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お念仏について質問です
親鸞聖人や浄土宗にお詳しい方に質問です。 詳しい方には返信往復して聞くかもしれませんが、お念仏唱えたところで瞬間的に別世界になるわけでも当然なく、一体何を摩訶不思議に自分は救われる身であると感じれば良いのですか? 滑稽に感じたのが親鸞と弟子の唯円房とのやり取りで唯円が私の上記問いと全く同じで 『師匠、実は私、念仏を唱えたところで特に何もパッとせんのですわ・・・』(多分、この本音は唯円は師匠に直接は言いにくかったかもしれない。でも勇気を振り絞って言った) ほしたら師匠の親鸞も『あなたもそうでしたか?実は私もです』 これ、滑稽ですよね? 人一倍どころか数万倍、親鸞は阿弥陀はんの有難みを感じまくってるわけでしょう? なのに拍子抜けしたやり取りの中身ではありませんか!? 愚禿のオラに教えてくんろ?
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>お念仏唱えたところで瞬間的に別世界になるわけでも当然なく その通り。 >一体何を摩訶不思議に自分は救われる身であると感じれば良いのですか? これは、親鸞聖人も「分からない」と説法で説いています。 弟子「念仏を唱えても、何も感じない。どうすれば?」 親鸞「実は、私も感じない。だからこそ、凡人は念仏を唱えて阿弥陀如来にすがるのだ」 質問者さまも、ご存知ですよね。 >これ、滑稽ですよね? 滑稽です。 「念仏を唱えると、地獄に落ちる!」と、日蓮は説法しています。 >親鸞は阿弥陀はんの有難みを感じまくってるわけでしょう? 愚かな人間は、阿弥陀如来にすがるしかない!との事ですね。 他宗教の様に、過酷な修行もありませんし・・・。 「信じる者は、救われる」 親鸞は「修行が出来る方々(天台宗・真言宗・禅宗など)は、荒行・座禅を行って救われる。が、我ら庶民(凡夫)は修行は出来ない。だから、阿弥陀如来にすがるしかない」らしい。 >なのに拍子抜けしたやり取りの中身ではありませんか!? 調子抜けですね。 だからこそ、誰もが信じる様になったのでしよう。 坊さんは髪を剃れとか、ありませんし・・・。 ※長髪は、まず浄土真宗の坊主。 ※江戸時代まで、浄土真宗の坊主のみ結婚できました。 ※他宗派の坊さんは、女犯の罪で処罰を受けました。 >愚禿のオラに教えてくんろ? 賀古(かこ)の教信は、死ぬまで「南無阿弥陀仏」しか話さなかった様です。 百姓「昨日収穫した大根だ。食べろ!」 教信「南無阿弥陀仏」 商人「こんにちは」 教信「南無阿弥陀仏」 賀古(かこ)の教信の世界に入れば、分かるかもね。^^;
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- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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a) 念仏などは、一種の呪術だと思います。私は、個人で新約聖書を信じている者ですが、悪霊と戦う際などに呪術も使います。パンとワインを食するのも、イエスと一体化するための一種の呪術と言えるし、お線香を焚くことや、十字架のシンボルなども、呪術とも言えるでしょう。 呪術は、霊的世界で勝利するための手段と言えるものであり、それ自体が信仰の目的ではないと思います。信仰の目的は、神仏を愛することであり、その応答として神仏から愛が届き、それが自分自身の内面を変えてくれるのです。
- elleair9
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別に、私は、詳しくはないのですが、回答です。 >お念仏唱えたところで瞬間的に別世界になるわけでも当然なく それは、そうです。 浄土宗(真宗)では、心肺停止した時点で、その人は”仏様になった”とされます。 ですから、仏様に念仏を唱えても、・・・です。 (パッとしないのが、当然) 阿弥陀如来というのは、また、違います。 仏教の開祖であるブッダですら、阿弥陀如来に感化された、というのが、日本古来よりある浄土宗です。 阿弥陀如来は、姿・形は、ありませんが、敢えて形にしたものが、全国各地にある大仏です。(東大寺の大仏やら、鎌倉の大仏など、多数) >一体何を摩訶不思議に自分は救われる身であると感じれば良いのですか? 悪人正機。 善人は、善行をしてきたので、救う必要がありません。 悪行をしてきて、後悔している方々が、助かりたい、と思って、救われます。 念仏は、死者(仏様)が、極楽浄土へ行くことを願ってするものではなく(すでに、浄土に居る)、自分の悪行・愚行の数々を背負って、念仏を唱え、煩悩などを消し去り、今を生きることに集中するのが目的です。