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日本人以外の英語

大学留学中です。授業で同じグループのラテン系クラスメイト(スペイン人とペルー人)と、共同でレポートを作成中です。私はわりと、シンプルでまとまりのよい文章が好きなので、なるべくあっさりと仕上げたい派です。逆に彼らは、私にとっては余計な情報に見えることまでだらだらと付け足していき、長ければ長い程よいという感じなのです。 アカデミックライティングの授業でも文献サマリーの方法を散々習ったので、私はとにかく短く簡潔な文章(時に一文が長くなったとしても)にしたいのですが、彼らは1ページの文献があれば半ページは引用しているのでは、というくらいです。日本人は機械でも小物でもコンパクトなのが好きですよね?(英語)文章の書き方にも国民性とのようなものは現れるのでしょうか?いつも私のパートは説明が足りないと文句を言われるのですが(私は逆のことを彼らに言っています) 。。。

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  • NYC10017
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回答No.2

国民性は勿論、母国での教育体制、そして母国語の性質などが全て執筆スタイルに影響します。というよりは、その三つの要素が別々に働くのでなく、三つが一体になっての効果・・・という風に考えてください。 スペイン語圏の国民性は、皆様もご存知のとおりです。教育方針も、日本の「50字以下で述べよ」とくらべると、スペイン語圏の教育は考えるプロセスや人間としての発達を大事にすると言われます。事実、スペイン語の bien educado (英訳すると well educated)は、実は勉強ができるとか頭が冴えているということではなく、 言動に磨きがかかっている、とでもいいましょうか、ほとんど「礼儀正しい」に近いものがあります。ですから、教育の焦点が少々違うのです(戦前の日本の大衆教育に似ているかもしれません)。 そのうえ、スペイン語には、一般的に「話し言葉」と「書き言葉」の区別がありませんから、まるで友達同士で会話をしている様な、ダラダラとした論文を書く学生が多いのが事実です。また、専門的な論文は、理系は勿論文系でも普通三人称で書くもの・・・と決まっていますが、スペイン語圏の学者達はどうも一人称で書きたがる癖があります。 向うにすれば、三人称で書かれた簡潔な文章というのは冷たく、説明不足だ・・・というのは、この様な背景があるのです。英語学校に通われているなら、これはクラスのよいディスカッション材料になると思いますので、先生に相談なされては如何ですか?学部にお通いでしたら、貴方の成績に影響が出ますので、至急教授にご相談下さい。

noname#21571
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。私もスペイン語をかじっていたのでおっしゃることが何となくわかる気がします。グループメイトは二人ともよく、スペイン語の文法をそのまま英語に当てはめたり、音の似ている単語を英語の文章にそのまま使ったりしていることも多いです(例:acquireなのに、スペイン語のadquirirから勝手に作ったadquirという単語を使っていました)。日本語ベースの私にはちょっと信じられない間違いなのですが。。 英語学校ではなく普通の授業なので、こんなことでいちいち揉めるのも何ですが、個人的には結構興味があります。よろしければ、bien eucado についてもう少し説明頂けますか?現在の日本の教育とはどう違うのでしょうか。言動に磨きがかかっている、というのはつまり、表面的に美しければよい、ということなのでしょうか?

その他の回答 (4)

  • NYC10017
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回答No.5

>bien eucado についてもう少し説明頂けますか?現在の日本の教育とはどう違うのでしょうか。言動に磨きがかかっている、というのはつまり、表面的に美しければよい、ということなのでしょうか?> 一寸元々のご質問から逸れますが、お答えします。直訳すれば、「bien educado = well educated = 学歴のある」。しかし、その意味を深く考慮に入れると、スペイン語だけ、英語や日本語と凄くニュアンスが違うんです。「ビエン・エデゥカド」は、英語で言えば well-mannered 、日本語で言えば「礼儀正しい」・・・というニュアンスが強いからです。 歴史的に言えば、日本でも戦前の教育は心身のバランスを考えたものが多く、仏教・武道教育や花嫁修行的教育を見ても、「教育」の定義が、専門知識や勉学以外に内面から人間を磨く事の大切さや人間性(正義感や良識のある人間になる事)の大切さ等の焦点を含んでいたのが解ります。当時「教養の有るお方」と言えば、well educated よりは、今のスペイン語のビエン・エドゥカドに近いものがあったと思います。 戦後に、それが旧アメリカ式の知識重視の教育に変わり、それに拍車をかける様に「受験戦争」の時代が来、ますます「人間を磨く」教育から遠のきました。現在でもそのような事を校訓として掲げている学校もありますが、実情はどうでしょうか。学力と「人間性」と言うのは、必ずしも比例しないような気がします。また、現代の日本教育は、ゆとりの教うや生涯教育を謳いつつ、一寸人間の内面を磨く・・・という表現からは程遠い気がします。 ですから、ご質問「表面的に美しければよい、ということなのでしょうか?」・・・答えは Absolutely not! です。むしろ、内面から磨いて勉学と他の方面を両立させろ・・・というのですから、それとは程遠いんです。 スペイン語圏では多くの場合、「教育」の定義が、以前の日本の教育と共通するものがあります。しかし、日本古来の文化とは違い、これはカトリック系の影響が大きいとされています。それと共に、親は先生に子供を100%任せるべきだ・・・と言った文化的な背景もあるとされています。一寸専門分野の一部なので、ダラダラと書いてしまいました。失礼。

noname#21571
質問者

補足

詳しい解説をどうもありがとうございます。私もこのような教育を学校で受けてみたかったです。bien educadoと関係があるのかはわかりませんが、私の知るスペイン人は、英語のミスは多く、文章は冗長になる傾向があるのですが、本当はじっくり派で賢い人のように思えます。そして、今時珍しいほどの正義漢で平等主義者です(そしてご多分に洩れず感情的、でもとても心優しい)。これは本人の性格も大きいと思うのですが、そういう教育的背景も関わっているのでしょうか?一人しか知らないので何とも言えませんが。 同じグループにカナダとイギリスで育ったフランス人もいるのですが、彼女の英語はネイティヴレベルなので、必然的にレポートの総編集に携わっています。このフランス人はスペイン語圏メンバーとは逆で、効率重視、読みやすさ重視です。仕事は早いですが、アウトプットは確実で的を得ています。これもまた、本人の能力が大きいと思うのですが、文化的背景も何か関与していると思われますか?すみません、まったく横線なのですが、もしお答え頂けましたら幸いです。

noname#27172
noname#27172
回答No.4

フランス人だとスペイン人とは反対に簡潔な表現を好む傾向にあります。それと、英語とフランス語には似ている単語が多いだけに日本人には考えられないような過ちを犯すことも多いです。例えば、単語レベルでは 例えば actuallyが微妙に文とズレていると思ったら nowadaysの意味で、同様にchanceがluck、最後に日本人も間違いやすいんですが、maniacがfanatiacalというふうに。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1061640
noname#21571
質問者

お礼

ありがとうございます。フランス人の単語間違いもすごいようですね。きっと彼らは日本人とは違って、あまり間違いだとかにこだわらさそうですけど。。はは。

回答No.3

こんにちは。 まず、まだアメリカ(やイギリス)に来て数年という場合は、自分の国で習った作文や小論文の書き方が英語にもそのまま出てしまう場合がよくあります。日本人や中国人の場合は、最初に例をどば~って並べて最後に結論という感じで英語を書きますし、それからヨーロッパのひとは、日本人よりもとにかく例をいっぱいいっぱい書いて、それで時間がなくなって結論が書いてないっていうパターンもあります(笑) でも、日本人でも、あまり文章を書きなれていないひとの場合は、例が少なすぎる場合も確かにありますね。簡潔に書きすぎていて、詳しく例がかかれていないことも時々みられます。 アカデミックライティングの授業をとっているということは、外国人学生用の英語の授業をとっているということでしょうか?とにかくその授業で先生にちゃんと習うことですね。インターナショナルだというと、やっぱりどうしても自分の国のやり方を強制してくる外国人も中にはいますから、とにかくアメリカ式(またはイギリス式)のレポートの書き方にあてはめて書く事を何度も何度も練習することです。日本でも、スペインでも、ペルーでもなく、今、montseさんがいる国で適応されている文章の書き方になれることを一番頭にいれることです。

noname#21571
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。ライティングの授業を取っていたのは彼此2年前になるのですが、最初の頃は確かに、「どうしてここまでうだうだと説明しなければわからないのか」と思うことが多かったです。英語に慣れてきた今でも、気付けば簡潔さを目指しているので、もしかすると私も省略しすぎる節があるのかもしれません。でも、やはり「短いけれど多くを語る」日本語文化が好きです。。

  • HayBay
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回答No.1

間違いなく現れますね。ヨーロッパで仕事をしていたことがあるのですが、そのころの経験では、ドイツ人は前置きが長い、イタリア人は余談が長い。フランス人は何回も同じことを繰り返す、という印象を持った覚えがあります。 その点イギリス人は(自国語ということもあるのかもしれませんが)すっきりした日本人好みの英語を書くように思います。 ビジネスマンと学生では話したり書いたりする内容も違いますから一概に比べられないと思いますし、また語学は○○人だから、という要素より、個々人の性格のほうが大きいと思いますよ。日本人でも日本語の下手な人たくさんいますしね。 勉強がんばってください。

noname#21571
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。こんな感想を持っているのが自分だけではないと知って嬉しいです。私は既に、長さで勝負的なやり方にへき易しています。怠け者扱いまで受け、ほんとたまりません。。。

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