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源義経、改名後の名前は?
源義経は、奥州に落ち延びた時、 反逆の咎で改名を強いられたと 記憶していますが、その名前と 改名年月日、掲載史料、そして 再び義経の名に戻ったのか? 詳しい方、お教え下さい。
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源義経→義行・義顕 義経の名が頼朝が信頼していた関白藤原兼実の息子「良経」と同訓であるのを諱んで義行と改める。 義経が姿をくらましてから後、いかにしても行方の知れぬところから、全く、義行(よく行くという意味)の名のせいであろうと、義顕(よしあき=よくあらわれる)に改名。 出典:「吾妻鏡」 義行の初出は文治2年(1186)5月10日 10月10日説も 義顕の初出は文治2年(1186)11月24日
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- mark-wada
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回答No.1
(井沢元彦さんの歴史解説から受け売りです。) それは質問の情報自体が誤りだと思います。 当時、京都の公家の子息に「義経」と言う名の方がいらっしゃったので、謀反人が同じ名前なのは畏れ多い、と 追っ手の側(鎌倉幕府側)が勝手に彼を 「義行」と改名して手配、追及しました。 ところが、義経がなかなか捕まらないのは「義行」つまり、「行ってしまう」などという文字が入っているからだ、と縁起を担いで 今度は勝手に「義顕」と改名して手配、追及します。 「顕」は「顕れる(あらわれる)」という意味がありますから。 いずれにせよ、追っ手の側が勝手に改名しただけのことで、義経本人は全くあずかり知らぬことです。 史料、時期その他は、専門の方にお任せします。
質問者
お礼
御回答ありがとうございます。 義経自身が、改名されている ことを知らなかったとすれば 何とも淋しい話です。
お礼
事情、及び経緯がわかり、ありがとうございました。 まだまだ、検索能力が低いと痛感しています。