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三角形の合同の証明について

 だれか、中学生にもわかるように 「証明の必要性」とか、「証明を学習する目的」、それから「証明って何?・・・」を、具体的に身近なことを例にとって説明してくれませんか?たとえ話でもでもいいです。 お願いします。m(_ _)m

質問者が選んだベストアンサー

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  • keiryu
  • ベストアンサー率31% (46/145)
回答No.5

 いささか時代がかります。フセイン氏が支配したイラクには証明それ自体が存在しません。なぜか、民主主義の国ではないからです。  そう、証明は、民主主義が前提なのです。  だからこそ、直接民主主義の起こった古代ギリシャに論証の方法として証明は生まれました。  民主主義の国では、Aが「こうだ」と言えばそれに対して、Bは「なぜだ」と返答することが許されます。専制国家はだめですね。親分が「こうだ」と言ったら、みんな「そうです」と言うことが命を長らえることになりますから。  蛇足ですが、ある国の自民党の派閥にはこれがある時期ありませんでした。有名な台詞をはいた親分がいましたっけ。  「俺がカラスが白いと言ったら、カラスはみんな白いんだ。」  「子分たちはカラスきはみんな白いと言いました。」言った人が大臣になれました。専制国家の別の例ですね。  前置きはこのくらい。  「証明は対話である。」  二等辺三角形の二つの角は等しいという当たり前のような定理の証明をを中学でします。  A:二つの辺が等しいと二つの角度は等しいね  B:なぜ?  A:頂点から垂線を下すと、二つの三角形は合同になり、・・・   B:なぜ合同と言えるか?  A:直角三角形の斜辺と1つの辺が等しいからだ。  B:斜辺と1つの辺が等しいとなぜ合同なの?  A:・・・・  まあ、このようにBが納得するまでこの対話は続くことになる。  「証明を筋道を立てて考えること」などと教科書流に理解しようとすると、自明とも思える二等辺三角形の底角は等しいという事を証明することがなぜ筋道を立てて考えることに寄与するのかと言う思いに駆られるでしょう。  そのこと(例えば、底角が等しいのが自明と思えないこと)に同意しない人と対話して自分の思いを伝えること、それが証明なのです。  相手が一言で納得すれば証明はすぐ終わり、納得しなければ、彼との認識の基盤が同じところまで対話を続けていくことになります。そしてその認識の基盤を小難しい言い方で「公理」と言ったりします。  すべての人が底角は等しいと認識すれば、証明なんて不要なのです。そのことが公理なのですから。筋道もなにもありません。  以上は、村田全著「数学と歴史のはざま」、下村虎太郎の「科学史の哲学」-ポリスにおける数学の成立に論拠しています。  さらに蛇足。  証明のことを英語で「proof」と言います。この単語には別に「耐えるようにする」と言う意味があります。自分の主張を相手の攻撃(口撃)に耐えるようにすることがまさしく証明なのです。証明と耐えるようにすることがまさしく同義なのが分かる言葉が「proof」です。上の二等辺三角形の証明の例は、Bの口撃に対して、Aが耐えているとも捉えることができるでしょう。この耐える過程こそが証明そのもの。    

garoa
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 この回答を頂いてから、辞書と開いたり、本を探したり、して「証明」について、「深く知りたい」という気持ちがますます、強くなりました。  「証明」についてはまだまだ十分に理解はしていませんが、奥が深そうなので、しっかり勉強していきます。  

その他の回答 (4)

  • manda
  • ベストアンサー率23% (20/85)
回答No.4

  数学はじつは、「定規などで計ってみて合ってればOK」とい  うものでなく、終始、理屈で組み立てるものである。   高校以上では、図形だけでなく数式でも“証明”というものが  ついてまわる。三角形の合同の証明は、その入門用。 …でどうでしょうか? 後半は、#3のかたと同じになってしまいましたが。

garoa
質問者

お礼

う~っん! 数式での証明、楽しいといいですね。 そのためにも入門編の「今」をしっかり勉強しておく必要があるんですね。 頑張ります。ありがとうございました。

  • porco
  • ベストアンサー率20% (8/39)
回答No.3

 こんにちは。数学の証明問題は、あるルールに従って、客観的に、物事を順序だてて考え、それを正確に人に伝えて、分かってもらう練習になると思います。 だから、答案を書く時は、これで分かってもらえるだろうか?言いたい事が伝わるだろうか?筋は通っているだろうか?客観性はあるだろうか?、ということを、常に気遣う必要があると思います。  中学校の数学で、特に図形の問題で証明問題の練習をするのは、それが、数学の証明の練習の入門編として丁度適しているからです。

garoa
質問者

お礼

正確に伝えるって難しいですよね。 入門編ということは今後ますます難しくなるんですね。 がんばらなきゃ。 ありがとうございました。

  • shunten
  • ベストアンサー率37% (15/40)
回答No.2

二つの三角が合同かどうかを証明する必要なんか生きてゆく上では全くありません。証明を学習する目的は試験でよい点数を取るためです。 近視眼的に見れば幾何の証明を学ぶことで身に付くものは数学の点数が上がる程度のものです。それには大きな意味合いを感じません。 でも大きく見れば違う答えが返ってくるような気がします。それは将来何かの問題(人生上の、社会生活上の、等々)が身に降りかかったときの対処の仕方、或いは数学とは全く異なる分野でも何かを考えねばならない時に、その解決策の模索は幾何の証明の手法と大変よく似ていると思うのです。 私は学生時代に幾何はとても苦手で点数も下から数えた方が早かったですが、幾何的な物の考え方だけはとても好きでした。 三角に限らず、幾何に限らず、数学に限らず学生時代に学習をする事は後になって思いがけず大きな効果がもららされると思います。 これではお答えになりませんね。

garoa
質問者

お礼

今までずっと計算中心だったので、「証明」といわれてもとまどうばかりで・・・。 それに証明の必要性とかも。 でも、なんとなく「やっぱり必要なんだ」とわかりました。 ありがとうございました。 証明ができるように頑張ります。

  • onntao
  • ベストアンサー率32% (108/332)
回答No.1

某刑事ドラマにて ほにゃらら殺人事件 刑事 「お前が犯人だ!」 容疑者「証拠を見せろ」 刑事 「現場近くでお前を見た目撃者がいる」    「凶器にお前の指紋が残っている」    「被害者の金貸しから、返済を迫られていた動機がある」・・・・・ 容疑者 「うむむ!参りました」    

garoa
質問者

お礼

いいですねぇ。 わかりやすいたとえです。 こうゆうふうに最初は教えてもらいたいですね。 ありがとうございました。

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