがしゃべりながら下校してるのを見かけました。 「外で遊べっていったって、遊ぶとこないよなぁ~」 まさにこれに尽きると思います。 昔のような原っぱもない、学校でも遊ばせてくれない。 それを大人の勝手な理屈で、昔のほうがよかったようなことを言うのは、子供に対して失礼だし、傲慢です。 そういう無責任な大人が今の社会を作ったことをお忘れなく。
お礼
そうですね。しつれいとは思わないけど。 無責任な大人はいつの時代にもいたしどうしようもないです。
すべては脳の発達のせいです。脳の思考が活発だと、自我が強くなり利己的になります。脳の発達していない、赤ちゃんや動物や植物は、無我だから、かわいいし、人の心を癒します。中国の老子は、脳の思考による、人の知恵を否定し無知をすすめています。また仏教の釈迦の教えは、脳を自我を否定して、脳を休めて無我なれば人は救われるといってます。日本の伝統文化は、脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを追求しています。西洋文化の自己表現とは違います。世界中で日本語だけが、情緒表現があり、母音を強く発音するので、心が癒されます。大学の先生の、日本人の脳、大修館書店、角田忠信著によると、日本語を話して育った人は、脳の音感が変化して、自然の音、川や風の音、鳥や虫の声に敏感になり、自然の情緒を理解出来ると書いてあります。だから脳を休めて、和風文化の情緒を体験する事です。短歌、俳句、茶道、能、文楽、雅楽、日舞、民謡、演歌、日本画、落語など なぜ脳を休めるかと言うと、脳が思考してる時は、脳が人の心と自然の情緒との交流を遮断するので、心がストレスになります。脳が休んで、脳波がアルファ波になると、人と自然の情緒が交流するので、心が癒されます。
お礼
そうなんですか!勉強になります。
- BluesHeart
- ベストアンサー率26% (155/576)
お話はわかります。 世の風潮はそのとおりのことを毎日言い続けています。 で、何ができますか? まずは、本当に必要なことはなにか? ノスタルジィだけではなく要素の抽出と、それを実現する手段(複数)の提案。各手段のメリット・デメリット、実現可能性。 これを考えられますか? 嘆いて見せて、自分はこの事態に対する責任はないような顔をしないこと。 これが子どもに見せるべき姿ではないですか?
お礼
そうですね、責任がないとは思わないけれど、私にはどうする事もできないですね。自分の子供にはめいっぱい自然に触れさせたり、他人の立場に立って考えれるよう教育していきたいとは強く思いますが。
- jimmy35
- ベストアンサー率26% (468/1774)
それが我々現代の大人の作った環境と言えると思いますよ。利便性再優先で細い道を歩いても平気で車が通る。ザリガニの採れたどぶはどんな化学物質が入っているかわからない。小学校は通り魔などの関係で放課後の解放もままならない。そんな環境では子供は屋内に引っ込みますよね。屋内に引っ込めば家族とのコミュニケーションしかありませんし、引っ込む分だけ当然子供個人の部屋を子供自身が小さい頃から遊び場として要求しますよね。それに応えれば当然コミュニケーション不足な成人が増加していきますよね。 自分の会社でもコミュニケーション不足で勤務態度から今後問題が出るだろうな(今は若気の至りで済みそうには思いますが)という人がいますが、環境を考えれば仕方がないとも思います。つまり我々が上を向いてはいた唾が今、顔に落ちてきたということでしょう。おそらくこの問題と引きこもりの問題は根が同じでしょう。 再度大人から人と人とのコミュニケーションを考える時期(遅きに失しているとは思いますが、今からでもしないよりはマシでしょう)だと思います。その姿は必ず子供たちが見ています。
お礼
ありがとうございました、参考になりました。
同感です。もう少し質問形式にして下さい。
お礼
わかりました、すみません。
- _pretty
- ベストアンサー率23% (19/80)
私も同感です。 家の子供(男児)も、毎日元気に遊ばせたくても近所に子供が居ないし(子供会が出来ないくらい)本当に困ってました。 たまたま学区に「学童保育」が有り「火を使わせる。鉛筆はナイフで削らせる。泥まみれで遊ばせる。」など、「野性的」な学童で、ずいぶんワンパクさせていただきました(^^;)(何度かTVで放送されました) それだけ「昔は当たり前」だった事が、今は「学童に入れて、有料」じゃなければ出来ない。そんな時代が悲しいです。
お礼
昔は地域全体で子育てするのがあたりまえでしたよね・・・ いろいろ事情がかわって難しくても、社会全体でこどもを健全に育てていける世の中であってほしいものです。 ありがとうございました。
お礼
後輩に指導していても、やはり育ってきた環境は重要だなーと感じますね。とくに一人っ子の方は周囲への気に配り方や、他人との距離感をつかむのが苦手な方も多いです。 家庭や学童などの集団保育の場も立派な社会の縮図なのでしょうね。 自分の子供も集団生活に早いうちから慣れさせています。 学生時代クラブなどで運動しておられた方は上下関係もきちっとしている方が多いです。 ありがとうございました!