- ベストアンサー
三途の川で渡し賃が要ると考えた人
仏教では、三途の川に渡し賃が要ると言いますが、釈迦が死後の世界も貨幣経済が発達していると考えていたのですか?それとも中国文化が混入して、日本に伝わったのですか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>仏教では、三途の川に渡し賃が要ると言います その通りですね。 >釈迦が死後の世界も貨幣経済が発達していると考えていたのですか? 釈迦は、死後の事は一切弟子たちに説法をしていません。 天国・地獄の存在も、一切話していません。 ですから、死後に三途の川を渡ってあの世に向かう!という事は釈迦の仏教には存在しません。 >それとも中国文化が混入して、日本に伝わったのですか? 釈迦の教えがインドで廃れ、チベット・中国・東南アジア・日本へ仏教の教えが広まっていく間に「各地の高僧が、色々と釈迦の説を自国に合う様に手直しをした」のが各宗派の経典です。 1文銭は、日本にしか存在しませんよね。 江戸時代に、流通した通貨(硬貨)です。 今の価値で、6文銭は180円程度。 ※ソバ一杯が、約16文でした。 当時のお賽銭は、平均1文なんですね。 一般的な日本仏教では、あの世は「6道界」存在する事になっています。 ※宗派によっては、浄土とそれ以外の説法も存在。 浄土(天国)界・人間界・娑婆界・畜生界・餓鬼界・地獄。 これらの世界には、地蔵菩薩が存在する。 そこで、1文づつ地蔵にお賽銭をだすのです。計6文。 この考えが、「三途の川の渡し賃」として徐々に解釈が変わったのです。 という説が、有力です。^^; 余談ですが・・・。 現在の火葬場では、六文銭を入れる事は出来ません。
その他の回答 (4)
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
- ベストアンサー率20% (192/930)
a) 中国で、確か死後用の紙幣がありましたよね。なので、中国から伝わった慣習が元ではないでしょうか。
- gungurion15
- ベストアンサー率34% (82/240)
釈迦(インド)でもなく 中国でもなく 日本で独自に発達したのかと思います。 三途の川は、 善い人は浅瀬を渡り 悪い人は深いところを渡り 普通の人で希望者は有料船がある。 それが6文で 1文=50円とのことですから 6文で300円 地獄の沙汰も金次第というほどの金額でもなく 当時の渡し船相当の額だったのかと思います。 江戸時代くらいの渡し船の料金を調べたら、おおよそ同じ金額くらいでした。 そもそも6文って江戸時代ですし 江戸時代に流行って広まったようです。 庶民ウケするネタだったのかと思います。
- v3050v78
- ベストアンサー率36% (43/119)
「三途の川、渡し賃?」いかにもお釈迦様が言ったようにも思いがちですが、これは法然や親鸞を信奉する特定の仏教宗派の教えで、私の仏教宗派はには、そんな教えはありません。法然や親鸞の教えですが、お釈迦様は、「無量寿経」に「四十余年には未だ真実を顕(あらわ)さず」と説き、「法華経」には「正直に方便を捨てて、但(ただ)無上道(むじょうどう)を説く」と説いて、お釈迦様が生存した四十余年の経教はすべて法華経に導くための方便の教えであり、法華経のみが真実の教えであると明かしています。
- y0702797
- ベストアンサー率27% (290/1073)
三途の川は、初七日の裁判を終えた死者が次に向かう場所です。 この時、死者が生前に行った罪の重さによって、川の渡り方が三通りに分かれます。 三つの渡り方があることに、「三途の川」の「三途」の由来があると一説では言われています。 1つ目の川の渡り方が罪のない善人であった場合です。 この場合は金銀七宝で作られた橋を渡って、楽々と三途の川を渡ることができます。 2つ目の川の渡り方が、罪が軽い人であった場合です。 この場合は橋を渡ることができず、自力で三途の川を渡河しなくてはなりません。 この時、軽い罪を重ねた人が渡る場所は、山水瀬(さんすいせ)と呼ばれる川の浅瀬です。 3つ目の川の渡り方が、重罪人であった場合です。 重罪人の場合も自力で川を渡河しなくてはなりませんが、その場所は浅瀬の山水瀬ではありません。 三途の川の下流、強深瀬(ごうしんせ)(あるいは江深淵(こうしんえん))と呼ばれる難所を渡河します。 平安時代の終わり頃から、三途の川を渡る際に「橋を渡る」という考え方が薄れていきます。 その後は橋を渡るのではなく、渡し船に乗って川を渡るという考え方になっていきます。 この際、渡し船の料金が六文であるとされ、次の項で解説する「渡し賃としての六文銭」という考え方に繋がっていきます。 文は江戸時代の通貨ですが、江戸時代は長く続いたため、その時期によって文の価値は変動しています。 このため正確な価値は定かではないものの、江戸初期の貨幣価値で、六文は現代の3百円程度のお金だったと言われています。 六文さえあれば三途の川を渡れるという考えは、貧しい庶民にとっては救いとなる考え方だったのかもしれません。 現在でも冥銭として死者の棺に千円札や六文銭を模した紙が一緒に納められます。