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主観的なことを客観的に書ける?
「あなたがそれをどう評価するか、なるべく客観的に書いてください」という文章があり、違和感を感じました。 つまり「あなたがどう評価するか」を書けば、それは主観的なことだと思うのです。 主観的なことを客観的に書く、というのが、あるいは成立するのかなあと考えたりもしているのですが、よくわかりません。みなさんは違和感を感じませんか? ちなみに、その文章は下記URLにありました。 http://help.yahoo.co.jp/help/jp/movies/help/8/3.html
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質問者が選んだベストアンサー
■「客観的に書く」ということは、意見文・論説文には必ず求められることです。 ■意見文・論説文において、「あなたの考えを、なるべく客観的に書いてください」というのは、「あなたの考えを、他の人にも分かるような言葉で、他の人を説得することができるような根拠をあげて述べなさい」という意味です。 ■質問者の方が紹介されているURLにも、「客観的に書いてください」の後に、「単に好き嫌いではなく理由も明記するとよいでしょう」と書かれています。 ■根本的には、No.#4さんがおっしゃっているように、どんな客観的な事実も、主観を通してしか認識されないし、表現されません。「主観」と「客観」の違いは絶対的なものではなく、相対的なものです。かなり「客観的」に見えた叙述も、もっと「客観的」な叙述の前では「主観的」に見えます。 ■厳密に言えば、絶対的な主観(100%の主観)というものは、言葉では表せません。言葉で表現した時点で「主観」は「客観性」を帯びてしまうのです。たとえば、あなたが自分の気持ちを「悲しい」という言葉で表現した時点で、あなたの気持ちは、同じ「悲しい」という言葉で表すことができる他の人の気持ちと共通の性質を持った気持ちとして括られ、その時点で、他の人にも理解可能な主観、いわば「客観性を帯びた主観」になるのです。 ■このように、100%の主観も、100%の客観も、厳密な意味ではあり得ないという状況の中では、「より主観性の強い主観」「どちらかというと客観性の強い主観」「きわめて客観性の強い主観」というように、主観の持つ「主観性」のレベルも、相対的に揺れるものなのです。 ■以上のような理解があれば、「あなたがそれをどう評価するか、なるべく客観的に書いてください」という文章に出会っても、特に違和感は感じないと思います。違和感が生じるのは、「主観」と「客観」が、妥協せずに対立するものだという観念的な捉え方をしているからです。
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- otasuke009
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これまでの回答も、なるほどうなづける回答だと思いますが、質問者の違和感も理解できるところがあります。 「客観的」とはどういうことなのか、判断ならばすべて「主観的」ではないのか、そういう違和感を感じたことがないではありません。 質問者にアドバイスですが、「客観的」ということばを、「他の人にもわかりやすいように」と言い換えてみてください。つまり自分の「主観」に違いないけれども、もしかしたら他の人も「なるほど」と思うかもしれないような形で表現してみてください、そういう意味の質問だと考えてみてはどうでしょうか。
お礼
>質問者の違和感も理解できるところがあります こうおっしゃってくださる方がひとりでもいてくださって、内心ほっとしました。 どうもありがとうございました。
- matchboxtwenty
- ベストアンサー率38% (177/463)
こんばんは。 つまり、「評価する」ということは主観的なことでしかないということですか? こう考えてみてはどうでしょう。 対象について、どういった点に着目するかといったことは主観で決めて、それに対する「評論」は客観的に書くと。 映画の評価であれば、出演俳優に対する個人的好みを述べることは極力避けて、その俳優の個性が登場人物のキャラクターにどう生かされているか、脚本や演出の出来栄えが映画の魅力にどのように関係しているかなど、できるだけ多くの人が共感するような立場で評論すべきでしょう。 もちろん、個人が書く文章はどんなものでも、その書き手の個性、思想、嗜好が影響しますから、完全な「客観」はありません。むしろ逆に「主観」というものがなければ何も書くことはできません。 しかし「客観的」というのは、その人が社会において、これなら他の多くの人も納得するであろうということを、自分の経験の中から選び出して表現するものです。つまり「主観」の中にこそ「客観性」があるのです。 「主観」と「客観」は対極にあるものですが、「客観性」は個人の中の「主観」の中にあるものです。その「主観」が何かを表現する時に「主観的」なものと「客観的」なものを理性の力で振り分けているのです。
お礼
回答、ありがとうございました。 とても参考になりました。
- fortranxp
- ベストアンサー率26% (181/684)
人の評価=すべて主観的である。 とは 言い切れない面もあるのではないでしょうか。 例えば 警察官がそれは違法行為であると判断した場合、適切な業務執行ができますね。警察官も人ですから 主観的判断の可能性もありますが法律という基準 に照合して 違法性ありと判断する訳です。 単にあなたはどう評価しますか。と問われた場合 法律や科学的な合理性によって判断してよいと思いますよ。また 過去の経験による場合も想像上の事ではなければ 事実であれば客観的と判断できますね。 主観的判断とは 個人によって多種の価値判断が ある事柄についての場合でそれはそれで重要な判断と 思います。 これが私のなるべくの客観的意見です。
お礼
回答、ありがとうございました。 参考にさせていただきます。
- syosyosyo
- ベストアンサー率33% (32/95)
たとえば、車を評価する際、 「あまり、いいとは思えない」 という評価を与えて、その理由として 「燃費が同じ排気量の車の平均より10%も劣る」 といったことをあげれば、一応は客観的評価と言えるのではないでしょうか。 人によっては 「いいと思う」 「燃費は駄目だが、パワーは同じ排気量の車の平均よりすぐれている」 という評価を与えるかもしれません。 情報の取捨選択に主観が混ざりますが、客観的な根拠を挙げているので、他者の参考になるでしょう。 これを、 「自分の好みの車だ」 という完全な主観だけだと、他者はまったく参考になりません。 そういうような意味ではないでしょうか。
お礼
とてもわかりやすい具体例で、なるほど、と思いました。どうもありがとうございました。
- hijyousyudan
- ベストアンサー率12% (342/2653)
「あなたがそれをどう評価するか、 できるだけ客観的な表現を用いて書いてください」 という意味だと思います。
お礼
みなさんの回答を短くまとめると、こうなるのかもしれませんね。どうもありがとうございました。
お礼
とてもわかりやすく、読みやすく、納得させられる回答に感謝しています。どうもありがとうございました。