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「美」について
「美」という概念は何なのでしょうか? ちなみに僕は「美」には大きく分けて2つの方向性があると思います。 それは、合理化によってもたらされる幾何学的な「美」と装飾することによって発生する華美的な「美」です。それは、人間の体格でいうならば前者はボクサーの体格であり、後者はボディービルダーの体格です。サッカーで言えば前者はカウンターのもつ美しさであり、後者は華麗なパスを展開するサッカーであるかと思います。そして、その両者を弁証法的に高めたものがヨハン・クライフが創ったトータルフットボールであるわけです。 例を挙げるとキリがないのですが、今のところ僕の中ではこの2極説が有力です。なにか「美」に対して意見がございましたら、暇なときでも結構ですから教えてください。
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>はじめに「美」ありき ん? 本能レベルでの「美」のことを指しているのか? 女性の腰がくびれている方がよいとか? この場合は 女性の腰がくびれている=妊娠してない=自分の子孫が残せる と本能的に悟っているわけで、意味的には「はじめから美が設定されている」ことになる。 逆に身体障害者を怖いと思うよね? これは自身にも同じ事が起こるのではないかという恐怖です。 もしくは障害が自分の子孫に受け継がれることへの恐怖です。 これが本能的は「醜」です。 はじめから設定されている「美」とは人間の生存本能に起因したものです。 女性は強い男性に惹かれる。 男性はナイスバディさんに惹かれる。 その他、顔形、知性、礼儀などなど「優れている」部分を自分の子孫に残そうとする。 人の顔は「その時代における平均的な顔」がもっとも美人といわれるそうな。平均的な顔というのは逆にいうと「すべてに対して劣っていない顔」といえるのではないだろうか? 総合すると本能的「美」とは「優れている」ということであると考察する。
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合理化の美と装飾の美は、アプローチの違いだと思います。 本質は同じ。 人間の頭は一つですから。 私なら、自然美と人工美に分けますね。 芸術で言うなら、模写と表現。 外と内。
- tsuyakka
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環境、宗教、思想、など美しさの定義は個々の価値観でさまざまに分かれると思います。それを美の概念の外延とするなら、内包は美しいものを美しいと感じて、美しいと認める心になるのではないでしょうか。
- caballero
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3歳で失明した男性がいまして、46歳にして医学の進歩により視力が回復しました。術後、驚きの一言です。Dr(男性)にたいして、「先生、思ったよりハンサムですね。」つまり、「美」の感覚は後天的要素によっているわけではないという事になります。つまり、育ちの違い、文化の違いよりも、決定的な認識方法が生まれた時すでに、もしくは3歳までに確立される事になります。「美しさ」は教育によって与える事はできないという事です。
- sutyu
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「誰もが思う美しさ」があるかどうかですよねぇ。 sabarenさんはあると思っていらっしゃるんですね。 うーん。探してみてもないので僕はないんじゃなかなって 思います。 例えばゴキブリくんも美しいと思ってしまう人間の 女の子は世界にいるかって考えるといないと思うんですよ。 あっ人間限定ですか? ならありそうな気も。 機能的な美と見た目の美として分けると、僕の中ではやっぱり好き嫌い になってしまいますね。 人間が本能的に快感を覚えるような形とかは存在する気がします。 ただやっぱりそれは好きと言えるような。。
- skoncho
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savarenさん、再び失礼します。スコンチョです。(^_^) >>好き嫌いはあるかもしれませんが、オードリー・へップバーンが美しいことに >>異論はないかと思います。どうでしょうか? ふふふ、これは言い換えれば「吉永小百合さんが美しいことに異論ないですか」 という事と同じですね。(多分) 難しい線ですが、僕の解答としては「不美人という人はいないでしょうね」程度 ですか。同じ定義として「ミロのビーナスは全ての人に『美』たりえるのか?」 とも言えますかね。(ちなみに、個人的に理知的なヘップバーンは非常に好きな タイプです(^_^;) 平均値以上が「美」なのかどうか。でも100%美しいと言えるモノが明確に 定義できない以上、平均値以上が美と言えるかもしれませんね。無粋な話では ありますけど。
- coelacanth
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私は弁証法とか唯物論、ト-タルフットボ-ル等に縁に遠いので少しsavarenさんの御質問から外れているかも知れませんが私なりの「美」について答えて見たいと思います。 「美」の概念の前に「美」とは何か。 「美」の反対側に「醜」があると思います。 「醜」は人間の五感を通じて喜怒哀楽を司る感情にアクセスして不安感及び不快感等を生じさせるものだと思いますが「美」は「醜」と同様に人間の五感を通じて安心感及び快感を生じさせることを「美」だと思います。 「美」から「醜」を、[醜]から[美]を探求した人もいますので[美]の概念とは[醜]を含めた神と悪魔の様に表裏一体の観点からみたものではないでしょうか。 savarenさんの言われることも、もっともだなとも思いますがト-タル的なものではないと思いますので万人が認める[美]の学説をsavarenが立てて見たらい如何ですか。 あまり御役に立つアドバイスではないと思いますが投稿して見ました。
- aruberihi
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ふむ、ここでいう美とは形なすもののみを対象にしているのかな? 行動そのものに美を求めることはよくあることだな。 無形の美とでも称したほうがいいかもしれない。 様式美ということもできるだろう。 その人の人格、誇り高さにもまた美しさはあるように思う。 「粋」という言葉がある。つまり、人の行動に美を求めた無形の美の一形態のように思う。 「美」にはいろいろあると思うがただ一つ、全てに対して当てはまることがある。 ある物事に対して「首尾一貫」していることだ。 一点の曇りなく、ある動作、ある形、ある様式を追求したもの。それが「美」ではないだろうか? 以上
- MinmMinm
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ただの感想みたいなので申し訳ないのですが、 savarenさんがご自身の思考を進めていかれるにあたって、 もしお役に立つことがあれば、と思って書かせていただきます....(^^; ・お相撲さんの体躯の美というのは、挙げておられた2極のうち、 どちらの美に入ります(傾きます)か? わたしには、合理化と装飾化とを兼ねており、さらに そうした「造形」なり「手法」以外の要素 (たとえば健康美----太っている人が本当に健康かどうかは ともかくとして(^^;----であったり、精神美(?)であったり) も絡んで "こそ"、「美しい」と感じさせられているように思われます。 ・savarenさんは、デフォルメによる美(?)、や奇形美といった 必ずしも万人が美しいと感じるとは限らないものも美と認められますか? 認めない場合は、この話は忘れてください(^^; 認められる場合、デフォルメ(その他)は 合理化ですか、装飾化ですか? というわけで、わたしは2極だけでは表しきれないように思うのですが....。 自然・生物にしろ人工物にしろ、頭の中のことにしろ、 わたしが何かを美しいと思うとき、 それは単に造形的に整っているだけではダメで、 あるいは優れた手法であるというだけでもダメで、 必ず何らかの「情緒」(感情や感動)を呼び覚まさせられる部分が 対象の中に含まれているように思います。 「造形的に美しいから情緒を引き起こされた」のではなくて、 「情緒を引き起こされたせいで美しいと感じ」ていますね。 そうした情緒を引き起こすものを言葉で表すなら、 生命感や精神ってことになるでしょうか。 (実際には生きてなくても。精神を持ってなくても。)
- GIONG
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はじめまして 僕も『美』に付いては全くの素人です。 その素人の戯言だと思ってください。 僕が思うに『美』とは、その個人がその物に対し、好きか否かという事が根底にあると思います。 『フェチ』という言葉がありますが、到底一般的(過半数的)には理解されない物でも、その個人にとっては『美』ではないでしょうか? 素人の戯言でした。
- skoncho
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savarenさん、はじめまして。スコンチョといいます。(^_^) 僕は哲学に関しては全く素人なのですが、僕も以前から疑問に思ってた 問題なので、思ってることを書かせてください。 高校生の頃、習字で議論になったことがあります。僕は「美しい字は無い」 と言い、友人は「美しい字は存在する」と言いました。今になって思えば、 僕は絶対的な話をし、友人は相対的な話をしていたのだと思います。 美しいとは言え、100人が100人見て美しいと思えるモノはまず無い でしょう。ただ、50人以上が美しいといえば、それは美しいとも言えます。 savarenさんの言われる幾何学的な美の方が絶対美に近く、華美的な美の方 が相対的な美に近いのではないかと思いました。乱文失礼しました。m(__)m
お礼
書き込みありがとうございます。僕も思っていたのですが、思考や感覚について考える時には、相対的・絶対的という言葉が絡んでくると思います。たとえば、幸せについてもそうなのですが、よくアフリカなどの経済的に貧しい国と比較して「ご飯が食べられる幸せ」が説かれることがあります。また、好きな人と結ばれる瞬間はきっとだれでも幸せでしょう。 ちょっと話しがテーマからずれましたが、僕は感覚とは自分の中での比較による相対的なものだと思っていました。ですが、「美」に関して考えた時に、「美」は絶対的であると思ったのです。好き嫌いはあるかもしれませんが、オードリー・へップバーンが美しいことに異論はないかと思います。どうでしょうか?もしよかったら、ご返事ください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに「○○フェチ」の○○の部分になるようなものは「美」を感じさせる要素があることも事実だとおもいます。でも、僕が考えるに「フェチ」には多分に後天的要素が含まれていると思います。つまり、自分の中の何らかの体験、経験が関与しなければ「フェチ」は発生しないのではないのでしょうか?たとえば、彼女とのデートで花火に行った時に浴衣を着ていた彼女のうなじが妙に艶かしかったとか、そういった経験の後で発生するものだと思うんです。だから、そこには個人的感情が多く含まれ、好き嫌いもあるし、一般的ではなくなったりもするのだと思います。 要するに、はじめに「美」ありき、であって「フェチ」は後天的なものなのです。だから、僕は「美」というものには好き嫌いはないと思います。そういった感情とは関係のないもっと根源的なものとして存在するのではないのでしょうか。