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日本語を勉強中の中国人が「ひとり日和」について質問します
- 日本語を勉強中の中国人が青山七恵の「ひとり日和」を読んでいる途中で意味がわからない箇所があります。主な質問箇所は、「ばち」という感触の意味、「すぐ横」という表現の違い、「迷惑」の意味、「今から帰る。来たよ」という表現の意味、「三途の川のあっちとこっちみたい」という感覚、および「のぞく」の使い方です。
- 「ばち」という感触の意味、および「すぐ横」という表現の違いについて教えてください。
- 「迷惑」の意味と、この文脈での意味について教えてください。
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1.感覚を表現したかったのか、罰を表現したかったのか、即断できません。 前文の「老いらくの恋か」という記述をどう読むのかで変わります。 小説の前のほうで、わたしと吟子さんとあの老人に何があったのかが判りませんので判断できません。 2.「すぐ横」でも「すぐ隣」でも「すぐそば」でも意味そのものは変わりません。 作者の文章上の好みです。 3.吟子さんが何を迷惑と感じたのかは、老人とはどのような関係なのかで変わります。 単純に考えれば、吟子さんが、電車が見える縁側で老人を見送ろうと思ったのに「わたし」という余計な人間がいることが迷惑と感じただけかと思います。 二人だけで過ごす時間が「わたし」の存在で中断されてしまったことになります。 4.、「今から帰る。来たよ」は時間的には前後関係が逆の表現になっています。 日常会話でも良く、このような言い方をします。 まずは「さっきのおじいちゃん、帰ったの?」という質問に対して「今から帰る」と返事をしておいて、確かに老人は自分のところへ尋ねてきたという事実を強調します。 あるいは、情景描写として、家から駅のホームまでの間は、縁側からでは老人の姿が見えないと想定すれば、 「今から帰るよ」は目下帰りつつある状態で、駅から立ち去って姿が見えなくなって、初めて帰るという作業が終了すると考えれば宜しいかと思います。自分のテリトリーが家の中だけではなく、周辺地域を含んで考えることは良くあります。 このような情景とすれば「来たよ」は縁側から見えるホームに姿を現した状態を言うことになります。 5.「三途の川」の概念は儒教思想と仏教思想の根本的な違いを表す象徴ですので、辞書で御覧になられても判り難かったかと思います。 儒教では、祖霊は子孫の供養よって死後の世界から現世に戻ってきて子孫と飲食を共にしますが、仏教や神道では祖霊がそのままの姿では現世に戻ってはきません。 現世と死後の世界を峻別しているのが三途の川と呼ばれる川です。 象徴としての川であって、実在の川とは何等関係がありません。 死者がこの川を渡ることで、完全に現世とは決別したとされます。 九死に一生を得たような場合には、三途の川の手前で帰ってきた、という言い方を現在でもします。 彼岸(ひがん)此岸(しがん)という言葉があります。 三途の川の向こう岸が彼岸で、こちら側の岸が此岸です。 日本には、春分の日を春の彼岸 秋分の日を秋の彼岸として仏教行事をする習慣があります。 ご質問の小説の描写では 縁側とホームとの間が離れていますから、老人は彼岸にいる人で、わたしは此岸にいる人のようだな、ということを表しています。 わたしと老人とは全く無関係で、吟子さんと老人は永久の別れをしているようだということを表しています。 6.「のぞく」という言葉は覗くあるいは覘くと漢字表記されます。 漢字の意味と同じ使い方もしますが、べつな意味としてわずかに一部分だけが見えるという意味でも使われます。 ご質問の小説の描写でも茶色い地面の一部や空の一部が見えていることを表しています。 「のぞかせる」という言い方の方が使い易いかと思います。 草の芽が顔をのぞかせている。(草の芽が少し出てきた) 積み重ねられた書類の間からお札が顔をのぞかせている(書類にお札が紛れ込んでいるのが見える) 覗くとのぞくの違い 草叢から狐が覗いている(狐が草叢から此方を見ている) 草叢から狐の尻尾がのぞいている(草叢の上に狐の尻尾が見える) 狐が草叢で尻尾をのぞかせている(草叢の上に狐が尻尾が見えるように立てている) 蛇足 日本人の位牌の使い方に関して、中国、韓国が誤解している部分があります。 儒教における位牌は、祖霊が現世に戻る依代ですが、仏教では依代とは考えません。 日本人にとって位牌は、仏教儀礼の際に飾る写真と同じ意味合いを持つだけのものです。 写真がなかった時代から使われている写真に代わるものです。 位牌はあくまでも、仏教寺院や仏教の祭壇=仏壇に置かれているものであって、神社にはありません。 中国、韓国の方々が靖国神社に位牌が置かれていて、日本人は祖霊を呼び戻していると誤解されておられるようですが、靖国神社には位牌はありません。 儒教では死は魂魄が分離した状態と考えますが、仏教および神道には魄は有りません。魂のみです。 すなわち、仏教や神道には、魂魄が分離したり合体するという考え方はありません。 完全に死生観が違います。
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- ゆのじ(@u-jk49)
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なぜ、これほど、日本人にも意味不明な文章を連ねる三流作家を読むのか分からない。日本語学習には最も不向きな文章と断言できる。このような駄文に付き合っていては、貴方の日本語学習は覚束ない。 1、「ばち、という感触」などと言った時、この作家は読者との共通認識を避けている。きちんと、感覚とか感情を読者に伝えようとしていない。または、登場人物が独特の感性の持ち主なので、一般読者には分かるまい、凡人には理解できぬ感覚と片付けているということ。擬音だとしても、「ばちっ」が正しい。擬音さえ、妙な表記をしてしまうのは、文章力の無さをごまかしたいからだと思われる。あるいは、一般人との感覚のズレを強調したいのか、精神異常をいいたいのか。 2、「すぐ横」は、「すぐ」ということで、殆ど接しているイメージになっている。「隣」と「そば」は、「すぐ」と言わなくても接しているイメージ。ただし、「すぐ横」は間違っている。縁側に座って、手をぶらぶらさせるには上体は前傾姿勢を取らなくてはならず、従って、頭部は庭に大きく傾いているはず。よって、縁側に立つ人物は、横ではなく、斜め後方でなくてはならない。作者は、二人の位置関係を正確に理解していない。感覚、イメージだけの、いい加減な文章、描写ということ。 3、「ヘッドフォンを耳にはめ、思いっきり頭を揺らした。目を閉じて、両手もぶらぶら揺らしてみる」という行為が狂人に見えて、不快であり、迷惑だった可能性があるということ。ただ、「二人はあきれるほど長く、手を振り合っていた。呆けたのじゃないかと、心配になるくらい。」とあって、そう感じている当人こそが狂人であることを匂わしている。 4、帰るのは人物。ホームに来たのは電車。視界にあるうちは、まだそこにいるわけで、帰ったことにはならない。 5、生死の境界線のこと。たぶん、ホームが死の世界という認識がある。自分だけが「生の世界」の「正常に人」であると言う確信が、作家の感性であるのが悲しい。 6、「のぞく」とは、たとえば、泥棒が空き巣に入ろうとしている民家をのぞくというのが、一般的な用法のイメージで、あまり良い言葉ではないし、「のぞく」側は、泥棒のように矮小なもの(人物)の場合が多いもの。それなのに「地面」や「空」という広大なものが、除くというのは可笑しい。自身より大きなものが、卑小な登場人物をのぞくわけがない。なるべく泥棒のように「のぞく」ことは避けたいというのが、日本人の感覚。 かように、精神的に病む人物を登場させて、人間中心主義、自己本位の世界、生者の奢りをいう作家は悲しい。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- kingyo_tyuuihou
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1 「ばち」は擬音語だと思います。叩かれるとパチッという音がしますよね。 日本語にはよく使われる表現で、飛行機はキーンと飛んでいきますし、 急に何かに気付くときはハッとします。(こちらは擬態語と呼びます) http://www.ninjal.ac.jp/archives/Onomatope/ 2 そばは近くという意味で前でも後ろでも横でもそばです。 隣は身体など本体に対して横です。足の横という言い方はあまりしません。 距離感なく並ぶというようなニュアンスがあります。 3 この文脈からだけではわかりません。 ここからわかるのは、吟子さんが私に対して何か不満など 言いたいことがあった。ということを表現しています。 帰ったおじいさんに何かしてあげて欲しかったとか、 配慮が足りなかったとか。見送ってあげて欲しかったとか、 「なにか注文があった」ようで、それをしなかったのが迷惑 という言葉で表現されているように思えます。 4 これもここだけではわかりません。 今から帰る。というのは、ホームから電車で今から帰る。 ほら電車が来た。というようにも読めます。 家からは出たが、家の前のホームにはいる。ということでしょうか。 5 三途の川とは日本人が死んだら渡る川のことで、 あちら側はあの世(天国や地獄)こちらは現世のことです。 つまり、居住まいをただして丁寧に送り出したことを まるであの世に旅立つ人を送ったようだという風に表現しています。 6 のぞくは隙間からちらちらみる。ちらちら見えている。 という時に使います。 女風呂を窓の隙間から覗く。 鍵穴から部屋の中を覗く。という時にも使います。 質問文自体に不自然なところはありません。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。だいぶわかってきました。大変参考になりました。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。わかるようになりました。いろいろ大変参考になりました。