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断食の本当の意味。
断食は、意味がある事なのでしょうか? 質問はこれだけなので、私の考えも書いておきます。 先人のシッダルタ(いわゆる仏陀)も、若い頃は、断食等の 苦行をしたそうです。 でも、苦行の果てに「苦行は意味のない事」と悟ったと 言われています。 でも、今の仏教では、断食が行われていると思います。 これは、「苦行は無意味」という悟りを反古、無駄にして いるのでは、ないのでしょうか? とはいえ、実践しなければ、分からない事があります。 電子レンジはボタンを押せば使えるけど、理論が分か れば、そのありがたさ実感できることもわかります。 皆さんは、どう思いますか?
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まず「今の仏教」と一言に言っても、山ほどあるし、みんな違いますよね。 特に日本の仏教というのは大乗仏教という新しい仏教の流れが中国に伝わって、そこからさらに各宗派の開祖さま達の解釈の基に出来ている仏教なので「仏教」という総称は使っていますが、実際にはみんな違うんです。 「自動車」という総称にトヨタもあれば日産、三菱・・・があってそれぞれが違うように、「仏教」という総称にも、いろいろあってみんな違うんです。 で、現在、お釈迦さまの当時の教えに最も忠実といわれているのが南アジア圏に伝わる上座部仏教(テーラーワーダ仏教)です。 ここでは断食はやっていないと想いますが・・・・どうなんでしょうかね? 修行の一環としてやっているのかも知れませんが(ちょっと解りません) で、断食とまではいかなくても、今でもテーラワーダの出家者の食事は一日二回と決められてます(昼以降は食べてはいけないんです) タイでは昼以降の牛乳の摂取が議論の的になっているほどですから、きちんと戒律を守っているんですね。(牛乳が食事に当たるか、否かの議論ですね) お釈迦さまの当時は托鉢で得られなければその日は抜き、得られたものは何であれ全部食べるということだったようです。 これは「食べ物」というものに執着しない心を創るためなんです。 「食欲」という「煩悩」にも打ち勝とうという思想から来ているんです。 お釈迦さまの教えというのはアバウトに言うと「この世は全てが移ろいです。移ろうものは虚妄です。移ろうものに執着しないようにしましょう」ということですから、自分の肉体も、それを維持する食事も、無執着の対象ということなんです。(性欲も入ってきます) ですから、断食をやっている宗派も、悟りの追体験の必須課題としてやっている宗派もあるかも知れませんが、それだけではなく、「無執着」という意味での、食事制限なのかも知れません。 悟りの追体験ならば、断食しなくても、ちゃんとその方法論(悟りに至る道)をお釈迦さまが伝えているし、今でもテーラワーダの世界で「ヴィパッサナー瞑想」として脈々と伝えられていますので、それをやれば良いんです。
お礼
大変参考になりました。 Syo-yaさんのプロフのコメントに、興味を覚えました。 とはいえ、断食は無執着ではなく、より意識してしまうような 気もします。 とはいえ、仏の教えが、統一されていないのはどこの国でも 同じようですね。