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私、世界、神の唯一性の根拠は同一か?

私は唯一だと思っています。 世界は唯一だと思っています。 神は唯一だと思っています。 他にも唯一なものはあるかもしれません。 それらは同じ根拠で唯一なのでしょうか? それとも違う根拠で唯一なのでしょうか?

みんなの回答

  • kigurumi
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回答No.22

No.3です。 読ませていただきました。 うーーーん うーーん(無い知恵を絞ってみます) >私は究極のサングラスをはずすことは不可能だと思っています もうひとつ、サングラスをはずす必要性はあるのか って事も大事かも。 例えば坂本竜一って音楽家が一時期音を遮断する部屋に入院したことありましたよね。 彼は数少ない絶対音階の持ち主で、音全てを音階として認識してしまって心を病んでしまったそうです。 コップがぶつかる音すら音階として捉えてしまって、まるでサリンの被害者と同じような状態になってしまった。 我々はフィルターを通すことで、今必要ではない情報を遮断したり和らげて刺激を少なくした状態で感知したりしています。 それは能力がそうだからというより、そうだったから今もってこの地球上の存在してきたんじゃなかろうかって思いませんか? 例えばこんな話聞いたことあります。 鈴虫の音は電話では聞こえないって。 (トリビアの泉より。 でもそれトリビアじゃない 重要だって思いました。) 電話では伝達できない理由は周波数が原因なんですが、ちょっと待て。 人間が感知できる音の周波数は限られたもの。 他の動物は人間とは違う周波数も感知することができる。 どうして人間は犬が感知する周波数を感知しないのか。 する必要が無いからじゃないか。 もしくはしなくても絶滅するに至るほどの欠損ではなかったからじゃないか。 そのほかの能力を欠損した代償に得ているから地球上で我が物顔でのしのし歩いているんじゃないか。 って思いません? つまりこの地球上ではサングラスをつけることに成功した生命体が子孫を残して、それぞれ独自の一番合いそうなサングラスを子孫に継承していっている。 って思いません? 太古の昔の人のサングラスと私たちが今つけているサングラス、同じかもしれない。 付け替えていないかもしれない。 付け替えてしまったら絶滅していたかもしれない。 付け替えなかった(能力が無かった)ことで子孫を残してこれたのかもしれない。 一方でサングラスをつけたままでは真理は感知できない。 ならば人間が人間を裁くことはできないんじゃないか。 でも現実は昔からそうやってきている。 わたしは人間はサングラスをみんなかけていると思っています。 人によってその数は違うけど。 金八先生が言ってました。 「人間はみな障害者」 そうかもしれない。 障害(サングラス)を持っていない人はいないかもしれない。 でも、時にはサングラスをかけることで生き延びているということも大いにあるんじゃなかろうか。 ただ、それで そうか! じゃ 考えるのやめよ ならないのが面白いところ。 この世は無常で これが唯一としたところで、唯一じゃなかった ってコーヘレトは言いましたよね。 風を追うようなものだ って。 その彼だって そうわかっていながら 風を追うことをやめなかったみたいです。 そして風を追う経験を沢山やったから 得られた真理があるみたい。 それは彼にとっては誰がどう言おうと もはやゆるぎない 唯一の真理なのかもしれない。 我々も 唯一なんて人間の能力ではわかりっこない なんて諦めていたら 不満足の死になっちゃうだろうから 諦めずに探求しましょうね!

corpus
質問者

お礼

私は眼鏡をかけています。そして、しばしばその眼鏡をかけていることを忘れています。私にとっては眼鏡をかけているこの状況こそが通常であって、眼鏡をはずした世界は通常ではありません。 顕微鏡人間というものを考えたことがあります。常に顕微鏡の中だけを見ている人間のことです。彼にとってはその中だけがリアルなのです。彼にとって顕微鏡の外は非常に恐ろしい世界なのかもしれませんね。 神はフィルターを持っているのでしょうか?私は究極のサングラスをはずすことは不可能だと書きましたが、神にはできるかもしれませんね。逆に、そのようなことができるのが神であるといえるかもしれません。 いつも回答本当にありがとうございます。

回答No.21

唯一と思う限り 色眼鏡は 取れないだろうね.  

corpus
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 唯一と思わなければ色眼鏡が取れる可能性があるということですか?もし、唯一でなく唯二だとしたらどうなんでしょうか?

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.20

No.3です。 >私の目や脳を通すことで、唯一と考えてしまっているのかもしれませんね。 ソフィーの世界ではソクラテスでしたっけ。(カタカナ弱くて ><;) 私たちは洞穴の中で光源に背を向け壁側を見ていて、その壁に映し出されているものを実体だと思っているとかなんとか。 私たちはサングラスをはめて世の中を見ているってソフィーの世界に書いてありましたよね。 しかしそれは了解したが、裸眼で見る方法までは発見していない。 ちなみにこのサングラスとは、脳なんじゃないかと。 それを調べていくと、この世は神が造ったという概念がどうして発生したのかわかるような気がします。 脳の中の幽霊って本を読むと、神すらも人間の脳の内側の世界にのみ存在するんだって思えました。 人間の外じゃなくて人間の内 つまり神が人間を包括しているのではなく、人間が神を包括している。 神の存在をありありと感じるようにするには、脳のある部分を刺激するといいらしいです。 病気や事故から復帰したり宇宙から復帰した人が突然神と出合った、遭遇したと確信したりしだすのも、その普段の生活では刺激されない部分を刺激されたので、そうなったんじゃないかと推理します。 じゃあ全ての脳の器官を刺激しちゃえばサングラスは取れるのかというと、記憶力をよくする薬品はサリンらしいですが、その被害者は苦痛にうめいています。 過去のとうに忘れていい記憶の領域にまで頻繁にアクセスして走馬灯のように色々な記憶が蘇って寝ることもままらないから。 それじゃあ人間の普通の生活といわれるものを送ることはできません。 自閉症の人の中には驚くほどの記憶力を持つ人がいますよね。 その領域が発達したことで、逆に日常生活を営む能力がうまく働かない。 全てを手に入れるってできないのあかなぁ・・・ ゆるやかな進化でいけば順応でき、サングラスは外れることは可能かも。 では 人間はゆるやかに肉体も思考も進化していっているのか? >新しい世界が発見されてしまったとき、それは今までの世界の延長にすぎないとか、 >新しい私を偶然見つけてしまったときも、その人は私ではないと否定してしまうとか、 >新しい神が現れてもそれはあるひとつの神の現れ方の違いでしかなく根本は同じ神なのだとしてみたり。 その考え5千年くらい前だと思いますが、既に考えた人いました。 もしかして多くの人の知恵の終結かもしれませんが。 旧約聖書に載っています。 http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/28kohereto.html グノーシス主義では、その人たちが神としていたものはニセモノで本物は別にいるという考えです。 でもその延長線上にはやはり別の神の可能性が生まれてしまいます。 そっちの方向じゃあいくら探しても駄目っぽい気がするなぁって思いました。 じゃあ どっちの方角?って聞かれても さぁ???なんですよね (^^;) なんか辿りつく前に私の寿命は終るのはわかっているんですが、謎説きしたいですよねぇ・・・ 気になるしねぇ・・・ 知ったところでだから何?なんですけどねぇ・・・ 知りたいですよねぇ・・・

corpus
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は究極のサングラスをはずすことは不可能だと思っています。たまねぎの皮をむいて最後には何もなくなってしまうように、サングラスをはずしていって何も残るものはないと思います。というよりもこれですべてサングラスをはずしたといえる瞬間がないのではないでしょうか? むしろ、サングラスを新たに付け加えていくのはどうでしょうか?これはサングラスをはずすのともしかしたら同じことかもしれませんが、違うような気もします。サングラスを新たに付け加えても変わらないものがあれば、それは実在するものということになるではないでしょうか?サングラスを付け加えていけば無限にサングラスが多くなることはあってもなくなることはありません。 でも、やはり、サングラスというものがいったい何を示しているのかわからなくなります。サングラスをかけているときにサングラスをかけていることを忘れてしまうように私はそのサングラスを本当にかけているのでしょうか?脳がそうさせているということはこの私にどうしてわかってしまうのでしょうか?かけているかわからないサングラスをはずすより、かけていることがわかるサングラスを新たにかけることのほうがよいのではないでしょうか?具体的な方法はわかりませんが。

  • kigurumi
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回答No.19

No.3です。 >しかし、それでも、多重世界を包括するひとつの世界があると考えてしまうことはおかしいことなのでしょうか? 3次元で考えればそれを包括する世界って考えができるかもしれませんが、多次元だとその概念が無くなるかも。 >私が複数いるとします。それでも、その複数の私を統合する一人の私というものは考えられないのでしょうか? その考えで思いつくのが解離性同一性障害。 お互い存在を知らないが、両方を知っている人格がいる というのは小説の中だけかもしれない。 解離性同一性障害の人がもし複数の人格の存在を知っていれば、出てきて言うと思います。 「この人の中には多数の人格がいます。ぺらぺらぺら あー ひっこめられちゃう」とか。 こういう人って嘘発見器を受けることを断固拒絶しちゃうんですよね。 その多重宇宙の事を書かれた本によれば、複数の空間に全く同じものが同時に存在することはできないらしいです。 その理論かかれていましたが、忘れました・・・。 コインの裏と表で、表を見ているうちは裏を見れないとかなんとか。 そして表を見ている時は 世の中に裏があると気づくことはできないとかなんとか。 その時はほーほーって読んでいて思ったのですが、ごめんなさい 忘れちゃいました。 >あるいは、私が存在しないという状態は私は何人いるということになるでしょうか? え? 質問の意味がよくわかってないです。 すいません。 質問の意味がぼんやりとしかわからないのですが、それでも こんなんかな?って思って私の意見を書くと、えっと。 back to the featureで多重宇宙の概念を取り入れたみたいです。 一つ選ぶと別の可能性の世界が消滅する とかなんとか。 で、未来から来た人が過去にありえない物を残すと、別の未来の方向へ進むので、もう未来には戻れなくなる。 そればかりか自分が一瞬にして消滅しちゃうこともある。 主人公が選択を間違えたばかりに、未来に帰るはずが、別の未来に戻ってしまったりしましたよね。 幸い タイムマシンがあったので選択しなおしができましたが。 >私、世界、神というものは実は数が数えられない部類ではないかとも思っています。 あ、私も昨日同じこと思っていました。 数えられるものと数えることができないものが世の中にはあるって。 >唯一であるということが言えるためには唯一でない可能性を考えることができないといけないと思います。 その通りだと思います。 >その可能性が多重宇宙なのでしょうが、本当にそれを考えているのでしょうか? うーん 哲学ですよね~。(と誤魔化したりして 笑) えっとあなたが言っていることと同じ事をスピノザも考えてたようです。(とソフィーの世界を読んでいて思いました) 一元論(汎神論)ですよね。 この世の中のものは思惟かその延長で、全ては一つの事に帰依するって考えですよね。 私もある意味そう思うことができます。 ソフィーは少佐という神の世界で生きていましたが、その少佐はゴルデンの世界でゴルデンによって操り人形のようになっている。 そのゴルデンだってその上の何者かの存在を考えており、その何者かはさらに何者か・・・その先は一つ つまり唯一ってなりそうです。 がー 多重宇宙(くどい)を持ってくると、どういったらいいのだろう、個々になっちゃうんですよ。 我々が感じる時間の流れはこれだけじゃあ無いかもしれない。 知らないだけで他のあるかもしれない。 もっと現実的に考えると、私と私の知り合いではこの私は違ってきます。 多くの人の中にこの私はそれぞれにいます。 ではどれが真実のこの私なのか。 わたしは私自身がなんなのか言い当てることができません。 少なくとも私以外の人の世界での私は実体そのものでは無い様に思えます。 でも、じゃあ私が思う私が実体なのかというと、「そうです」とは言い切れません。 多重宇宙を持ってこなくても、わたしは複数の世界にいると理解することができます。 (私を知らない人の世界には私は存在しませんが。誰かと出合って私が過去を話したら、わたしはその人が私を知らない頃からわたしは存在したことになります。 back to the featureの多岐にわたり生成される世界みたいなもの?) ソフィーは大佐のバランスが崩れたのを見計らって大佐の世界から脱出しました。 でもまだゴルデンの世界の中にいます。 本当にそうでしょうか?ゴルデンの世界の中だけでしょうか。 あなたの中のソフィーはゴルデンの世界のソフィーだといえるでしょうか。 ソフィーはあなたの世界の中だけでしか存在しないでしょうか。 ってふっと思ったのですが、実存か否かを問う問題になっちゃうと、ソフィーは消滅しちゃうんですよね。 この世は実存するものだけで構成されていると果たして言えるのか。 包括するたった一つの世界は本当にあるのか。 うわー 難しい。 でも 今回いろいろ考えることができました。 ありがとうございました。

corpus
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ますますわからなくなってしまいました。 唯一と考えてしまうのは私の癖かもしれませんね。実在の世界では唯一などというものはないのが、私の目や脳を通すことで、唯一と考えてしまっているのかもしれませんね。 新しい世界が発見されてしまったとき、それは今までの世界の延長にすぎないとか、新しい私を偶然見つけてしまったときも、その人は私ではないと否定してしまうとか、新しい神が現れてもそれはあるひとつの神の現れ方の違いでしかなく根本は同じ神なのだとしてみたり。

  • igarasik0
  • ベストアンサー率28% (59/208)
回答No.18

1 私とは、思考する主体です。 2 世界とは、私が居住する空間です。 3 神とは、世界の法則です。 この定義は全部「Aとは、Bです」という形式だから同じように見えます。 それぞれの対偶をとってみると、 1' 思考する主体ではないものは、私ではない 2' 私が居住する空間ではないものは、世界ではない 3' 世界の法則ではないものは、神ではない となります。 <ここからほとんど妄想> 対偶ですからたぶん正しいと思うのですが、微妙に違うもののような気がしました。 その違和感が私に囁くのです。 (無くても定義や対偶と矛盾しないが)思考する主体は「私」以外にも「他者」というのがあっていいはず。 ということは、1は「みんな」という集合から一つを取り出して、それに「私」という名前をつける作業のことではないか? 3は「世界の法則」という集合に「神」という名前をつける作業のこと? 2は、‥‥わからん。 でも、これが正しいとするなら、定義の中に「私」(もしくは「神」)を唯一のものとする要素があり、それを解くと「定義より「私」(もしくは「神」)は唯一である」という単純なところに落ち着くのでは? ‥‥。 結論:私にはよくわからない 不真面目な回答をお許しください

corpus
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 対偶をとってみるのもひとつの手ですね。 この私のやや思いつきの定義は間違っている可能性が高いですね。 名前を付ける作業、これは決して何もしていないということですよね。何かわからないから適当に名前を付けておこうというものでしょう。

  • akira0130
  • ベストアンサー率25% (15/60)
回答No.17

 神とは何でしょうか?  それは人ですか?  それは摂理・法則ですか?  自分が、神となることが可能だと思いますか?  色々意見はありますが、私は、神とは知識であると思っています。  預言者という言葉が、それを表していますが、神はキリストではなく、キリストの教えの中にいる。アラーも同じですね。(違うと言われそうですが)  私は思考する主体  神は思考の源

corpus
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 神とは知識の源で、そこから我々は知識を得ているのでしょうかね。しかし、なぜ我々は神からあるいは他の何かから知識を得たと思うのでしょうか?我々が知識を何の見本もなくつくってしまうということはないのでしょうかね。

回答No.16

表題:摂理の存在証明(神の存在証明)  「自然の摂理」という神は存在します。  以降、簡潔な帰納法により、このことを証明致します。 証明:   自明ではない公理が存在することは明らかである。     例一(自明な公理   :数理上の哲理)   1+1=2   例二(自明ではない公理:数理上の哲理)     ピタゴラスの定理(公理)       (この内容を、以下のように洞察してみます)     在る三角形に於いて、もしも、最も長い辺の    長さの二乗値が、他者2辺の長さの二乗値の和    に等しければ、この3角形の最長辺に対する対    頂角は直角である。 よって、このとき、当該    三角形は直角三角形であり、このことは、直角    以外の他2者角(余角)の大きさ、最長辺(斜辺)    を含む、3者辺の総体としての長さとは無関係    に成立する。       以上の2例の存在を以下のように解釈し、これを  「摂理」とよぶ。 即ち、「哲理」とは「公理」に   対応し、「摂理」とは各種の「哲理」に於いて   自明のものと、そうではないものが存在すること   である。     この「摂理」を「神」とよぶのならば「神」は   存在することになります。    あらゆる真の学問及び真のスポーツは、究極に   は自然界の摂理という神を志向するものと捉える   ことも可能です。    とまあ、このように考えれば、人類の未来はバ   ラ色であり、希望を胸に抱けますよ。(σ^∀^)σ 

corpus
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自明であるか自明でないかは摂理という名の神の性質なのでしょうか? 自明でないことが存在することが神の存在を示しているのでしょうか? もし、自明であるものばかりで満たされているならば、神は存在しないのでしょうか?

  • kigurumi
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回答No.15

No.3です。 >>昨日電車に乗り遅れたから、今決定することは今日の電車に間に合うように出発をすることであって、 >>昨日の電車に間に合うように行動することじゃないですよね。 >これは、非常に面白いです。今決定することが昨日の電車に間に合うようにすることだとしたらですが。 ええ。時間が逆に流れるような世界になったら、食事中にサラがからっぽから、どんどん料理が皿の上に乗っていくのが当たり前の世界になるでしょう。 でも、我々は現在→未来という方向の時間軸の空間に生息しているので、逆行の生き方はできない。 昨日の電車に間に合うように懸命に思考錯誤やっても無駄。 >>常に未来を考えながら今を生きています。 >これは、この今がこの先、過去になることを考えながら生きているのと同じことでしょうか? あまり意識して生きている人はいないんじゃないかと。 でも現実はそうですよね。 >>こう定義してしまうと思考停止を招きますし自らを牢屋に閉じ込めるような思考になってしまいますよね。 >そんなことはないと思います。神以外のことについて考えていたらいいのですから。 ええ、宗教によっては人間のことは思わず神のことを思えってのがありますが、多くの日本人はまず自分の事、次に家族のこと、友達 余力があれば神は~とか思っていると思います。 でも、世の中には神99%、次自分1%って人もいるかも。 そして、神100%ってならない自分を攻め立てている人もいるかもね。 哲学をしている人は哲学だけしていてはどんずまりなので、日常生活を堪能します。 芸術にも興味を持つし、科学や宗教や友達との交わりも大切にします。 だから結構 するどい理論を出せるんだと思う。 いくら理論が奇抜でも現実ありえない理論じゃあ 説得力無いし、自分を騙して自己満足の世界に閉じ込めて世の中わかった気になっている井の中の蛙になっちゃいますもんね。 >>この今の状態が唯一で、この状態は過去の方角に向いている唯一ではなく、未来に向かっている唯一。 >今と私はある意味で同じ意味をもっていると思います。今の唯一性と私の唯一性はどこかでつながっていると思います。 うーん あなたのイメージはこうかなって想像はできますが、多重宇宙を持ってくるとその考えは崩れちゃいます。 つまりこの世の中は一つではないとしたらですが。 沢山のあなたがいろんな宇宙に存在していて、普通はお互い接触はないのですが、空間だったが時間だったかを超越すると入れ替わっちゃうって考えです。 本人は入れ替わったことはわからない。 他人は同じ人だけど性格が変わったと思う。 すごいでしょう。 もうSFの世界ですが、結構この哲学をSFの世界で書いている人います。 そして哲学者や科学者に興味持たれて参考として読まれていたりします。 >>この唯一さえ獲得していれば、多少の唯一だといわれているものが唯一じゃなくなっても私の唯一の世界は壊れないです。 >唯一は獲得するものなのですか?その獲得方法はどうなっているのでしょうか?私は願うことならば、唯一の世界が壊れるようなことになってほしいと思っています 結局 我思うゆえに我あり って事で切り抜けるしかないかな。 多重宇宙を持ってくると これすら崩れて自我が危うくなる。 難しいですねぇ 唯一とか自我って。

corpus
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 多重世界では、世界は唯一ではないんですよね。しかし、それでも、多重世界を包括するひとつの世界があると考えてしまうことはおかしいことなのでしょうか?私が複数いるとします。それでも、その複数の私を統合する一人の私というものは考えられないのでしょうか?あるいは、私が存在しないという状態は私は何人いるということになるでしょうか? 私、世界、神というものは実は数が数えられない部類ではないかとも思っています。それは単に私の計算能力の問題かもしれませんが。 唯一であるということが言えるためには唯一でない可能性を考えることができないといけないと思います。その可能性が多重宇宙なのでしょうが、本当にそれを考えているのでしょうか?

回答No.14

この一瞬は、脳細胞の時間変化という見方からも、一瞬 こそ脳にとっては最重要な認識の瞬間です。 さもなけれ ば、脳細胞は機能停止し、再び認識する瞬間は訪れないで しょう。 人生は一瞬一瞬の積み重ねであり、それ以上で も以下でもなく、現実に存在しているものは、貴方の一瞬 の認識の連続であり、これこそが、意味ある存在の全てで しょう。  貴方以外には、決して貴方の人生の一瞬一瞬を認識でき る存在は無く、人は皆、自己の存在という孤独な海を、所 在無く彷徨しているのです。

corpus
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 一瞬は積み重なっても一瞬でしかないような気もするのですがどうなのでしょうか? 私以外に私の人生を認識できるものはいないということは神の存在を否定しているのでしょうか?あるいは神にはそれはできないということでしょうか?

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.13

No.3です。 ソフィーの世界って面白くなかったですか? 今回の議題の内容も書いてありましたよ。 哲学の流れを書かないと今回の議題は的を得た回答ができないのですが、書くと膨大な内容になってしまいます。 ソフィーの世界ではキリスト教にも影響を与えたロマン主義が当たりがその説明をしているっぽいですが、その箇所だけじゃないです。 逆に唯一と思っているものは本当にどんずまりの唯一なのかと疑問を投げかけているページもありますので、そこらあたりも読んでみてはどうでしょうか。 神という概念は人間が作り出したものだと思います。 人間が定義して、その定義を時代とともに書き直して これぞ神だとしていますが やはり次の世代が前の考えを否定し書き直しています。 常に人間の思考は進化しているのでこれは仕方が無い。 これでは絶対(唯一)がいつまでも決定しない。 宗教は絶対(唯一や真理)が決定していることが大前提ですから、修正してしまっては成り立たない。 そこで人間は新たな定義を考え出した。     神は人間の叡智では到底計り知れないもの 解決~  しかし、、、 こう定義してしまうと思考停止を招きますし自らを牢屋に閉じ込めるような思考になってしまいますよね。 なによりその程度の定義で思考停止できてしまうほど人間は愚かではない。 ソフィーの世界で、人間は今のこの一瞬一瞬を生きているというのはわかっていると書いてありました。 そして人間は今の一瞬から未来という方角に進んでいる。 常に未来を考えながら今を生きています。 昨日電車に乗り遅れたから、今決定することは今日の電車に間に合うように出発をすることであって、昨日の電車に間に合うように行動することじゃないですよね。 過去のために生きるのではなく未来のために今を生きている。 この今の状態が唯一で、この状態は過去の方角に向いている唯一ではなく、未来に向かっている唯一。 この唯一さえ獲得していれば、多少の唯一だといわれているものが唯一じゃなくなっても私の唯一の世界は壊れないです。 あなたの世界も誰の世界もこの唯一さえあれば壊れないですし。 ただ、この唯一さえも壊れるのがソフィーの世界なのですよね。 ソフィーはインクの染みだったのか。 その疑問を読者に投げかけている書物なんですよね。 えっと このテーマを語るには哲学の歴史を紐解いていく作業になるので、えっと、、、 歴史をわかりやすくかける人にパス! 苦笑

corpus
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >昨日電車に乗り遅れたから、今決定することは今日の電車に間に合うように出発をすることであって、昨日の電車に間に合うように行動することじゃないですよね。 これは、非常に面白いです。今決定することが昨日の電車に間に合うようにすることだとしたらですが。 >常に未来を考えながら今を生きています。 これは、この今がこの先、過去になることを考えながら生きているのと同じことでしょうか? >こう定義してしまうと思考停止を招きますし自らを牢屋に閉じ込めるような思考になってしまいますよね。 そんなことはないと思います。神以外のことについて考えていたらいいのですから。 >この今の状態が唯一で、この状態は過去の方角に向いている唯一ではなく、未来に向かっている唯一。 今と私はある意味で同じ意味をもっていると思います。今の唯一性と私の唯一性はどこかでつながっていると思います。 >この唯一さえ獲得していれば、多少の唯一だといわれているものが唯一じゃなくなっても私の唯一の世界は壊れないです。 唯一は獲得するものなのですか?その獲得方法はどうなっているのでしょうか?私は願うことならば、唯一の世界が壊れるようなことになってほしいと思っています。

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