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10分おきと1日おき

10分おきに来る電車は1時間に6本来ます。 一日おきに来る電車は 2日に一回来ます。 24時間おきに来る電車は1日に一回来ます。 ~おき これをどう説明できるのでしょうか。

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回答No.3

 おき、は、置き、つまり「あるものとあるもののあいだに置かれている間隔」のことです。  10分おきに来る電車、という場合、始発と二便のあいだ、二便と三便のあいだ……、n便とn+1便のあいだ、にある「間隔」はつねに一定していて、それが10分となります。電車と電車のあいだに10分を「置く」、ということです。  24時間おきに来る電車、の場合も同様。前の日の便が出発してから24時間という間隔を置いて次の日の便が出ます。電車と電車のあいだに24時間が「置」かれています。  一日おきという場合には、24時間よりもやや茫漠としていますが、しかしだいたい1日という間隔が電車と電車のあいだに「置」かれていることにはかわりません。  ただその「一日」という感覚が現代と江戸時代以前では異なっています。江戸時代の「一日」は時間のある時点からある時点までを区切ったものであって、時間の長さのことではありませんでした。一日はあくまで朝から翌朝までであって、24時間という時間の長さを意味するものではなかったのです。  一日おき、といったばあい、現代の感覚では電車と電車のあいだに「24時間」分の時間のながさがはさまっているのだろうと考えます。しかし江戸時代の人々は、電車と電車のあいだに「朝から翌朝まで」という期間がはさまっているのだと考えたわけです。つまり11月18日の正午に電車がでる。電車が出た日を起算点にすると、「次の一日」は11月19日の朝から20日の未明までになるわけです。したがって、この「次の一日」の期間は列車が出ない。時間の長さとしてはこの「次の一日」は24時間に相当するのですが、しかし一日中のどっからどこまででも好きに区切って24時間になっていればそれが「次の一日」であるかというと決してそうではないわけです。あくまでも「一日」というのは朝から翌朝まで。それ以外の時間帯を24時間で区切っても「一日」とはならないのです。  数え年という考えかたがまさしくこういう発想によるものでした。一年を一日に置きかえると「一日おき」のなぞがとけます。くわしくはURLの♯2を参照してください。

参考URL:
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1068735
smack
質問者

お礼

ありがとうございました。なにかもやもやしていたものがすっきりしました。関連知識も増えて嬉しいです。

その他の回答 (2)

回答No.2

日本語の問題であり、かつ、数学的概念のもんだいのようです。 「分」・「時間」の場合は「量」で連続的にとらえる=時間でとらえる。 「日」・「年」の場合は「数」で不連続にとらえる=日付(「年」の場合はなんと呼べばよいでしょうか?)でとらえる。 ……という違いがあるのでしょうね。 つまり、「~おき」という表現は、前者では「ある時刻と時刻の間に10分の時間がある」ととらえ、後者では「ある日付と日付の間に、日付が1日ある:○月1日と3日の間には2日がある」ととらえるわけです。

  • iczer
  • ベストアンサー率21% (37/169)
回答No.1

これはあくまで私の観念的な話ですが・・・ 「10分おき」「24時間おき」はいずれも「時間」を明確に区切っています。 それに対し「一日おき」は、連続した日にちの流れとしているのだと思います。 例えば月曜日の「一日おき」は、月曜の終わり、つまり火曜の始まりまでを指し、そこからの一日後、つまり水曜の始まりまでを指すのではないでしょうか? つまり「一日おき」とした場合は、一日を一ブロックとして考えるのだと思います。

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