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1940年代の中国について
日中戦争時期での(1)満州国や(2)日本占領地、(3)重慶政権支配地などの経済史的な位置付けとはいったいどんなものなのでしょうか?整理したいのですがまとまりません。優しい方是非教えてください。どれかひとつの位置付けでも大歓迎です。よろしくおねがいします。
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- makochi
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回答No.1
40年代は企画院による物動計画が国家的な統制経済の推進役をつとめます。(いわゆる国家総動員、総力戦体制ってやつです) ここで既に植民地・占領地は国内軍需・民需の重要な供給地として計画に折り込まれます。 満洲は有名な撫順炭鉱、朝鮮は北部で水力発電や重工業が発展します。しかし、華北・華中などでは国共軍の反撃や中国人の非協力的な姿勢によって、経済的支配は一向に整いません。 この際に財閥などは当初より非協力的態度をとり、積極的に大陸進出を果たしたのは、むしろ新興財閥でした。(政府の不拡大方針や、この財界・財閥の態度も五・一五事件などのテロによって徐々に軍部の意向に沿う形へと統制されていきます) 41年は日中戦争から太平洋戦争開戦に至るわけですが、それ以前から中国大陸での日本の経済計画は失敗続きでした。(「法幣」「蒋介石」あたりでググってください。) で、行き詰った日本軍は南進を開始しますが、これがアメリカの怒りを買います。これによって米の対日輸出はストップ、以降、終戦まで物資供給を日本の占領地に依存せざるを得なくなります。東南アジアへの侵攻も、物資供給先の開拓が第一でした。 蒋介石政権との経済戦によって日中戦争は長期化・泥沼化しましたし、その結果としての太平洋戦争開戦は、経済的な見通しを無視した現地収奪主義で(敗戦まで)際限なく突き進むことになります。