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善光寺の仏像のその後
善光寺の仏像を戦火から守るため、武田信玄公は仏像を甲府へ、上杉謙信公は仏像を直江津へ移し、それぞれの領民を歓喜させたようです。移された仏像は、その後どうなりましたか。
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>移された仏像は、その後どうなりましたか。 信玄の場合は、信州から甲府へ持ち去りました。 甲府善光寺。 長篠の戦いで武田が滅ぶと、信長・秀吉が持ち去ります。 秀吉は、京都の方広寺本尊として祀ります。 秀吉の晩年。夢枕に「信州へ帰りたい」と本尊が出てきます。 死への恐怖を持っていた秀吉は、本尊を信州善光寺へ返還しました。 謙信の場合は、直江津へ持ち去りました。 十念寺。俗称「浜善光寺」 本尊として、祀られていました。 1938年に、本堂全焼に伴い灰となりました。
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