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社会福祉と聞いてイメージすること
現在、介護職の勉強をしていて、授業で「社会福祉について」というテーマの課題が出ました。 講師は、高齢者介護問題にとらわれず、虐待や生活保護、他いろいろ・・・を含んだ福祉全般の中から様々なレポートを提出して欲しいようです。 そこで、この場を借りてみなさんに質問なのですが、社会福祉と聞いてイメージすること、不思議に思うことがあれば教えていただけませんか? どんなことでも構いません。レポート作成のヒントにしたいので、宜しくお願いします。
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「福」も「祉」もどちらも「幸い」という意味の漢字です(中国語では同じ意味の字を二つ続けて語を構成することが多いそうです)。 よって、福祉ということばは「人間の幸せ」という意味です。 社会福祉、ということばをいうときに、2つの側面があります。 1.事業としての福祉 これには、介護保険による「老人福祉」、福祉事務所などによる措置制度に基づく「障害者福祉」「児童保育」などがあります(老人福祉にも一部措置はのこっているようです)。 また、「生活保護」も措置のひとつですね。 一般のひとが「社会福祉」といった場合、そのほとんどが「事業としての福祉」をイメージしていると思います。 2.人間の幸せとしての福祉 たとえば、バリアフリー、ユニバーサルデザインによる都市計画、建築、新聞などの文字をおおきくすること、使いやすい製品、なども、人間の幸せとしての福祉ということができるでしょう。 しかしながら、現在はユニバーサルデザインや駅のエスカレータ設置などは、一般の人たちからは福祉と認識されていないでしょう。 しかしながら、事業としての福祉が成立する背後には「どのような制度を設ければ、最大幸福を実現できるだろうか」という思想があります。 ユニバーサルデザインなどが、制度、事業としての福祉となることも、非現実的なことではないと思います。 以下、私のイメージというか主張です。 どうも、大多数の人が「福祉」ということを自分とは無縁の、「弱者のためのもの」と思っているようでなりません。 たとえば「障碍」ですが、これはだれにでも、明日、訪れる可能性があります。 道をあるいていると、交通事故にあう確率はかなりあります(すごーくおおざっぱにいって1%)。 重症を負えば、半身不随になるかもしれません。 ある日、眼が見えにくいと思ったら、あっという間に網膜はく離になってしまうことだってあります。 また、年をとることによるさまざまな不便なこと(脚があがらなくなって、ちょっとした段差で躓くなど)も障碍のひとつと考えることが出来ます。 障碍だけではありません。 一家で交通事故にあって、ひとりだけ助かったが、働くことが出来ずに生活保護のお世話になる、ということだってありえます。 つまり、だれもが必ず「福祉」のお世話になるし、低くない確率で障碍をおって明日、お世話になるかもしれません。 どうしたら人間が幸せに暮らせるか、それを考えることが「福祉」とくに「事業としての福祉」の基本となって欲しいものです。 「弱者救済」などという認識は、今すぐかかわる人全員の心の中から排除して欲しいと。
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「ために」ではなく「共に」だと思います。 いろいろと書きたいこともありますが、これだけにしておきます。 個人的に、「福祉」に関しては、正解はないと思っています(それぞれの考えに対して間違いではないと思っています)ので。 言葉の意味どおり、みんなが幸せになれればいいのではないでしょうか?もちろん、そんな簡単なものではありませんが。 理想論で申し訳ありません。
お礼
みんなが幸せって・・・難しいですよね。 簡単に・・・でも深~く回答いただいたような気がします。 「正解はない」ってことを頭に入れて、取り掛かれそうな気がします。 ありがとうございました。
- eightfoot
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小生自身、いろんなイメージを持っていますが、「福祉の精神」などと声高にのたまうお偉いさんに対して、「福祉ねぇ…」ってな感じで、チト否定的な気持ちが生まれてしまうんですよねぇ。「福祉、福祉言うな!」みたいな…。(笑) さておき、専門職同士の会話で、「脱福祉」ってのがたまに出てきます。この言葉は、「福祉」を「制度」という狭い意味で捉えたもので、 「既に社会福祉事業として公に取り上げられ、制度などがある程度整っているものだけでは、多様化している市民生活を支えるのに不充分であり、もっと違う形の事業(活動)を実践するには、既存の福祉制度の枠などから解き放たれる必要がある」 …というような意味になるでしょうか。 市民生活の中から新たに生まれてくるニーズを捉え、それに対処しようとするとき、対応する福祉、制度が無いというのは珍しくありません。だからといって、対応する制度が出来るのを待っていても解決はできないため、行政などに頼らず、民間(個人、町内会、NPO、会社経営者等々)主導によって様々にアクションをおこすことになりますよね。そうした結果、福祉などの「制度」にまで昇華することになるのは良いのだけれど、「制度化」による「縛り」が新たに発生することは必至です。だから、常に新たな「脱福祉」が求められるのかもしれません。 今ある様々な諸制度に支えられた福祉サービスの殆ど全てが、民間の活動から生まれています。そうした意味で、社会福祉とは、何かを感じた個々人による小さな行為(お年よりに席を譲る、ゴミが落ちていたら拾う、目が見えない人の手を引く、etc...)から作り上げられるもの…そんな風に言えるのかもしれません。
お礼
「脱福祉」って初めて聞きました。正しく理解できたかどうか少々不安ですが(笑)、個々人による小さな行為は大切ですよね。 余談ですが、お年寄りに席を譲るのって勇気いりませんか? 一度、譲ろうと声をかけたけど断られてしまって・・・さらに近くにいたおばさんが座っちゃいました。(笑)
- fuchikoma
- ベストアンサー率17% (82/466)
社会福祉と聞いてイメージするもの・・・。 漠然としてますねぇ。「個人の努力だけでは解決できない日常の諸問題に取り組む」って感じでしょうか。社会保険制度や直接援助サービスなどなど。 余談ですが、XX時間テレビはあれはあれで良いと思いますよ。視聴率が取れるのはそれなりの理由があるわけで、マスコミの特性を上手く利用していると思いますし。現地事務所で働いている方がみんな徳光かというと、そうではなかったですし。私は見ませんけどね。 かくあるべき姿は諸刃の剣でした。経験談。
お礼
あまりにも漠然とした課題なので、考えあぐねてました・・・。 私も××時間テレビは見ないんですが、それをテーマも面白いかなぁ。 回答、ありがとうございました。
書き忘れました。 #3の方の最後の一文 >「面倒を見てあげるのはあたりまえ」なんです に共感しました。 まさに 「情けは人のためならず」 ですね。 最近はこのことばを「なさけをかけるのはひとのためにならない」と誤って使う方がいますが、本来このことばは 「情けはひとのためではない」「めぐりめぐって自分のためだ」 という意味です。 (第一「情けをかけるのがなぜひとのためにならない」の?おかしいよね。文字通り「なさけない」) 福祉、とくに老人福祉は、自分をお世話するようにするべきことなのかもしれませんね。
- TT250SP
- ベストアンサー率41% (2393/5813)
介護福祉士です 日本の社会介護制度は始まったばかりです いわゆる「介護保険」で、「介護する側」と「介護される側」は対等な関係に移行していく大目標があったのですが、実際には、日本の法制度で「措置」が長い間続きすぎて、「介護される側」は「申し訳ない」と思い、「介護する側」は「これだけやってあげてるのに」という「驕り」があります。 もともと社会福祉は欧州の貴族や宗教団体が始めたもので、これはどちらかと言うと「ボランティア」でした。 普通の生活の出来ない人を上から見下し、「炊き出し」を「してあげた」のです。 日本のボランティアもこの延長線上にあります。 真のボランティアは見返りなど求めないものです。 そういう意味で某局の○○時間テレビには虫唾が走ります。 気持ちの優しい人の善意をマスコミという立場を利用して、個人に善意の押し売りを度ります 年末の赤い羽根募金も怪しいです 多くの人は「結果がよければいいじゃないか」と思われるでしょうが、日本人のボランティア意識が低いままなのは、ああいう団体のせいでもあります。 ボランティアの歴史の後、やはり欧州で「措置」が始まりました 「社会の立場から介護してあげてる」が前提です 日本も長い間そうでしたね? 「お上」に面倒を見てもらっている…というお年寄は少なくありません。 大間違いですね。 その人たちは日本を支え続け、税金を払い、年金も払い続けてきた大先輩です。 しかも、「介護保険料」も収めることになった 「面倒を見てあげるのはあたりまえ」なんです。 福祉の現場、ボランティアの現場で、勘違いをしている人がまだまだ多いです。
お礼
勘違いしてる人、ホントに多いですよね。 私もこの勉強をしなければ、勘違いしている一人だったと思います。
- -haruru-
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福祉で食べていくのは難しい。(ぇ 福祉の仕事をしていても給料が安いんです。 困っている人たちを助ける仕事ですから、 そのようは方々に高額な請求が出来ないから ですかね・・・・。 2000年に介護保険が出来ました。 人手も設備も足りません。使いたいのに サービスが無いと言うのが現状です。 急速に増えている要介護者に追いつかないんです。 急速に増えている理由は、制度が浸透しつつあり、 保険料を払っていることで権利意識が高まったこと にあるのかも知れません。 また、今の時代の高齢者福祉は「経営」と言うことも 考えていかなければなりませんから、施設でも手が かからない、お金の取れる客(利用者)の方が 好まれています。 寝たきりで動けない人を多く集めて入所させている 施設もあります。 寝たきり→介護度が高く、高い利用料を請求できる。 しかも、本人は動けないから手がかからない。 徘徊をする、暴れてしまうなどの方は 施設でも病院でもあまり受け入れてくれません。 手がかかりますからね。そう言う人の家族にこそ 手助けが必要なのに・・・・と矛盾を感じます。 すいません。 ダラダラと参考にならないような発言を してしまいました。
お礼
現状の矛盾点をありがとうございます。 参考にさせていただきます。
日本では不足している。 ボランティア。 弱者のための。 募金。 こういったことを連想します。 ボランティアや募金といった言葉を聞くと偽善を感じる人もたくさんいると思います。 また、それに生きがいを感じる人もいます。 ボランティアを受ける人の立場を考えずに趣味にするひともいます。 偽善でもなんでもお金があるなら募金した方が人間としてマシだという考えの人もいます。 スウェーデンでは福祉が発展しているとか聞きますが、なぜ発展していくことができたのか?そして、なぜ日本にはそれができないのか?を私は不思議に思います。
お礼
募金・・・他の人とは違う視点でレポートが書けそうな気が! 募金犯罪も絡めていくと面白そうですね。 ありがとうございました。
お礼
とても参考になるお話をありがとうございます。 二つの側面・・・言われてみると、その通りな気がします。よく読みこんで、レポートを作成させていただきます!