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自衛隊の違憲性
現在このことについて、勉強をしているのですが、 調べていくと砂川事件、恵庭事件、長沼ナイキ事件、 色々な最終的判決もその判断を避けているという ことでした。 9条は侵略戦争は勿論否定しますが、自衛のための 実力部隊というのは、戦力との線引きはできない ですよね? 安全保障の為の自衛と戦力との線引きをあえて行うと すれば、それは、長距離ミサイルや核兵器といった 大陸を越えるような威力の兵器の有無になるので しょうか?それとももっと明確な線引きがあるので しょうか? 文章が下手ですみませんが、教えてくださる方 よろしくお願いします。
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法理論の専門家から詳細な説明があると思われますが、そもそも歴史上多く行なわれた戦争で 「侵略のため」 と謳って始まった戦争ってないのではないでしょうか。 全て 「自衛」 または 「祖国防衛」 のため、やむなく戦うに至ったと主張する戦争ばかりではないでしょうか。 最近では米国がベトナムやイラクで大規模な戦争を起していますが、ベトナムでは共産主義拡張からの防衛、イラクではご存知のようにテロからの自衛のため戦い、という風に位置づけられています。 でも実際にやっている事は他国に軍隊を送って現地でドンパチをしているわけです。 これも彼らに言わせると 「自衛のためのやむを得ない戦い」 と認識されていますよ。 このように全ての戦争は、自称 「自衛のための戦い」 であって、侵略するために行なっているのではありません。 ご質問にあります長距離ミサイルや核兵器は自衛という概念を超える兵器だという説もありますが、これも 「祖国を敵の核から守るための核兵器」 という理屈でいけば、これも侵略兵器にはなりませんね。 法には疎いのですが、この戦力が自衛のためか侵略のためかの線引きは 「兵器の種類」 によるのではなく 「政策」 によるものだと思います。 考えてみれば、家庭によくある普通の包丁でも、使い方しだいでは兵器になりうるわけですから。 私見ですが、自衛隊が違憲ではないとする論拠は、そもそも自然権である 「祖国を防衛する権利」 は明文化しなくてもどの国家にも存在する、そのため自衛のための戦いしか想定していない自衛隊は憲法9条に合致する、または違反はしていないという考えたによるものです。 でも何となく苦しい言い訳のような感じがしています。 保有するならキチッと改憲をして、どんな疑いももかけられないような存在にすべきでしょうね。 または全国民が本当に腹をくくれるのなら、自衛隊は憲法違反だからという理由で即時解散にすべきでしょうね。
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- k99
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意図的に保有しない物は空母と核兵器(に附随する長距離の投射能力)だと思います。 しかしこれらも政策的なコストパフォーマンスから保持しないという側面も強いわけでして(現状の防衛のみ考えればよい状態では両方とも帯にも長すぎ、金食い虫に終わる)。 自衛のための実力部隊というのは昭和27年閣議了承・「戦力」に関する政府統一見解によれば 「戦力」の基準は、その国のおかれた時間的、空間的環境で具体的に判断せねばならない。 です。 ほぼ神学論争の域に入りますね。 例えば、昔は反対専門のシャカイトーという人々がいたために、空自の戦闘機から空中給油能力や爆撃能力をわざわざ外すというカスタマイズを行った上で購入していました(そのため余計なコストが)。 しかし現在では金を払ってつけなおしている始末です。 周辺での軍拡が進んだ影響や、自衛隊の定員を削減するための効率化で昔なら戦力とされたものが、現在では許容されているわけです。 同様にヘリを積んだ護衛艦や、甲板が平らな輸送艦を造る際にも「空母の復活だ」とさんざん騒ぎましたがこれらも現在では許容されています。 また、仮に飛行機が自国を越えて他国まで飛べたとしても、その後の攻撃に資する情報インフラや訓練を行っていないので、戦力ではないとする見方も有りえます(対外的には通用せんでしょうが)
お礼
素早い回答ありがとうございます。 時代とともに変わる現実を見ながらということですね。 大変参考になりました。
お礼
素早い回答どうも有り難うございました。 私見の部分を読ませてもらうと、とても頷ける部分が あります、たとえ苦しい部分があるとしても、 明文化しなくても存在するものはあると俺も考えます。