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運転中は性格が変わる、ということの心理学的な意味
昔、車の免許を取ろうかなと思って友人に話したら「ぜひ取りなさい、性格変わるわよ」と強く勧められました。これは当たっていたと思います。運転中は「あ~あ、あそこで曲がればよかったのに、、、」なんてくよくよしていられませんよね。常に即断即決を迫られるので、いい精神修行になると思います。 ところでここでお聞きしたいのは以下の点です。 運転している時だけ別人のようになる人が、たまにいますよね、こういう人を心理学的に(やさしく)説明するとすれば、どういうことになるでしょうか。 運転中は普段おとなしい人でも、人が変わったようにエキセントリックになり、すぐカッとなったり口汚く罵ったりすることがありますよね(少数派でしょうけど)。あれはなぜでしょうか。 もともと隠れていた、その人の本性なのでしょうか。その姿が地にちかいのでしょうか。 それとも、運転中の緊張感で異常に興奮した状態になるものでしょうか。 この前、とてもおしとやかな奥様が罵詈雑言を吐く場面を見て以来、疑問に思っています。個人差の大きいいことでしょうが、一般的な範囲で教えていただければと思います。
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お邪魔します。これはなかなか興味深い質問ですね。 どれほど多くの人が感じているか分かりませんが、実はクルマの運転というのは、さまざまな制約の中で忍耐力の強さを試されるゲームではないかと私は思います。 人間というのは「それぞれの度量」に差がありますし、運転中は絶えず素早い認知判断が求められますから、ストレス度がそれなりに高く、人によっては普通に走っているだけで能力の限界ギリギリに近い状態にあると思います。そんな中でちょっとした障害が目前に来ると、精神的にもう吸収できる余裕がなくなっていて、それが「性格が変わる」という風に捉えられるのではないでしょうか? そういう人たちにとって、道路はまさに戦場なのかも知れませんね。
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- syunpei
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性格が変わるわけではありませんよ 勝手なだけです。また、本性がでるだけです。 車を運転する場合、よろいをきるわけで 自分が強くなったような気分になるんです。 人間とは勝手な生き物で 自分が車を運転しているときに、バイクや歩行者がじゃまになったりしませんか?でもバイクに乗ったりや歩行者の立場にたてば、車が危険極まりないように感じるものです。 対向車や前の車がとろとろしていると 愚痴をいいますよね、時にクラクションならしたりとか、いそいでるから自分が運転しているわけです。 いそいでいて、おそくなったり運転しにくくて困るのは自分であって相手ではありません、だから自分のことだけ考えるものなんで、自分の都合だけでいらつくわけです。 ・・・実は自分も解かってはいるんですがいらいらしますよね。できるだけ相手も相手の事情があると落ち着くよう努力はしていますけどね。(笑;)
お礼
お答えありがとうございます。 やっぱ本性がむき出しになってるだけでしょうかね~。たしかに勝手ですよね、人間って。私はいい年なのでカッカすることもあまりないのですが(クラクションはめったに使いません)、それでも制限速度内で前を走られるとすごーーくイライラします。考えてみると相手の方が正しいんですけどね。 バイクは邪魔というより、危ないからあまりそばに来ないでほしいです(笑)。
- kaiu
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まるっとその人の本性だと思います。 その人物をみたい時には 車の運転をみる、本棚をみる、 等有効だと思ってます。
お礼
お答えありがとうございます。 本性ですか、、、ではあの上品な奥様も家では子供や旦那様を怒鳴っているのかな(笑)。 落ち着いた安全運転で(かつ上手)、本棚も知的(無難)な人だったら文句ないですね~。
お礼
お立ち寄りいただいてありがとうございます(笑)。 豹変する人は、忍耐力が限界に達している、ということでしょうか。あまり命がけで運転してほしくないですけど(笑)。 運転者が35歳以上とかだと任意保険料が安くなるのは、加齢とともに運転技術の進歩と度量が大きくなるから? 事故がぐっと減るそうですね。