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毒矢の喩えについて

釈尊とマールンキヤの子の対談「毒矢の喩え」が意図するものとはなんですか?教えて下さい。

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  • jakyy
  • ベストアンサー率50% (1998/3967)
回答No.2

私、jakyy流の解釈ですと下記のようになります。 【今すべきことは何か】 毒が刺さっている矢をまず抜くことが先決。 その後に矢を調べたり、誰が矢を射ったのか調べたりするのは、後からでも出来る。 人は困難な事態の時には、今すべきことを判断できなければならない。 こういうことを釈尊は尊者マールンキヤの子にいいたかったのでしょう。 【最重要事項】 世界には困難な問題が山済みされています。 こういうときこそ人々は、何を今すべきかの判断が求められています。 我々は最重要事項は何かを絶えず考えることが必要であると釈尊はいっているのでしょう。 【村山首相の場合】 余談ですが、阪神大震災の時、当時の村山首相は大惨事が起きている時に、 アサヒビールの社長と朝食中でした。 一報が入ってもすぐに動こうとはせず、その後も自衛隊の緊急出動をためらいました。 自衛隊が出動されたのは、かなり時間が経ってからでした。 自分の面子にこだわったために、被害が多くなりました。 【自分で判断】 人が言っていたとか、人が批判するからということは、 実際の社会では大きな問題ではありません。 目の前に起こった事態を見て、動くことが大事でしょう。 私、jakyy流の解釈です。

sausuke
質問者

お礼

とても分かりやすかったです。ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.4

「八正道」ではないですが、正しく見聞して、正しく理解、判断して、正しく行動しなさいということだと想います。 例えば、思想を偏愛する人は、思想という感覚の快楽に溺れてしまうんです。そうなると物事を正しく判断できませんから、優先順位も狂いますし、適切な対処が出来なくなってしまうんです。 ある武士?が大切な10枚セットのお皿のうち、一枚をお手伝いの人に割られてしまったそうです。とても大切なお皿だったので、かなり怒ったそうなんですが、その武士は「モノ」に心を奪われている(執着している)自分の姿に気づき、残りの9枚も割ってしまったんだそうです。 何かに囚われていると、絶対に心は狂ってしまうんです。 ですから、毒矢の喩えも、囚われるな、こだわりの心を捨てて、正しく見聞して、為すべきことを為せ、仏教全般に言われる「執着を捨てろ」というところに尽きるのかも知れません。 法句経にも「為すべきことをなおざりにし、為すべからざることをなす、遊びたわむれ放逸なる者どもには、汚れが増す」とあります。

sausuke
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

参考までに 四諦(苦集滅道)八正道の教えですね。 苦集滅道の順序が大切ということですね。 まず苦を見つけなさい。応急処置ですね。 苦の原因を集めなさい。 それから苦の本当の原因を取り除いていきなさい。 その方法に八正道があるということ。 まず心にある苦に気づくことが始まりということでしょうか。

sausuke
質問者

お礼

ありがとうございました。参考にさせてもらいます。

  • BLUEPIXY
  • ベストアンサー率50% (3003/5914)
回答No.1

仏道修行にさしあたり役に立たない議論や不可知な問題について考えるより、まず、仏道修行に励みなさい というようなコトだと思います。

sausuke
質問者

お礼

ありがとうございました。