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違うの否定形「ちがくない」は公認されるか
以前から若い女性が、違っていたという意味で「ちがかった」と言うのをしばしば聞いていましたが、最近コマーシャルで「ちがくない」と言う台詞を聞きました。これはちがうを形容詞のように考えてのことかなと思いますが、この言い方は認められつつあるのでしょうか。
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以下のとおりお答えします。 >以前から若い女性が、違っていたという意味で「ちがかった」と言うのをしばしば聞いていましたが、最近コマーシャルで「ちがくない」と言う台詞を聞きました。 >これはちがうを形容詞のように考えてのことかなと思いますが、この言い方は認められつつあるのでしょうか。 ⇒はい、「ちがかった」や「ちがくない」という言い方は、特に後者は、少なくとも若者言葉としてはかなり広く認められてきているようですね。今後、さらに多用されるようになるかも知れません。 おっしゃるように、《勘違いから由来した言い方》と言えるでしょうね。そもそもこの語は、《古語「違ふ」の連用形「違ひ」に接続助詞「て」をつけて「違ひて」と言ったものが、「違いて」と発音変化し、その「い」が促音便化して「違って」となりました。そして、この「違って」に否定の「ない」が付いて「違ってない」となったもの》のはずですよね。 では、なぜ、相当の若者たちが「ちがってない」と言わずに「ちがくない」と言うのか。「違う」の連用形であって名詞としても用いられる語形「違い」の「い」が、たまたま「近い、賢い、楽しい」などの形容詞の語尾「い」と同一視された結果とも考えられます。となれば、その否定形は当然、「近くないい、賢くない、楽しくない」のように「~くない」となりますね。つまり、「ちがってない」が「ちがくない」と姿を変える道筋がここにあった、ということではないでしょうか。 関西では、「違う」〔chigau〕の〔au〕が母音調和を起して「ちごう」となり、これに接続助詞の「て」が付いて「ちごうて」となり、類音が縮約して「ちごて」となりました。くだんの「相当の若者たち」にとってこの否定形「ちごてない」もまた、うざいと言うか紛らわしい気分を増幅し、自前の言い方に執着させる動因となったかも知れません。 まとめ A.なぜ「ちがくない」が出てきたか 1.「違う」の連用形・名詞形「違い」の「い」が、たまたま「正しい」や「賢い」などの形容詞の語尾「い」と同じなので、同一視された。 2.「相当の若者たち」にとって、「ちがってない」や「ちごてない」、その他の史的変化などの煩雑さがあって煩わしいので、暗黙のうちに「自分の言語観に見合った形」として納得できる言い方を求めた。 B.今後どうなるか 1.当面「ちがってない」「ちごてない」「ちがくない」などが乱立するかも知れません。 2.言葉(言い回し)というものは、必ずしも「由緒正しい」のが受け入れられるとは限らりません。おもに《どのくらいの人が用いるか》が決め手となります。3割くらいの人が用いれば辞書に登場し、5割程度以上の人が用いれば、「正しい」とされます。 3.ということから推測すると、「ちがくない」は間もなく辞書に登場するでしょう。そして、数十年後にはそれが主流になる、少なくとも「ちがってない」と併存する可能性が考えられます。 「言語は自らを治療する」と言われます。本件はその一例と言えるかも知れません。
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- eroero4649
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みんなが使うようになれば認められるようになるでしょうし、みんなが使わなければ廃れるでしょう。 よくいわれることですが、「新しい」は本来「アラタしい」と読むのが「正しい」です。だってさ「新たなる旅立ち」ってなんて読みますか?「アラたなる」っていうでしょ?「アタラなる旅立ち」とはいいませんでしょ? じゃあどこが語源かというと、江戸時代に江戸っ子が「言葉をひっくり返して遊んだ」のが始まりです。「ポンギローでルービ飲みながらシースー」と同じです。 最近は「言葉をひっくり返していう業界用語」もあまり聞かないですよね。きっと廃れているのでしょう。 今から30年くらい前は「ラ抜き言葉」が批判の対象になっていましたが、今はもうみんなラ抜きで「食べれる」「喋れる」といっています。 また「面倒くさい」を「めんどい」という言い方をすることがありますが、これは武州弁という方言です。関東から多摩、埼玉にかけての方言で、東京周辺の言葉だからなんとなく標準語の一味とされているけど、本当はただの方言。だからもし「めんどい」という人に「めんどいなんて日本語はありませんッ!」といったら、それは茨城や栃木の人に「最後にダッペというのは正しい日本語ではありませんッ!」というようなものになります。 私とても気になるのは、「させていただく」の過剰な使い方ですね。 あれ、本来は利害関係の関係ない相手に使うのは誤用なんですよ。例えば家の前で道路工事をする業者が挨拶に来たときは今は大抵「この度、道路工事をさせていただくことなりましたので、ご迷惑をおかけしますが・・・」という言い回しをすると思いますが、その家は業者に発注している立場じゃないから、業者がその家の人に「工事をさせていただく」はおかしい。「道路工事をしますので、ご迷惑をおかけしますが・・・」といわなきゃいけないんだけど、今はヘタするとそういう言い方をすると「俺に断りもなく勝手にやるのか(別に法的に断らないといけないわけではない)。業者のくせに、なんだ、その態度は」といわれかねません。 芸能人が「○山凹子さんと結婚させていただきました」というのも普通になっちゃいましたしね。こっちも「○山凹子と結婚しました」なんていおうものなら「奥さんを呼び捨てにして!」と怒る人が沢山出てくるでしょう(本来の日本語のルールでは、身内は自分と同じだからへりくだる)。挙句には「優勝させていただきました」とか「金メダルをとらさせていただきました」とかね。それって、違くない?なんて思うのです・笑。
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- takochann2
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現時点でおそらく全く認められない。ネイティブでない人ですらそんな日本語は使わない。
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- staratras
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>違うの否定形「ちがくない」は公認されるか 日本にはある言葉を正統な日本語として認定する公的な機関や団体は存在しませんので(「ちがくない」に限らず)「公認」されることはあり得ません。魯迅の小説の一節ではありませんが「歩く人が多くなればそれが道になる」だけです。 「違かった」や「違くない」などの表現を文法的に見れば「違う」という動詞が形容詞のような活用形となっていると考えられます。「違う」という動詞は状態を表すので、動作などを表す普通の動詞とはもともと性格が違って形容詞に近いとも言えます。そういえば「違う」の対義語として思いつくのは「同じ」ですが、こちらは品詞が異なって形容動詞ですね。これも「違う」という動詞の一般の動詞との「違い」でしょうか。
お礼