13世紀後半に日本に遠征した蒙古の艦隊には、火箭(かせん)という一種のロケット兵器を搭載していましたし、15世紀のエスパ二ャ艦隊は砲身を持つ火砲を装備していましたが、それらは対艦武器というよりも人員殺傷用でした。16世紀初頭までの対艦破壊方法と言えば、主に船首に装備した衝角(Ram)で敵艦を破壊する方法でした。
艦砲が最初に対艦破壊用に使われたのは、1571年レパントの海戦からと言われます。当時エスパ二ャ、ベネチア、ローマ教皇軍の同盟国艦隊は、重砲を装備してオスマン・トルコ艦隊に対して、大きな戦果を上げました。ですが、19世紀頃までの艦砲は、腔線が無い、滑腔砲身で球形の弾丸を砲口から押し入れる先込め式、砲は艦に固定されていました。
軍艦に装備された大砲は次第に大きくなっていき、1805年トラファルガー海戦当時のイギリス旗艦だった戦列艦(line of battle ship)ビクトリー号は102問の艦砲を装備している程でした。
19世紀半ば頃から、発明・開発された施条、後装式(弾丸を砲身の後ろから装填する方式)駐退複座式機構(発射時に衝撃を吸収する)、竹の子模様の弾丸、無煙火薬、炸裂弾など総合的に採用することにより、19世紀末に速射砲が完成しました。この速射砲が最初に使用されたのが、日清戦争当時の1894年、韓国の西海での海戦でした。その時の日本軍が装備した口径12~15cm速射砲は清国艦隊の大口径砲を圧倒して勝利を収めるのに決定的な役割を果たしました。
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細かい説明をどうもありがとうございました。