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チベット暦の置閏法について
現在チベット暦が使われている国は、中国・インドの他に、ブータンやモンゴルも上げられますが、これらの国によって閏月の挿入位置は異なるのでしょうか?。また、閏の挿入位置は、そもそもどのようにして決められるのでしょう・・・?。調べて行くうちに、それぞれ違うのでは?との疑念が涌いてきましたが核心に迫れません。誰かたすけて~。。
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- 安房 与太郎(@bilda)
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── チベット政府においては四名の暦官を置いてある。その四名の者 が白い石や黒い石や棒切や貝殻でもって勘定して毎歳暦をこしらえ出す のですが、大抵四名とも少しづつは違って居るそうです。そのうちのよ いのを二つ取って、例の神下しに尋ねてどちがいいかということを聞い て、その一つを取るんです。数学的観念のない半開人のすることは実に 憫れなもので、噴き出すような馬鹿な仕方であるです。で、正月元日の 式は大抵政府の暦によってやるんですが、それとても本当の元日はどう だか分りはしない。大抵シナの太陰暦の元日とチベットの元日とは同日 になることはごく稀です。一日あるいは二日後先になることもありまた 三日位違うこともある実に奇態な暦であるです。 ── 河口 慧海《チベット旅行記(二)19780710 講談社学術文庫》P169 上記は1901年02月19日に(現地で)書かれた、迫真の記録です。 下記は1996年05月22日に、亡命政府の国家占星官(Mrs.チューズム) の講演後に、わたしが単独インタビューした要旨です。 「チベットの暦は紀元前127年に始まりました」 この年を暦元(Gregorio -126年10月27日)として、通算チベット暦 (元号なしの)第2131年元日は、西暦2005年11月02日にあたります。 年首が三ヶ月も遅れたのは、なぜか閏月を3回多く置いたからです。 彼女は、インドで印刷された民間暦を手にしていましたが、置閏法に ついて、ほとんど答えられませんでした。 いまや誰も説明できなくなったのでしょう。せめて過去に用いられた インドの暦(サカ暦、ビルマ暦、ネパール暦など十数種)だけでも収集 して照合すべきですが、いずれも形骸化してしまったのです。 わかく熱心な研究者には、あくまで実物の暦にもとづく、ネット情報 による画期的な発見が期待されます。 かつての机上天文学でさえ、それなりの成果があったように……。 下記の対照表は、キリスト教の用いる西暦(グレゴリオ暦)に対する イスラム暦・ユダヤ暦の日付です。インド暦とイラン暦は、それぞれが ヒンズー教とイスラム教の年号をもつ、最新の近代的な春分暦です。
お礼
早速のレスありがとうございます!。2005年11月02日ですか・・・。正直ますます深みに嵌まって行きそうです。Mrs.チューズムの話が正しいならばチベット正月恒例のモンラム・チェンモもこの時期になるわけですね・・・。私は2005年のチベット正月は2月09日と弾き出していました。それも第2132年がです。多くのwebサイトを参考にしたのですが、再考の必要がありそうですね。ただ1つだけ確かなものは、1996年の時点で2005年の新年を算定しているということで、少なくとも河口慧海が旅した時代とは変わっているということですね。参考にさせていただきます。ありがとうございました!。