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人を管理する→横暴になる?

介護職員の虐待も、生活保護職員のヤバさも、入管職員のヤバさも、昨今のパワハラも、全て「管理する側」と「される側」の関係な気がします。 介護なんて「お客様」な訳で、そもそも管理自体おかしな話ですし、生活保護も福祉分野なのに非情な対応のニュースに驚きます。 なぜ「管理する」になってしまうのでしょうか? 私には逆に横暴な方が被害者なのでは?と思ってしまうのですが(だって人としてイカれてますよね)?

みんなの回答

回答No.2

>なぜ「管理する」になってしまうのでしょうか? <どんな奉仕業でも責任を問われるような事態に陥りたくなければ責任を取らされないよう管理する事を考えるものです。 でも Communication 能力の低い者や社交性に乏しい者では対象者との適切な関係を築けずに高圧的な態度を採ってしまうものでしょうね。 Communication 能力とか社交性といった良好な対人関係を築く技量は一般的な教育で身に付けられるものではなく、生来の性格で獲得している者か、厳しい訓練を経て獲得した者でもなければ身に付いていないものです。 「厳しい訓練」とは例えば Service 業種の企業で顧客との対応を専門の教育機関による合宿制の訓練をさせたりするもので、羞恥心や Pride を捨てさせるために駅前で大声で何かをさせるなんて訓練をしていたりしますよね(^^;)。 御指摘の職業に就く人達はそんな訓練を受けた事はないでしょうし、生来の性格で良い対人関係を築く事ができる人も滅多にいないでしょうから、責任を取らされないよう高圧的な管理をしようとする人が出てくるのでしょうね。

  • toka
  • ベストアンサー率51% (1205/2346)
回答No.1

 介護職員と入所者も、入管職員と入所者も、ついでに言えば親と子も親方と弟子も、全て一方的な力関係の強弱があるからです。  人間というものは弱い者が目に入ると攻撃的になる。これは弱い者を食って生きてきた動物としての本能です。  その本能を否定して弱い者であっても安心して生きていけるようにすることが社会の意義です。  金を払えば客だから対等とか、かわいい我が子を愛し守るとか、それらは歯止めに過ぎず、我々の心の中には常に弱い者を支配したい本能があるのです。

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