不意打ち名人 ヤマトタケル
不意打ち名人 ヤマトタケル
こんばんは。
神話には事実が隠されていることは知っています。
現在の通説として、
ヤマトタケル神話は複数のアチコチの勇者の説話が纏められたものである、
と言う認識もあります。
で編集及び装飾されて作り手側の都合で美化される傾向もあると思います。
ところが征西において熊襲の兄弟とカワカミタケル?だったかな、
だまし討ちで殺してしまいます。
(多勢に無勢と言う事情は解りますが)
カワカミタケル?の時はひどい。
年少とは言え兄貴の両手両足をもぎ取ってしまうのだから1対1なら正々堂々と
戦えますよね。
なぜ記紀であんな卑怯な方法が書き残されるに至ったのか?
立場は皇位継承者なのだから(一応話の中では)
かっこ悪い処は削除するか、改ざんするか、考えますよね。
日本史上最大のヒーローのこの年少期の件が気になります.
どんな思惑または事情があったと考えられますか?
宜しくお願いします。
お礼