社会形態の相違から、思想の相違が生まれます。
はるか昔の社会は、王政がしかれており、権力者と、その領民という構造でした。
社会が発達し、人口が増えると、監視や統制が困難となり、力での統治となります。
おのずから、個人の自由な行動は抑制され、中央集権国家から小集団社会統治(地方自治)へと力点が移ります。
そこで、個人、個別主義から社会意識が啓蒙されるようになり、「国富論」「社会契約論」などが論じられるようになりました。
一個人が飛躍的に向上するのではなく、社会全体が向上することのほうが、国家の隆盛を極めるためには有効であると考え、「私人」に資本や、知識が集約されることを嫌い、私(ワタクシ)的なことは悪とみなしました。
しかしながら、今と比べると、まだまだ社会的に未熟ですので、社会構造が変化し、また、物理、化学、などの面でも発見、発明があり、そのけん引役となったのは、国家機関ではなく、ワタクシであったというわけです。
「歴史上の人物」が登場するのは、非常に原始的な国家形態であり、その人物の衰亡により、国家が左右されます。~地方での鉄鋼、小麦栽培が盛んである。となってくると、成熟した社会であるといえます。 特に、国家が隣接した地域に「社会思想」というものが発達しています。