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【歴史・日本史】712年に古事記、720年に日本書

【歴史・日本史】712年に古事記、720年に日本書紀が同じ時代の内容がたった8年間で2つの歴史書が作られた歴史的背景を教えてください。 古事記と日本書紀は作った勢力の王が違ったのでしょうか? でもその時代にはすでに天武天皇という絶対君主がいて、日本のトップは1人だったはず。 なぜ古事記と日本書紀の日本史の歴史内容が違うのでしょう?

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  • jack-a3
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回答No.1

ぶっちゃけ言えば「よく分からない」というのが答えになります。 一応、有力で一般的な説としては以下。 ・編纂を命じたのは天武天皇で、その際に「日本国成り立ちまでの神話と天皇家がそれを継承した正当性」をまとめたものと、「その後の天皇家の代々の歴史」をまとめるよう命令があったので、それぞれ「古事記」「日本書紀」として編纂された ・古事記は国内向けの歴史書で、日本書紀は海外向け(主に中国ですね)にまとめられた 他にも古事記は偽書であるとか、いやいや日本書紀は古事記の正当性を補完するために作られたとか、古事記の編纂は途中で中断し再開してるのですが、その再開の際に編集者グループが分裂してしまい二つ出来たとか、まぁいろいろあります。

note11pro5G5
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  • Nakay702
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回答No.2

以下のとおりお答えします。 >8年間で2つの歴史書が作られた歴史的背景を教えてください。古事記と日本書紀は作った勢力の王が違ったのでしょうか? でもその時代にはすでに天武天皇という絶対君主がいて、日本のトップは1人だったはず。なぜ古事記と日本書紀の日本史の歴史内容が違うのでしょう? ⇒確かに、編纂を命じたのはどちらも第40代の天武天皇ですね。ただ、実際に編集に携わったのは、古事記が太安万侶と稗田阿礼、日本書紀が舎人親王を中心とした宮廷の人たちです。 古事記と日本書紀の違いは、細かく見ればいろいろな差異・凸凹がありますが、ごこ大ざっぱに、文字通りザックリ分ければ次のように言えると思います。以下のとおりです。 ① 古事記のジャンルは敢えて言えば文学書で、神話や物語が語られるので「面白い」。それに対して日本書紀は、いわば歴史学という学術書で、ドキュメンタリーな記録が綴られているので、大方の読者にとっては「肩が凝る」。 ② 古事記では、天皇家をめぐる神話・伝説・伝承が語られるが、それに対し日本書紀では日本という国の成立の経緯や史的事績が綴られている。(「日本」という名称は日本書紀に始まったらしい。) ③ 古事記が扱う時代は、第33代推古天皇までで、日本書紀の扱う時代は、第41代持統天皇までである。さすが歴史書(日本書紀)はカバーする範囲が広い。 ④ ある見方をすれば、古事記は、いわば国内向けで、日本書紀は外国向けである、とも言われる。それゆえ、古事記に比べて日本書紀の方がいくぶん「客観的」と言えるかも知れない。

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