輪廻する主体は何?
仏教では無我が説かれるそうですが、これは諸々の構成要素が、私が「私」と思い込んでいるものを形成しているに過ぎず、「私」は永続的ではないということを説明しているのだと解釈しました。一方、輪廻が説かれるということは、「私」には何らかの永続的な主体があると見なされているということだと思います。この輪廻する主体は、私の構成要素の中の本体のようなものでしょうか?いずれは意識がなくなり、私であったものは解体されるということは常識的に理解できるのですが、意識や五感といったものを取り去っても、なお、私の根源あるいは本質があって、それが輪廻するということでしょうか?「方便」とか、「仮」といった答えでは私には理解できません。仏教をそれほど知らない人(高校倫理の教科書レベルの知識をもつ人)でも納得のゆく説明をお聞きしたいと思います。よろしくお願いします。
お礼
迅速かつ(笑)的確な回答ありがとうございます。