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終戦を経験した日本国民の心情について
以前、歴史教育について質問したものです。 暖かく回答してくださったみなさま、 ありがとうございました。 また、知りたいことができ、質問をします。 よろしくお願いします。 私はこれまでずっと日本帝国は国民に洗脳させ、 国のために利用したという気持ちが強かったんですが、 海軍兵士や神風特攻隊の、 国に対する揺らぎのない気持ちを知ってからは、 あのときの戦時下、状況はどうであれ、 故郷を守るために死んでいった方々に 私は今まで、なんという無知であったか、 靖国神社で会おうと言った兵士たちに対して、 参拝そのものが気まずいものと考えていた私を 恥ずかしく思うようになりました。 歴史は感情ではなく、 中間的な立場で見なくてはならないと思いますが、 しかし、命を懸けた方たちを考えると、 有耶無耶にせざるを得なかった敗戦後の教育を考えると、 やはり、きっちりと学ばなければならないと 思うようになりました。 しかし、ここで、また疑問が沸きました。 国のために死んでいった人たちもふくめ、 一般市民も日本を思えばこそ、との思いで 団結してきたのに対し、敗戦後の心情については、 ただ、受け入れるしかなかったとのイメージが強いです。 戦争にまけたから、東京国際裁判で日本帝国は悪かったという判決のため、 人々は受け入れるしかなかったのでしょうか。 お国のためという精神が残っていたため 国がそうなったから・・ということで耐えるしかなかったんでしょうか。 もしかして、国に対して裏切られたと思った人もいたのでしょうか。 今の時代があまりにも平穏としているので、どうも、すんなりと受け入れたという印象があります。 勉強不足で申し訳ありませんが、答えていただけるとありがたいです。
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私には一言でまとめることも難しく、またある学説や社会的な分析だけで容易に説明がつくものでも無い様に思えます。 ある年に地域の老人たちに戦争について語ってもらったことがありました。その時の言葉で 「負けて悔しかったけれど、あー、これでやっと長い長い戦争が終わったのだとホッとした。」 「戦争に負けてどうなるかというよりも、ただ終わったと言うことで今までの複雑な気持ちが全部涙になった気がした」 「戦争なんてしたくなかった、だけどみんな国を守ると言って戦地に行くので自分もみんなのためにと心を決めた。戦地でみんな死んで行った。辛い毎日ばかりだった。勝つと信じていた戦争が終わって我に帰ったとき、食べるものも無く、家族も失い、街もなくなっていた。日本には何にも無かった。あったのは命。そんな中で何も考えられないよ。ただ、自分の家族のために、自分のために生活を守ることだけだった。疲労のために満州から帰国した母が直ぐに死んだ。 アジアの独立と掲げた戦争でも結局日本だって他の国に侵入したようなもの。国に裏切られたというより、日本が馬鹿だったのさ。相次ぐ戦争で勝ってきたからその気になって自滅したようなものさ・・・。」 「何も無くなった日本。方向性を見失って生活を守るためにただ頑張って生きる、復興させる、亡くなった人が日本の国を命をかけて守ったのは自分が死んでも国は良い国として繁栄し続けて言って欲しかったからだ。そのためにおじいちゃんも行きたくない戦争に行ったのだ。だから、戦後復興は厳しかったけど頑張って行こうと思った。」 「負けた国が無くなってしまうのではないかと心配に思ったときもあった。だけどその時中国が日本の領土などはいらないからアメリカにお任せしようと言ってくれたのさ。今思うとうんと迷惑かけた中国に助けられたのさ。何と心の広い国かと感謝した。アメリカも戦争したくなかったのさ。日本がおごり高ぶっていたからやつけられたんだなぁ。」 「アメリカなんか大嫌いだった。怖かった。だけど生きるために受け入れるしかないこともあると思った。今になってみるとアメリカのお陰で民主主義になって自由になって良かったと思う」 など色々なお話がきけました。 mika-kkoさんも時間があったらご老人からお話を聞きとってみてはいかがでしょうか。教科書では教えてくれない生の体験談、声を聞くことが出来ます。 そのお話の中で、自分の中で戦争がいったい何ものであったかを定義づけすることがとても大事に思えます。 何かのご参考になればと思いレスさせていただきました。
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- ss79
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正直言って「これで死なずに済む、こんな戦争で死んでたまるか!」というのが第一印象でした。 毎日「死」と直面していると人間は「生」しか考えなくなります。 いくら洗脳されていても「国の為」なんて考えは浮かばなくなります。 それでも自分が死ねるのは家族と故郷の為にであれとは考えます。 特攻隊員もそうであったと思います。 その為に一人でも多くの敵を道づれにして死のうというのが最後の願いだったでしょう。 「靖国神社で・・」なんて言う気持ちはキレイ事で来世で逢えようがセイゼイです。 その後は虚脱状態で毎日を生きるだけでした。 だまされていたと感じたのは天皇の「人間宣言」を聞いた時です。 私は今でも家族と故郷のためなら死ねます。
お礼
私が小学生のとき見た戦争アニメーションでも、お国のためにとはいいながらも、内心では戦争反対だったり、疑問を感じていた人たちがクローズアップされていて、早く終わればいいの一心で見ていたことを思い出します。お国のためにという言葉には、家族のため、故郷のためであり、たくさんの人が思いで戦場で散ったのですね。私たち若い者もしっかりと受け止めなければなりません。戦後の日本を支える自覚と責任があります。ありがとうございました。
当時の日本人は、軍人も一般市民もしっかりと規律を守ることをして来たことと思います。天皇陛下が「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」と玉音放送で民衆に「敗戦」を伝えました。皆、一様に悲しく悔しかったに違いありません。でも「暴動を起こしてはならぬ」と天皇陛下もおっしゃっている。だから「敗戦」となっても「暴動」も起こらなかったのではないでしょうか。 また終戦後、天皇陛下が国中を回って国民を励まされました。いわゆる「ご巡幸」です。国民は天皇陛下の御心とお姿に励まされ、また一から頑張ろうと、前向きになり、焦土と化していた日本の復興に力をいれ、頑張ってこられたのでしょう。日本に「天皇制」がなかったら、今の日本はあり得なかったでしょうね。 この敗戦を国民が「すんなりと受け入れた」のは事実でしょう。でもそれには「強い心」がなければ受け入れることもできなかったと思います。 私は、当時の日本人の方々を、本当に誇りに思っています。 天皇陛下の「終戦の詔書」のURLを記入しておきましたので、どうかご参考に。
お礼
日本人とは本当に素直というか、素朴だという印象を受けます。耐え忍ぶ・・ちょっと前までこのような風習があったのに、残念です。
- SCNK
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米軍が進駐後に調査したそうです。終戦直後、日本人は科学技術で米国に及ばなかったという感情がもっとも多かったと結論しています。
お礼
回答ありがとうございました。私自身、マッカーサーに対して好意的な気持ちを持っているのは、技術面で勝てもしない戦争をしたから、という考えからなんです。しかし、それは戦後日本人の中に浸透したものなんですね。
お礼
回答ありがとうございました。そうですね・・人の思いもさまざま、分析なんてできませんね。したくもない戦争に行ってきたのは家族と国を守るため。みんなつかれていたんでしょう。二度とごめんだ。という気持ちが、私がうけた戦後教育のなかにも、よく表れていたと思います。不安だったんでしょう。みなさん、よくがんばってくれましたね、といいたいです。私もご老人の方とお話をしてみようと思います。